top  グラヴィトン グラヴィトンの簡単な説明 グラヴィト二クス 電磁波予防 グラヴィトン画像他色々 tryout

神様って何だろう?宗教って何だろう?

 我が家に突如として現れたグラヴィトン、幸か不幸かこの『磁石』のおかげで、いろんな物事に目覚めさせてもらえた。自慢ではないが、今までろくに勉強もしないでほろほろと、ただ何となく生きてきた私にとっては、今ほど家事に、育児に、家庭菜園に、記録を書き留める事に、そしてそのための勉強にと、目まぐるしくも充実しまくった毎日を送る事ができるなんて、考えられない事だった。今の私ほど幸せな、おめでたい人は、きっと世界中どこを探してもいないはずだ、と言い切れてしまうくらい満たされた日々を送っている。
 なにに感謝すればいいのだろう・・・。神様ありがとうございます。でも神様って・・・。『磁石』でしょ
??これって、この『磁石』って神様なの? 
 
ただの磁石やん・・・。でもここから出てくるエネルギーについて調べていくうちに、少なくとも私は、今までは専門家にしか許されていなかったであろう事にまで、目を向ける事ができたし、ものすごくいい勉強をさせてもらえたと思っている。また今までの自分にはおよそ経験できないだろうと思えるような人々とも、直接もしくは間接的に会わせて頂けた。
 このことは、私の人生にとって大変貴重な出来事だ。
 
 こうしたいろんな事との出会いは間違いなく『磁石』のおかげだ。案外、「神様」の正体って、実はこうしたものだったりするのかなぁ・・・。
 実際、水の神様のほこらのあるところに行って来て主人が体験したのは、グラヴィトンだったし、八幡神社の正月祈祷で体験したのもグラヴィトンだった。
 昔の人たちには、今のような形の科学がなかったため、自分たちの経験と直感を信じた結果、何か実態は見えないが、畏れ多いような、厳かな気持ちにさせる場所を「神様のおわします所」という事で、一目置いているうちに、いつの間にかそこが神社や神聖な場所としての使われ方をするようになったのではないか。
 一方、現代を生きる私達は、自分たちの遺伝子の仕組みに至るまで、「科学」という名の「水戸黄門の印籠」を見せ付けて、徹底的に調べ上げてきた。
 それは「いい事」とか「悪い事」とかで判断する、またはできるようなものではないが、その様子はさながら、全くの他人の家に突然上がりこんで押入れの中から、冷蔵庫の中身から、果ては通帳の残金に至るまでを「何の意味もなく」ただ徹底的に調べ上げる、「プライバシーの侵害」に見えなくもない。

 この先も、私たちがこれまで信じてきた「科学」はこの調子で、「宇宙の掟」までも徹底的に調べ上げていくのだろう・・・。一体何のために??
 しかし同時に、関英男博士の著書を元にここまで話を発展させる事ができたのも事実である。彼は、工学博士だ。紛れもなく「科学」を追究する科学者だ。今回主人が作ってしまった、この『磁石』が「ただの磁石ではない」事を証明できたとしたら、彼のおかげを無くしてはできないはずである。
 とすると関英男博士もまた「神様」である。
 こうした事を考えていくと、物事全てには「いい面」と「悪い面」の両方が存在している事に気づかされる。どこかで聞いた事があるような・・・。「日本神道」の考え方ではないか・・・。
 えっ?なになに・・・?じゃあ、「科学」って実は「宗教」だったの??じゃあ、「宗教」って一体なに?「宗教」って「科学する」ことなの?「科学」って「宗教する」ことだったの??それともこれって、日本独自の考え方なの???なんだか考えがまとまらないような気もするが、不思議と納得するというか、ふに落ちてしまっているのはなぜなんだろう? 
 前にも触れたが、実は我が家では三女が産まれる前から、産後にかけてオーペアの同居人がいた。その中の一人にポーランドからやってきた子がいたが、彼女とキリスト教と日本神道の考え方の違いについての話になった事がある。
 彼女はカソリック教徒で、ポーランドにいたときは他の地元の人たちと同様、毎週日曜日には教会に行っていた、典型的なキリスト教徒だった。ただ、彼女に言わせると、成長していくに従って、どうしても自分の宗教の考え方についていけないところがでて来て、ヨーロッパの習慣でもある、教会に行く事が自分の中で重荷になっていったそうだ。
 彼女がついていけなかった考え方とは何か・・・。「悪い事をしたら地獄に落ちる」という一見、私たち日本人から見ても、何の不思議もない、当たり前と言えば、当たり前の事だった。でも彼女がいうには、「地獄へ落ちたものは救われない」という続きがあるのだ。要するに、「一度地獄へ落ちてしまったものは二度とそこから這い上がる事はできないし、やり直しは認めない。」という考え方が根底にあるらしいのだ。いわゆる、「善」と「悪」との二元論の考え方である。「いい」か「悪い」か、「YES」か「NO」か、「人は皆、この二つのうちのどちらかに属する」という考え方である。
 なるほど、それはしんどい事だ・・・。「善は絶対善」で「悪は絶対悪」なんて簡単にいえば、誰が見ても「いい人」が、実は万引きの常習犯だった・・・、なんてことは存在しないし、第一存在してはならない、「いい人はずうっといい人でいなくちゃだめなのよ!!」と決め付けられた世界観である。逆にいえば、「人殺しをした人は、電車に乗った時、しんどそうなおばあちゃんに座席を譲るような事」なんか絶対してはいけないのである。なぜなら、「おばあちゃんに席を譲る」のは「いい人」のする事だから・・・。「いい人」のすべき事なのである。そう決まっているのである。
 これではしんどい世界になってしまうだろう・・・。「いい人」はある意味での息抜きができなくなるだろうし(万引きが息抜きだとは思わないが・・・、念のため)、「悪い人」はこれまた良い事をさせてもらえないのだ。そんなの、特に「悪い人」になってしまった人には、やり直しが効かない悲しすぎる世界観だ・・・。
 そこへ行くと、「日本神道」の考え方は、単純明快、一元論である。「良いも、悪いも皆一緒」これである。同じ一人の人に「良い面、悪い面」が同居して、絶えずバランスを取って生きているのが本来の姿である、という考え方である。
 もっとも、この発想の発展した姿が「持ちつ持たれつ」だし、「なぁなぁの文化」だし、果ては、海外の人が嫌うという「談合社会」にまで行き着いてしまうのだろう・・・。ただ、私個人は「談合社会」が「悪である」とはやっぱり決め付けられない。良くも悪くも、それが事実だからである。私もまた、それが本来の姿の一つであると思っている。
 関英男博士によると、グラヴィトンには「モノ」を、本来それが持っているはずの性質に戻す、元に戻す作用があるらしい。主人の『磁石』から出ているエネルギーも、それを試してくれた人達の話を聞いてみると、この「元に戻す」という作用が納得できる。
 やっぱりこの『磁石』から出ている「何か」は、関博士の著書にあった、グラヴィトンなんだろうか・・・。
 早くこのことを証明できるようになりたいし、また、証明できる人に出会いたいものである。
 今まで体験してきた事は、一体なんだったのか。自分とは何かを改めて見つめさせてくれた、この主人の発明品から出るエネルギーで、一人でも多くの人が、自分の未来と自分に与えられていたはずの『役割の存在』に、一日も早く気づいてくれる事を願ってやまない。つづき


女の子お絵かき掲示板ナスカiPhone修理