私は一体何がしたかったのだろう


信幸の彼女になりたかったのか


浩子と楽しい時間を共有したかったのか


血の繋がった本当の両親が欲しかったのか


違う 私はただ愛されたかっただけだ


誰かの腕の中で頭を撫でてもらえればそれで満足だったのだ





























空が晴れたら













































 私は焦点をどこへも合わさずに呆然としていた。先程浮かび上がった答えが未だ現実味を帯びていない。ふと嘘なのではないか、と疑ったりもしてみたが、私が信幸を好きだとなったら先程の心境も全て説明がつく。あれは『兄』を取られた『妹』の悲しみというよりも、愛する人を取られた女の悲しみに限りなく近い。
 けれどだからといって私に何ができる?自覚した所でもう彼には相手がいるというのに。何もかも手遅れ。そう、手遅れなのだ。フラれると分かりきっているのに告白などできる筈がない。
 昔からそうだ。私は最初から全てのものを諦めてしまう。可能性は0か100%しかなく、もしもという言葉を使うことはない。
 ―――わかっている、何か行動を起せばまた違う道が見えてくることぐらい。でも私は何かを犠牲にすることが怖いのだ。ぎりぎりで保っているその境界線の向こう側に行くことが。その向こうに何が見えているのか、覗くことすら、私にはできない。
「……っ…」
 溢れ出る悔しさにからだが震え、私がベッドカバーを強く握り締めたその時、コンコンと扉を叩く音がし、ひどく聞き覚えのある声がした。
「愛?」
 からだじゅうがなにかに犯されたような気がした。
「愛、授業始めるぞ。なんだ、まだ用意できてねぇのか」
 教材を左手に抱え私の部屋のドアを少し遠慮がちに開けて入ってくる信幸の姿はいつもと変わらないというのに、私のこの動悸の速さはどうしてものだろう。尋常ではない。私は視線をベッドのほうへと落としたまま何も動けずにいた。そんな私を不思議に思い、信幸は再び私の名前を呼ぶ。愛?、と。いつもの優しい暖かい声で。やんわりとしたその雰囲気に、びくっとからだの芯が跳ね上がる。
 何か言わなければ。けれど何と言ったらいいのだろう。少し方向を変えれば、視界にあの無邪気なふたつの瞳が映る。何もかも見透かしているそれを今見てしまってはいけないような気がして、私は再びからだを逸らす。時計の針が刻む音がやけに室内に響く。いたたまれなくなり、私は言った。
「…私、お茶いれてくるね!」
 妙に上ずった私の声を、おそらく信幸は不審に思っただろう。今まで御茶など自分で淹れたことすらなかったのに。私は階段を勢い良く駆け下りると、台所へ行き、母からティーポットてスプーンを引っ手繰った。
 私が淹れるから、と茹蛸のように顔を真っ赤にして言う私は、さぞかし母の目に滑稽に映ったことだろう。しかし、呆然と立ち尽くしている母を気遣う余地すら今の私にはない。
 動悸が収まらない。からだは火照り、暑くもないのに汗が全身をくまなく包みこむ。できることならば、ここからこのまま逃げ出してしまいたい。
 しかしそんな私の心境とは裏腹に、紅茶は順調に出来あがってゆく。今日に限ってどうしてこんなに速く湯が沸くのだろう、本当は水のままなんじゃないか、と疑ったりもしたが、二つの白いすずらんの花がワンポイントとなっている小振りのティーカップからはちゃんと湯気がのぼっている。
 母が早く行きなさい、と私を促す。しかし私はすぐにあの部屋へ戻ることに躊躇する。
――そうだ、茶菓子でも出そう。確か冷蔵庫にケーキがあった筈だ。私はトレーをテーブルの上に置き、ペアの小皿を二つ取りだし、菓子用のフォークを2つその上に並べる。そして冷蔵庫をあけ、土産物のチョコレートケーキの箱を取りだした。すると、後ろから母が言う。
「あ、笠井君甘いもの駄目みたいよ。この前シュークリーム出した時、困ったような顔してたわ」
 もうこの時点で私には部屋へ戻ることしか道は残されていない。母に促され、鉛のように重い足を引きずり階段を登る様は、まるで刑務所に連行される罪人のようだ。
 トレーを持ったまま何も言わずに入ってきた私に、「持とうか?」と信幸は心配そうな面持ちで言う。私は聞こえそうにない小さな声で、いいよと返事をした。
 トレーをテーブルの上に置き、紅茶のカップをひとつは信幸の前に置き、そしてもうひとつをその向かい側へと置いた。私が覚束無い足取りでクッションの上へ座るのを見計らい、信幸は尋ねる。
「お前大丈夫か?どこか具合でも悪いのか?」
胸の奥がきりりと痛む。私はそんなことないよ、と曖昧に笑って見せた。しかしその素振りが余計痛々しく見えたのか、信幸は本当に大丈夫かと念を押す。視界は近づいてきた信幸の顔で覆われる。
 明るくて優しくて年の割に無垢な部分がある彼はどこか敦と似ていた。そんな彼に私が惹かれるのは当然のことなのかもしれない。
 私はふと顔をあげ信幸の顔をじっと見上げた。初めて逢った時より伸びたさらさらの髪、切れ長の瞳、繊細な顎のライン。そして私が一番好きだった、笑ったときにふと覗かせる真っ白な2本の八重歯。けれど、それらは私の所有できるものではない。あのウェーブがかかった長い髪の持ち主のもの。
「さっきの彼女だよね?」
 私の意思とは裏腹に、無意識に口が動く。信幸は少し驚いて私を見ていたが、暫くして見たんだ、と呟き、
「あぁ」
 と照れくさそうに頷いた。
「いたんなら声かければよかったのに」
 かけられるわけないじゃない。
「……同じゼミの先輩でずっと憧れてたんだけど、やっと最近OKしてもらったんだ」
 そんなこと聞きたいんじゃない。

