願い

一体自分はいつから命をもち、いつの間に「幻獣」である自分を受け入れて、そして自分を召喚する召喚士を待ち続けたのだろうか。
あまりにも長い年月を生きている彼には、もはや自分の命の始まりや、自分と自分が作り出した幻獣を支配している「幻獣の理」が一体どこから来て、そしてどこへと続くものなのかはわからない。
ただ、幻獣を産み出せる力を自分は持っている。
それは逆に、幻獣を消滅させることも出来るということだ。
そのような絶対的な力をもつ自分が幻界にいることはいいことではない。
かくして彼は青き星から遠く離れた月で、自分が作って自分が愛している、自分の分身ともいえる幻獣達をそっと見守るのだった。

「欲しい」という感情が、自分にあると初めて知った。
自分の腕の中で眠っている緑の髪の少女を見ながら幻獣神バハムートはそんなことを思っていた。
この少女は、仲間に無理をいって何度もバハムートのもとに通ってくれた。
少女とその仲間達は、この月の地下渓谷に何度も行き、何度も傷ついて戻ってくる。そこで成さなければいけないことがあるからだ。
毎日傷ついて疲れて地表に戻ってくるたびに、この少女はバハムートのもとに現れる。
そもそも、彼女一人の力でバハムートが待つ洞窟の奥にくる事は難しい。
それを承知でも来ようとしている彼女の気持ちを知り、バハムートは彼が住まう洞窟にいる魔獣達の力を抑えるように念を送った。
この幻獣神に暴れられてはかなわないと魔獣達も嗅ぎ付けているようで、バハムートからの強い念を感じれば、魔獣達はねぐらから出る事なくそっと時間がすぎるのを待つだけだ。それに気付いたリディアは彼に「甘えてもいいのか」と聞く。好きにしろ、と答えたその日から、彼女はもう三日もバハムートのもとにやってきていた。
「・・・疲れたのか」
今日もいつものようにやってきたリディアは、二言三言バハムートとかわしてから疲れのあまりふっと突然眠りについてしまった。
ごつごつとした岩の上に座っていた彼女の身体がぐらりと揺れたとき、バハムートは咄嗟に彼女を抱き留めた。
それがあまりに自分らしくない行動だったと彼は思う。腕の中のリディアは静かな寝息をたてている。自分以外の生物の体温を感じるのは一体どれくらいぶりだろう?いつも彼の両脇に控えている二人は所詮は彼の体の一部であったから、彼は彼以外の生物に触れる事はここ何十年となかったはずだ。腕の中の生物は柔らかくて温かくて彼を戸惑わせる。
何も心を動かされず、ただ真実だけを受け入れる。自分はそういう生物だと思っていた。
自分が作った幻獣達が平和に暮らしているか、ということだけが彼の関心ごとだったし、そのために青き星が平和であればよいな、と思う程度しか彼の感情の起伏はない。
それがどうしたことだ?この少女に出会ってから。
まじまじとバハムートはリディアの顔を覗き込んだ。
長い睫毛、柔らかくて少し量が多い緑の髪、まっすぐ通った鼻筋に、僅かに開いた、薄くなく厚すぎない唇。
自分を召喚する力を持つ、幻界で成長した美しい召喚士。
バハムートは幻獣だから、自分を召喚してくれる召喚士を愛して当然だったし、そして召喚されることに何者にも代え難い喜びを見出すことが出来る。少なくとも彼が今までの長い生の中、彼を呼び出すことが出来たわずかな召喚士に対しては、深い愛情を持っていたような気もするし、召喚されたときの喜びは言葉にすることも出来ない素晴らしいものだった。
けれど、この数日、彼にとってはもっと喜ばしい、何者にも代え難いものをこの少女は彼に与えてくれていた。
「バハムート」
彼女が嬉しそうにやってきて、彼の名を呼ぶ。
笑顔と共に彼の鼓膜を振るわせる彼女のその声。
それは、彼を召喚するときの呼びかけとはまったく異なる響きをもっている。
彼女が洞窟に一歩足を踏み入れた瞬間、彼女がここに向かってくるだろうということがすぐにバハムートにはわかる。
が、わかっていながらも、彼がいるこの最奥のフロアにこの少女が姿を見せて彼の名を呼ぶ瞬間、バハムートは自分の感情が大きく揺れる事に気付いていた。
