Silence Suzuka

HNは初恋のお馬さんサイレンススズカ号から頂きました。
彼の思い出など当時の日記を元に。



<出会い> 97年夏 競馬ゲームに明け暮れていた。



友人の薦めでPS版競走馬育成ゲームにはまっていた。
自宅では部屋に篭って睡眠時間を削り
友人宅にお泊りにいっては外が明るくなるまで
一晩中、調教・レースを繰り返して過ごした。
実際の競馬もほとんど見ることがなかった為
競馬用語とゲーム攻略法欲しさに、各週発売の
雑誌を買い求めるようになっていた。
その雑誌はゲーム情報と競馬の情報の両方を扱っていて
競馬漫画もあり当時は原るみかさんが連載していた。
神戸新聞杯ネタでサイレンススズカと
シルクジャスティスのキャラに大笑いし、実物の
サイレンススズカがどんなお馬なのか興味を
持った。雑誌の競走馬の近況で彼の顔を知り
その派手な流星とぴかぴかの栗毛に完全に
まいってしまった。


<探して> 97年秋 競馬雑誌の多さに驚いていた。



サイレンススズカの事で知っているのは彼の名前と顔だけ。
いつどんなレースに出るのかも解らない。
情報を仕入れる為、書店で片っ端から雑誌をめくり彼の記事を探した。
競馬雑誌は数あれど、なかなか彼の記事には巡り会えなかった。
持ち味のスピードを活かす為、クラッシック最終戦の
菊花賞には進まずに、中距離路線を選択。
古馬を相手に苦戦していた時期だった。
レース結果に名前を見つけがっかりした事が
何回か続いたのち、香港遠征する事を知った。

12月14日(日)
香港国際カップ参戦。武豊騎手騎乗でのレース。
結果は5着だったがレースに出る事を把握して
いたのははじめてだったので、とにかく嬉しかった。
(実際にこのレースを見ることが出来たのは1年後彼が亡くなってから)


<緊張> 98年冬 正座をしてTV中継をみていた。


2月14日(土)
バレンタインS 4馬身差勝ち
どんよりとした曇り空で湿気を帯びた寒さだったのを
はっきりと憶えているくらい印象に残っている。
リアルタイムでレースを見たくて、急いで仕事から帰り
正座しドキドキしながら出走時間を待つ。
はじめて見たレースで4馬身差の快勝!もう、彼に夢中状態。
強い!強い!と大喜び。
まるで自分だけの宝物を見つけたかのような気分。
デビュー当時、評価の高かった事など知らなかったし
この頃やっと彼の父・サンデーサイレンスが
超大物種牡馬だと言う事を知った程度の知識である。

そして、はじめて見たレース結果の記事を嬉々として集めていた。

3月15日(日)
中山記念 1・3/4馬身差勝ち
初の重賞ウイナーとなったこのレースを私は
リアルタイムで見てはいなかった。
友人達と大阪・海遊館にマンボウを見に出かけていたのだ。
当然、ビデオ録画して行ったが、絶対に負けないという
何の根拠もないが、自信だけはあったから。


<大笑い> 98年春 負ける心配なんて全くしていなかった。


4月18日(土)
小倉大賞典 3馬身差勝ち
中京開催での小倉大賞典。
土曜日は仕事なので競馬場観戦に行くべきか悩んでいた。
競馬場に行った事がなかったので、少々不安だったのと
土曜日の休みが取り難かったから。
結果休みも取れず、出走時刻にギリギリで帰宅し
なんとかリアルタイムでレース見ることが出来た。
まったく負ける気はしなかったので母と二人して
大笑いしながら見ていた。

連勝していても月間誌に大々的に取り上げてもらえる程ではなく
地元スポーツ紙に掲載された写真を切り抜いたりしていた。
まだ週刊の競馬誌がコンビニに置かれている事も知らなかった。

5月30日(土)
金鯱賞 大差勝ち
続けて中京開催に出走、しかもまた土曜日。
良馬場の大差勝ちってのは余りない事らしい。
きっとまた中京に来るだろし
いつでも見に行けるだろうと観戦を断念。
『いつでも』は競走馬にはナイって事をこの5ヶ月後知り
未だに後悔している。