(どうしていつも私は選んでもらえないの)
 一体何が足りないというのだろう。いつも私は求めてもらえない。そんなに難しいことを望んでいるのだろうか。私は欲張りなのだろうか。違う。だって、まわりには幸せそうな顔をしたひとで溢れているじゃないか。信幸だってそうだ。誰かに求められている。けれど、私は違う。私はなんのためにここにいるのだろう。
「あのひと、年上だから気が強そうな感じもするけど結構可愛いところもあるんだよ。この前なんて…」
 はにかみながら言う信幸の言葉が私のからだを貫くたびに、照れくさそうに彼女のことを何度も私に相談する敦の顔が脳裏を掠める。いやだ。そう思い取っ払おうとしても、それはしつこく纏わりつき私のそばから離れない。
 わからない。何をしたらいいのか。私は何のためにいるのか。誰のために存在しているのか 、どして生まれてきたことかすらも。求めている何かかがわかりさえすれば、もう少し違った笑顔を浮かべられることができるのに。






 日没が遅くなり、夜もさほど肌寒くなくなった頃合にはすっかり緑が生い茂り、新しい季節への境目を示していた。校舎の壁が夕日に照らされて鮮美なシルエットを映し出す。その風景の懐かしさを覚える大人達が世には五万といるだろう。そんななか、その校舎の三界にある『3年2組』と書かれたプレートが目印とされている教室から低く透き通った声が聞こえてきた。
「それで、結局愛はどうしたいの?」
 普段の彼女からは想像もできないその静寂な瞳から、私は目を離すことができなかった。




