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グラヴィトン画像を壁紙(PC)に入れるとどうなるのだろう。

 

 21世紀を記念する(?)年賀状を作っている最中に、主人は偶然にもグラヴィトン画像をプリントアウトする事ができるようになった。そこから出てくるエネルギーの気持ちよさに目をつけ、関博士の言われる「結界を張る」という事を思い出し、この紙で結界を張るとどうなるだろうと、早速試しみた。
 まずはその前に主人はとりあえず、十枚くらい画像をプリントアウトして洋服ダンスの扉を開けて、その両方の内側に貼り付けていった。その間に立ってみた主人は「あぁ、気持ちいいわ。ちょっと試してみ。」これで味を占めた主人は、リビングと寝室の四隅にその紙を貼っていった。  
 結果は関博士の言われるとおりに確かに心地がいい。ついでにベッドのマットレスの上にも、ベッドパッドとの間にプリントアウトした紙を敷き詰めてみた。横になるとカシャカシャとうるさいが、やっぱり気持ちがいい。何か空気が変わるというか、すがすがしい気持ちになる。
  
 状態を目にする事が出来ないので、感じる事ができない人に、この「目には見えないけれど感じる状態」を言葉で説明するには難しすぎる。この感覚は五感の中のどれにも属するものではないのだろうか。でも、私には「ジーンと重いような感じ」とか、頭痛がひいていくときの心地よさとかで、確かに何らかのパワー、もしくはエネルギーが出ているであろう事は間違いなく感じられる。それらを感じているのは、どう見ても自分が持てる五感の感覚器官で感じ取っているようにしか思えない。それとも私には第六感というものが身についているのだろうか。 

 確かに今まで生きてきた中で、いわゆる「虫の知らせ」のようなものを体験した事は何度かある。長らく連絡を取っていなかった友達を思い出していると、不意にその友達が電話をかけてきてくれたり、その日に手紙を受け取ったりするのである。でもこうした出来事はそんなに毎日のように起こる事ではないし、幸か不幸か私は今まで一度も幽霊、もしくは幽霊のようなものに出くわした事がない。
 ところが主人の作ったこの紙は、少なくとも私の場合、いつでも感じ取ろうとちょっと神経を集中してみれば感じ取る事が出来るのだ。
 それはまるで、私がそこに神経を集中していると、その紙から出てくる何かのエネルギーが手伝ってくれて、脳の中で今まで使っていなかった部分に感覚センサーの先が触れるような感じだ。

 関博士が本の中で、『人間の脳にある、尾状核といわれる部分の中には、数百万本のアンテナのようなものが入っていて、普通の人はそれらが視床下部とはつながっていないために、高い周波数の情報が入ってきてもそれを顕在意識で分かる事が出来ないが、密教の行者や高僧、仙人や武道家などの修行を積んできた人たちは、この尾状核が視床下部とつながっているのかも知れない。』というような事を述べておられたが、まさにそんな感じだ。もっとも、私は密教の行者さんや高僧などではなく、ただの主婦だ。
 そんなこんなでいろいろと思いながら、このエネルギーをもっと効率よく、有効に使う方法はないものかと考えた。
 主人はプリントアウトする事が出来るのなら、この画像をPCの壁紙に使うとどうだろう、と言い出して試してみた。ひょっとしてコンピューターを使うのがしんどくならずに済むかも知れない。
 早速壁紙に取り込んでみた。私はほとんど何もその時は感じられなかった。主人は画像が出た瞬間にスクリーンからくる圧迫感がなくなった、と驚いていた。しばらくすると、私もなんとなく分かってきた。なるほど、確かにコンピューターからくる威圧感のようなものがあまり感じられないような気がする。気のせいだろうか。
 その後も主人は引き続き自分の疑問の赴くまま、次々といろいろと試していった。その中で、画像を重ねているうちに、どうもエネルギーが、画像をスクリーン上で重ねていくたびに強くなっているらしい事に気がつく。
 何度か同じ画像を重ね続けたものをプリントアウトして試す。確かに初めのものよりも明らかに強く感じる。今度はその同じ画像を何枚かプリントアウトして束にして持ってみる。するとどうだろう、今度は束にして持った紙の方が、一枚のときよりも強く感じるのだ。どうやら、このグラヴィトン画像は重ねていく事で、エネルギーを増していくもののようだ。
 このことに気づいた主人は、それからは家にいるときはほとんどコンピューターの前で過ごすようになる。取り付かれたように、ひたすらスクリーンの中で画像を重ねて貼り付ける、この作業を繰り返すのだ。
 その姿はまるで、何かにせかされているような、させられているような感じだった。
 一度その印象を主人に話した事がある。すると主人も全く同じ様に感じていたらしい。主人自身もまた、何か大きな、偉大な意思のようなものにせかされて、せっつかれてさせられているみたいだ、と話してくれた。自分でもなぜこんなに必死になって、こんなにも単調な作業を続けているのか分からない、と言っていた。でも、せずにはいられないらしい。主人はこのような「単調な作業の繰り返し」が本当に苦手な人で、飽きっぽい人なのだ。私もまたその点においては全く同じ性格である。続ける事が本当に苦手だ。
 そんな主人の性格を知っているだけに、主人のコンピューターに向かう姿は時に異様にも思えた。ただ同じ作業を繰り返しているだけなのである。信じられなかった。つづき


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