そして、彼女が「じゃあ、もう帰るね」と言って彼の目の前から去るとき。
同じように彼の感情は大きく揺れて、そして思うのだ。
この少女が欲しい、と。
馬鹿馬鹿しいと自分でも思う。
それでも彼は自分の心の動きを冷静に分析していたから、馬鹿馬鹿しいかどうかは別として実際に自分が彼女に対して並み並みならぬ愛情を感じている事を簡単にすんなりと理解していた。人間のように認めたくない事実をなんとかねじまげようとしたり、なかったことにしようとするような行為を幻獣達は行わない。それはとてもいいところでもあり悪いところでもあるけれど。
そんなわけだから、この緑の髪の少女に対して、自分があまりにも深い愛情を感じている事、欲しいと思っている事をバハムートは否定しない。
それどころか冷静に分析して、例えこの少女が自分を召喚する力がないとしても、彼女への思いはまったく変わらないのだろうということも彼は自分で把握をしていた。
「う・・・ん」
そのとき、彼女が体を動かす。
「目覚めたか」
「あれ?」
ぱち、ぱち、と何度か瞬きをして、それから自分の状況に気付いたようにリディアは驚いて叫んだ。
「わあっ!?バハムート、な、何?何?」
「何、とは?」
バハムートは彼女の言葉の意味がわからず、驚きもしないで静かに問い掛けた。
彼はリディアが座っていた、少し高くなっている岩場に腰をおろしてリディアを膝の上で抱いていた。それは決して他意があったわけではなくて、ごつごつした岩場に横たわせるのも可哀相だと思った、というだけのことだったけれど。
「ど、どうして、こんな・・・」
かあっとリディアは赤くなって、バハムートの腕を掴んで押しやろうとする。それがどういう意味の抵抗なのかバハムートはわからずに、ただ思っただけのことを口に出す。
「・・・なんだかわからないが・・・もう少し休んでいたらどうだ?お前は疲れが体から抜けないうちにここに来たようだ。きちんと体力を回復してからくればいいものを」
「・・・だって、早くバハムートに会いたかったから・・・リディアに会いたくないっていうなら、こないけど・・・」
それには拗ねたようにリディアは言った。それから少々困ったような表情で続ける。
「休んでいたらっていうけど・・・このままで?」
「何か不都合があるのか?」
「だって、バハムート・・・普通、こんなに簡単に女の人のこと、抱きしめないよ?」
バハムートは現在ほとんどの時間、自分を人間の男性の姿に形どっている。(それには彼なりの理由があるのだけれど)だからこそリディアもとまどい、抱きしめられているままでもいいのか躊躇してしまうのだろう。龍の姿ならばいいのだろうか?とバハムートはふと思うが、それでは彼のごつごつした鱗で彼女の身体が傷ついてしまう。やはり、これで正解ではないか、と思えるのだが・・・
「・・・そうか。そういうものかもしれないな。私は幻獣なのだが、気になるか」
人間達の生態を思い出したように呑気にバハムートはそう言った。その言葉を聞いてからリディアは苦笑して
「うん・・・ちょっとだけ。でも、そうだよね、バハムートは幻獣だもんね。いつも人間の男の人の形をしてるけど・・・。バハムートがいやじゃないなら・・・このままもう少し目を閉じていてもいーい?」
「問題ない」
「ありがとう・・・バハムートってなんでこんなに優しいの?」
「優しい・・・?」
「うん」
そういってリディアはそっと目を閉じた。
「優しい、とはどういうことだ?」
「うーんと、リディアによくしてくれてるから・・・それが優しい、ってことかな」
「・・」
腕の中の生き物から、ことん、と力が抜けた。そっとその体を愛しそうに幻獣神は軽く抱きしめてやる。
まだ母親の腕が恋しい時期に母親を失ってしまったこの少女は、目を閉じたままでバハムートに体を摺り寄せた。幻獣達は子供を抱きしめる、という行為はあまりしないから、幻界にいてもリディアは母親のぬくもりの代わりになるものは得られなかったのだろう。
わずかに擦り寄るその動き。
バハムートも瞳を閉じた。