 それは私が信幸を好きだと自覚して暫く経ったある日のこと。数日前から私の様子がおかしいと感じていた浩子は、放課後帰路につこうとしていた私を呼びとめた。何かあったのか、と追求する浩子を最初は何でもないよ、と言って交わしていたが、彼女の真剣な瞳に断念し、私は信幸を好きになってしまったという事実を打ち明けた。浩子は暫く考え込んだあと、静かにこう言った。
「私はこうなるって思ってたよ。あんたは絶対その信幸ってひとのこと好きになるって」
 何もかも見透かしているような浩子の瞳を直視することができず、私はふっと目を逸らす。逃げ腰な私の態度を見て、浩子は溜め息をついた。
「ねぇ、愛……告ってみなよ。今は彼女がいるけどさ、もしかしたらってこともあるかもしれないじゃない?」
 思いがけない浩子の言葉に、私は即座に伏せていた顔をあげた。見開かれた瞳からはどれだけその案に驚いたかが見て取れる。
「えっ……」
「ね、そうしなよ。何かしなきゃなんも変わんないって」
 浩子はそう言い、戸惑う私の肩を掴んだ。ふたりのあいだを微かな音を響かせて風が流れていく。普段なら涼しいと感じられるそれすら今の私には不気味なものに感じられた。
「無理だよ……そんな急に言われても……」
「別に今すぐってわけじゃないよ。そのひとがカテキョ辞めるまでにすればいいじゃない」
 浩子はねっ、と言って私の肩を軽く叩いた。澄んだ彼女の瞳がそうすることを義務づけているようで、私は逃げ出したい衝動にかられる。―――そんなことできる筈がない。無理、できないよと私は力無く呟くと、浩子はどうしてと責め立てた。
「愛言ってたじゃない。敦君の時と同じような事はもうしたくないって」
 わかってる。あの時感じた嫉妬混じりの絶望感。私はもう二度とあんな思いはしたくないと胸に刻み込んだ。浩子にもそう打ち明けた筈だった。ただ振り向かない背中を見つめるだけの自分はもう嫌だと。なのに今、どうしても浩子の言葉に頷くことができない。浩子に揺さぶられ、カクカクと揺れ動く華奢な肩だけが悲しげに上下している。
「だって…信幸は私のこと妹としか見てないんだよ?」
「今はそうかもしれないけど愛が告れば恋愛対象として見てくれるかもしれないよ?」
「できないよ……だって……」
 涙が次から次へと溢れ頬を濡らす。
「私は…信幸を失いたくないんだもん……」
―――”妹”。私がかつて憧れていたもの。無理だとわかっていても欲していたもの。けれど今ではただの一文字に過ぎない。信幸が私に対する感情を表現するためだけに使う一文字に過ぎないのだ。
「もう……今のままでいい……」
 切なさが胸に押し寄せてくる。結局私は何も変わっていない。幸せが欲しいと待ち望んでいるだけで、自ら掴み取ろうと行動を起こす勇気もない。それを引き付ける魅力もない。私には何もない。
 風が再びふたりのあいだをすり抜けた。先程とは違う、気まずさを象徴する風。暫く私達は何も口を聞かなかった。漂う沈黙と静寂。浩子は私の肩に置いていた手をそっと離した。

「愛はそうやっていつも自分のなかで解決しようとして、私になにも相談してくれないよね」
 暫くして、ふっと浩子が静かに呟いた。私はただ何も言えず、伏せていた顔をあげた。
「敦君のことだって私が何回もしつこく聞いてたから教えてくれたんじゃない。今回も私が何も聞かなかったら、愛、きっと何も話してくれなかったでしょう?」
 そんなことないと否定しようとしたが、浩子が言っていることは的を射すぎていた。反論できる余地すらない。
「…私知ってたんだよ」
 突然の浩子の言葉に、私はえっと朧げに呟いた。少し視線をずらすと浩子の寂しげな瞳が映る。少し茶がかかった曇りのない綺麗な瞳。ぼうっとしていると吸い込まれてしまいそうだ。
「愛がY高に行きたがってたこと……私知ってたんだ」
 一瞬彼女が何を言ったのか理解できなかった。弱々しくもはっきりと言ったその言葉は私の脳裏にはっきりと刻み込まれた。私え、と呟き猶も確認しようとする。
「私見ちゃったんだ。愛のカバンのなかに入ってたY高のパンフレット。知ったのは進路希望調査表出した後だったけど……」
 声が出なかった。私は黙ったまま浩子を見つめていた。震えるからだを懸命に抑えながら。
「言おうかどうか迷ったよ……。でも、いつか愛はちゃんと言ってくれるだろうって思ってた。でも愛は結局最後まで何も言ってくれなかったよね」
「浩子……」
「私に悪いと思ってた?私のこと、学校が離れれば親友じゃなくなる程度の友達だと思ってたの!?」
「違う……そんなこと思ってないッ、言えなかっただけなの、ただ言いづらかっただけなの!」
「……言い訳にしか聞こえないよ。だったら私になにも相談事してくれないのはどうして!?」
 私は黙り込む。
「私は愛のなんなのよ……」
 何時の間にか浩子は目に一杯涙を溜めていた。浩子は今まで私に涙を見せたことがない。気丈な彼女が流す涙は、彼女の心の傷の深さを表している。
「楽しい時間を共有するだけなら誰とだって出来るんだよ。愛は私にそういう接し方しかしてくれないじゃない」
 そんなの親友って言えないよ、と浩子は呟いた。そんなつもりはなかった。私にとって浩子はなくてはならない存在だった。もちろん今でもそれは変わらない。
「結局、愛は他人と深く関わるのが怖いんだよ。拒絶されたとき、傷つくのが怖いから」



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 それから暫くは文字通り月日が流れているだけの日々が続いていた。あれから浩子とは一階も口を利いていない。いつも一緒にいたふたりがばらばらに行動しているのを見てクラスメイト達は何かと詮索したがったが、それも時 が経てばただのケンカと片付けられてしまった。浩子は他のクラスメイトとつるむようになったが、私は誰とも仲良くする気にはなれなかった。今までケンカというものをしたことがない私は、こういう場合どうしたらいいのかさっぱりわからない。ただ自分が置かれている状況を理解して、その流れに身を委ねることしかできなかった。
 結局私は何がしたかったのだろう。信幸の彼女になりたかったのか。浩子と楽しい時間を共有したかったのか。血の繋がった両親が欲しかったのか。
 違う。私は誰かに必要としてもらいたかったのだ。誰かの腕のなかで頭を撫でてもらえさえすればそれで満足だったのだ。








 浩子とケンカをしてから一ヶ月が過ぎようとしていた頃。丁度夏休みということも手伝って世間では海だプールだと騒いでいるが、私達受験生はいつまでもお祭り気分でいるわけにはいかない。私はいつものように自室で信幸が来るのを待っていた。
 家庭教師を始めてもう四ヶ月以上も経つというのに、相変わらずいつも信幸は遠慮がちに私の自室のドアをノックする。それが妙におかしくて、いつも私は吹き出してしまう。私は彼がうろたえた時の表情を見るのが好きだった。あの年上の彼女にはそのような子供じみた部分を見せないように努力していることを、私は知っている。私だけが見ることのできる彼の姿。
 しかし暫くして私と母は異変に気付く。授業を開始する予定の筈の7時になっても信幸が来ないのだ。最初はただの遅刻だろうと呑気に考えていたが、時計の針が八時を差しても一向にやってくる気配がない。何かあったのではないかと不安を感じ、私は母に少し様子を見てくると言って家を出た。