だって、早くバハムートに会いたかったから

彼女の言葉が頭の中で何度も木霊するような気すらした。
許されたと思ってもいいのだろうか。
何か特定のものに自分が心捕らわれる事を。
偉大な力を持つがゆえに人との交信を避けてここにいる自分が、この腕の中の少女に心を奪われて、自分がもつ力のすべてを彼女に捧げたいと思う事は、幻獣神としてあってはいけない感情なのだろうか?
誰からの許しを求めているのかバハムートは自分でわからない。
けれど、自分が幻獣を産み出したように、誰かがきっと自分を産み出したのだろう。
その、自分という生命を作り出した、彼が知る事が出来ない彼にとってだけの神は、彼がこの少女に心捕らわれる事を許してくれるのだろうか。
その思いに答えてくれる、自分を産み出したものをバハムートは知らない。
だから、彼に対して答えを作るのも、いつだって自分自身だとバハムートは思っていた。
「愛しき娘よ」
金色の瞳を開けてそっと名の代わりに彼にとっての名を呼ぶ。
少女は静かに寝息をたてて、バハムートの腕の中で完全に安心しきって眠りについていた。
この少女を欲しい、という感情は、何故沸き上がるのだろうか?
今まで感じた事がないその気持ちに揺さぶられてバハムートはそっとリディアの緑の髪に触れた。
誰が答えをくれるのか、バハムートは今はわからなかった。
けれど、腕の中のこの生き物が次に目を開けたとき。
何故ここに来たのか、聞いてみなければいけないと思いながらそっといつまでもその寝顔を飽きずに見つめるのだった。
彼女の言葉が、彼への答えになるような、そんな、気がした。

何故、ここにお前は来るのだ?

その言葉でいいのだろうか?
バハムートは彼女の長い睫毛を見つめながら次にはそんなことを考える。
その言葉で、この少女はバハムートに答える事が出来るのだろうか?バハムートが期待している答えを教えてくれるのだろうか?
そんなことすら思い悩む自分を、今までにバハムートは知らない。
数少ない、自分を召喚出来る一生のうちに何度会えるかわからない貴重な召喚士相手だから、こんなにも自分は些細な事で悩んでしまうのだろうか?
それも、バハムートにとっては答えが出ないことだった。
「お前は、わたしにそれも教えてくれるのだろうか?」
リディアからの返事はない。
規則正しく上下する胸元はこの少女が生きているという事をバハムートに伝えたし、その動きをみることで何かほっとするものをバハムートは感じる事ができる。一体それもどういうことなのだろう?
「・・・幻獣神ともあろう私が・・・」
きっと。
答えはバハムートが知らないものなのだろう。
バハムートは生まれて初めて手に入れた大切な小動物を慈しむように、リディアをそうっと抱き起こして軽く抱きしめた。
それすら、一体どうして自分がそんなことをしたのか彼にはわからないけれど。
普通、こんなに簡単に女の人のことを抱きしめない、とリディアは言った。
けれど、彼女の言う「普通」がバハムートにはわからない。
ただ、彼は繰り返し繰り返し思うだけなのだ。
彼女を、欲しい、と。
バハムートは彼女を軽く抱きしめたままでもう一度瞳を閉じた。
彼の耳に、ハミングウェイ達の美しい歌声だけが飛び込んで来た。
なんという悲しくて美しい音色だろうか。いつもハミングウェイ達は心を揺さ振るような不思議な歌を歌っている。
けれども、彼の感情は微動だにしなかった。どんどんその思いは深く強くなっていく気すらする。
彼の思いは繰り返し繰り返し。
強く強く深く深くこの静かな永遠に時が止まるように思える月の洞窟で強く渦巻くのだった。
何一つ望む事なく生きている幻獣神の願いは、誰に届くのだろうか。

ただ、この少女が欲しい。

その思いが、まるで宇宙を震わせるほどに強く、そして深いものだとまだ彼自身わかってはいなかったけれど。


Fin


モドル

そして、静かに静かに、彼の恋は始まったのです。


Atellier Paprika様


女の子お絵かき掲示板ナスカiPhone修理