 急かす気持ちを抑え、信幸の部屋のチャイムを鳴らす。しかし返事はなく、返ってくるのはただならぬ緊張感を含ませた静寂のなかで響き渡るチャイムの聞きなれた音。異変を察した私は、彼と同じ仕草で部屋のドアについているノブを回す。なぜか勢い良くドアをあける気にはなれず、少しずつやっくりと間隔をあけてゆく。ギギィ…ッとひどく不気味な音を響かせて、それは私を奥へと招き入れようとする。
 途端、異臭が私の鼻を刺激した。普段彼の部屋からは香ることもないアルコールと女物の香水の残り香。私はそれが彼女のものだとすぐにわかった。
 足をさらに奥へと進める。信幸、と彼の名を弱々しく呟きながら。すると、カタッと何かを倒したような物音が奥から聞こえた。私はそれが信幸がたてた物音だと確信する。
「信幸……」
 見なれた 黒のテーブルの上に何本もだらしなく転がっている缶ビール。太陽の光だけでなく全てのものを否定しているかのような灰色のカーテン。そして床にはジュエリーケースらしきものが大雑把に転がっていた。
「ねぇ信幸……7時とっくに過ぎてるよ?ねえ…寝てるの?」
 私は震える手をおそるおそる信幸の動かぬからだの上にそっと置く。しかし反応はなく、私は数回彼のからだを揺り動かす。すると、信幸はからだをひねらせて、私の手を振り払った。私はなにもできなくなる。信幸は顔をゆっくりとあげ、恐ろしく低い声で呟いた。
「なんだよ、うるせぇな……」
 鳥肌がたった。何も言わない私を見て、信幸は益々苛立ちを募らせる。動けない。恐い。何も考えれない。逃げ出したい。
「なんでなにも言わねぇんだよ!!」
 その瞬間、私の視界は逆転した。目に映るのは怒りと悲しみで顔を歪ませた信幸の顔だけ。先ほどまであった部屋の風景は消え果てた。私の2本の腕を押さえつける信幸の腕に力がこもる。
「なんなんだよ、お前まで!またそうやっておれのことバカにすんのか!!」
 お前まで、と信幸が言ったことで、信幸と彼女のあいだに何かあったことを確信した。ひどく悲しい瞳は怒りに歪んで狂気すら感じられる。私はただ黙ってその瞳を見つめていた。
 信幸は人形のように黙って見つめる私の唇を唇でふさいだ。信幸の熱が私の固く閉じた唇を通して伝わってくる。私はそっと瞼を閉じた。
 愛しく思っていた彼の指先が荒々しく私の肌の上で暴れる。その度に忌々しい記憶が蘇ってきた。
「……なんで抵抗しねぇんだよ」
 私は何も答えない。
「抵抗しろよ、嫌なんだろ!?」
 私は静かに目をあけた。ひどく悲しい瞳。私が恋焦がれたあの優しい瞳はもうないのだろうか。
「くそっ……」
 信幸が乱暴に私のからだを突き放した。両腕で頭を抱え、狂ったように叫び散らしている。私は何も言わずにただ黙って彼を見つめていた。
「おれ、フラれたんだ……」
 暫くして信幸は呟いた。今にも消えてしまいそうな弱々しい声で。
「遊び相手としかおもってなかったって言われちまったんだ」
 馬鹿だよな。信幸はそう言って、だらんとうなだれる。弱々しい、今にも消えていなくなりそうなその背中はまるで小さな子供のようで、悲しみは痛い程伝わってくるというのに、彼は自分を卑下するばかりだ。
「そうだよな、おれが相手にされるわけねぇよな……ほんとおれ、馬鹿みてぇ……」
「…やめて」
「ごめんな、愛。さっきはおれ、どうかしてた。授業やるか。部屋戻って……」
「やめてよ!!」
 張り詰めていた感情が一気に破裂した。声は震え、足も竦む。けれど、もうとめられない。
「なんであの女なんか庇うのよ!さっきみたいに怒ればいいじゃない、あの女のせいでおれの人生滅茶苦茶だって叫べばいいじゃない!」
「……愛?」
「そんなにあの女が好きだったの?こんなになるほど、好きだったの?どうしてなの、なんでなのよ!?」
「お前、何言ってんだ…?」
 滅茶苦茶なのは私だ。馬鹿で憐れで醜いのも、私だ。それでも私は声を振り絞って地団太を踏んで、みっともない姿をさらしながらも、信幸を求めつづけた。
「どうして、私じゃだめなの。なんで私を好きになってくれないの。あんな女なんかより、ずっとずっと、信幸を好きなのに……」
「お前……」
 信幸は驚きを隠せないと言った表情で私を見る。私の頬にはいつのまにか涙が零れ落ちていた。私は大きく息を吸い込んだ。換気もろくにされてない部屋の空気はひどく澱んでいて、息がつまりそうだ。涙とほこりで目がくらむ。私は拳を硬く握り締めた。
「…私が捨てられた子だから?」
 信幸は驚いて顔をあげた。二重の切れ長な瞳がさらに大きく見開かれる。
「愛、お前……」
「私が捨てられた子だから、だから私は一番になれないの?本当に好きになってくれないの?信幸だけじゃない、お母さんもお父さんも浩子も敦もみんな、みんな……」
「愛、落ち着け」
 信幸は私の両手首を掴み、暴れ乱れる私を落ち着かせようとする。私はそれに抗 い、離してと泣き叫びながら首を左右に振った。その反動で、まだ飲みかけだったビールが無残に床に蹴り落とされた。
「私はいらない子なんでしょう?そうなんでしょう、だってそうじゃなかったら捨てる理由なんてどこにもないもの。私は必要じゃないんでしょう?だから捨てられたのよ!」
「愛!!」
 視界が黒く覆われた。伝わってくるのは、自分のものとは違う心臓の鼓動と、蒸気したぬくもり。そして、一筋の涙だった。
「違う…違う、そんなんじゃない……」
 私は握っていた拳に一層力を加え、支離滅裂な言葉を喚きながら信幸の背中を叩いた。それになんの意味もないことくらい、悟っていたけれど、今になって思う。あの時の私は、歓喜と感動で満ち溢れていたはずだ。信幸はドラマみたいな言葉や、優しいキスはしてくれなかった。ただ黙って私を抱き締めて、違うと何度も繰り返していた。それだけで嬉しかった。私はずっとそうして欲しかった。捨てられた私の淋しさをわかって欲しいとは言わない。消して欲しいとも望まない。私はずっと、話を聞いて欲しかった。つらかったね、と頭を撫でで欲しかった。同情でもなんでもいい。誰かの一番になりたかった。誰かの心に強く存在したかった。




 あれから5年の月日が経ち、私はこの春都内のある小さな出版社に就職した。あまり名も知られてない、本当に小さな会社だが、自分なりに細々とやっていこうと思っている。
随分と長い年月が経ったというのに、周囲の風景は少しも変わらない。桜が咲いて、初めて本来の姿を見せる並木道や、夕日映えのする高校のグラウンドに陸橋から見下ろす夜景。変わったことといえば、マンションの花壇に植えてある花が紫色のヒヤシンスからシザンサスになったことぐらいだろうか。
 あの時、信幸の部屋を出たあと、狂ったように泣きじゃくる私を迎えてくれたのは、涙と汗で顔を滅茶苦茶にした母と浩子の姿だった。そこに浩子がいたことに、私は不思議と驚きはしなかった。浩子は私と信幸の話を聞いてていたのだろう。浩子は何も聞かなかったし、私も浩子に何も話さなかった。ただお互い抱き合って、小さい子供のように声を張り上げて泣いていた。そして、母は黙って私達を抱き締めてくれた。ふたりとも何も言わなかったが、それでもちゃんと私に訴えかけてくれていた。愛はひとりじゃないよ、と。もう強がらなくていいよ、と。


 桜が満開の並木道、ミルクがかかったいちご味のかき氷、シンプルな白のワンピース。そして茶がかかったさらさらの髪に、笑ったときに覗かせる真っ白な2本の八重歯。私の好きなもの。それは昔も今も、そしてこれからも変わることてはないだろう。

もうすぐ六年目の夏がくる。
その新しい季節の境目に、私は結婚をする。



◆あとがき◆


完結でしゅ。笑

最後のほうは制限枚数ぎりぎりなんとか終わらせたって感じやけど、どうでしたか??

愛は私自身、そして私の影でもあります。

私だけに限らず、誰もが孤独というものを抱えていると思います。

それを和らげてくるひとが、やっと愛にも表れたんですね。

私もそんなひと、見つかるといいなあ。笑

新作・ピーターパン・シンドロームのほうもぁっぷしたら見てくださいね。


2003.3.25 管理人
 

女の子お絵かき掲示板ナスカiPhone修理