ほとんど雑誌に取り上げられないので
自分で彼の絵を描いたりしていた。
しかし、絵心がなくへっぽこなので
新聞の切抜きを拡大コピーしてマーカーで
塗り絵しポスター替わりにして満足していた。
今も飾ってあるけど(爆)


<安堵> 98年夏 まだまだ本当の価値がわかっていなかった。


宝塚記念のファン投票にはじめて投票した。
10馬選出できるのだが、そんなに解るお馬がいない(爆)
同厩舎・同馬主のゴーイング
スズカと2頭だけ記入し満足していた。

7月12日(日)
宝塚記念 3/4馬身差勝ち
南井騎手騎乗が嬉しくてたまらない。
知人の奥様が昔、南井さんの家庭教師をしていた
(事実関係は不明)という話しを聞いた事があって
気になるジョッキーだったから。
緊張してTVの前に正座する。
パドックでも本場場入場後も度々映し出される彼の姿に
『さすがにG1の一番人気は違うねぇ』と
ピントのズレた感心をしていた。
ゲート内でメジロブライトが立ち上がり
しばし馬体検査の時間が取られ、少し不安になったのは
弥生賞でのゲートくぐり事件を何かの記事で知っていたから。
でも、本人(馬)は落ちついていたので
『大人になったね〜、スズカ』と気分はすっかり保護者になっていた。
レースの流れや最後にしっぽを振って苦しがっていたなんて事は
解らないから、G1獲った事が嬉しくて
『これで彼の評価が上がるに違いない!』と喜んでいた。
彼は目の下にクマを作っていたが、馬服を掛けられグルグルと
引かれている姿が今も忘れられない。

後日、スポーツ紙の通販で宝塚記念のパネルを購入した。
普通、ゴール前の物を求めるのかもしれないが
私がチョイスしたのは記念写真で南井騎手が
右腕を高く上げているヤツ。
だってスズカの顔がちゃんと写っているのが欲しかったんだもん。
宝塚記念後、彼は休養に入った。
レースには出ていなくても、雑誌でガンガン
取り上げられるので寂しくはナイ。
掌を返したように特集・賞賛の嵐である。
この時期は書店にある競馬雑誌は
手当たり次第に購入し、扱いの違いに不満すら憶えていた。


<不安> 98年秋 虫の知らせに脅えていた。


海外レースへの参戦と種牡馬として海外から
オファーがあるという報道に、追っかけの決意をしていた。
海外で繁殖に上がったら飛行機苦手だって
年に1回は会いに行くぞ、てな具合。
そして秋のローテーションが不安だった。
毎日王冠後、中2週で天皇賞・秋に登録されていたから。
休養中に特集された記事の中には、担当の加茂さんのコメントで
あれだけのスピードでありながら脚には不安がないと
言うような記事があった。それを読んでも不安だった。
自分で見るようになってからは、ずっと1ヶ月間隔だったから
故障したらどうすんの!って。事ある毎母に訴えていた。

10月11日(日)
毎日王冠 2・1/2馬身差勝ち
不敗の4歳外国産馬、エルコンドルパサーとグラスワンダーとの
対決に13万の観衆が集まっていた頃、私は美容院にいた。
今までのように余裕で出かけていた訳ではナイ。
時間を計算して昼前に出掛けたにも関わらず
髪が長過ぎて普通より時間が掛かったのだ。
時計を見ながらハラハラ・イライラしていたものの
3時を廻ってもまだブローの終わっていない状況に
リアルタイムでの観戦は諦めない訳にはいかなかった。
発走時刻を過ぎようやく支払いを済ませ
自宅まで走ってもどる。(徒歩1分の距離)
すでにレースは終わり誇らしげに、ウイニングランをしている。
何で?GUでしょ?これで引退でもあるまいしって苦々しく見ていた。

ここからは毎日不安でたまらなかった。
自宅に届くスポーツ紙を見ながら
毎日、母にいかに心配なのか訴える。
勝つとか負けるとかじゃなくて
怪我が心配で仕方なかったのよ。


<…> 98年冬 競走馬の脆さを知った。


11月1日(日)
天皇賞・秋
98年の最大の目標だった天皇賞・秋。
秋の傾きかけた陽の光を浴び
本馬場入場した栗毛の彼は金色に光っていた。
ラチ沿いをゆっくりお辞儀をするかのように歩く姿に
大丈夫、大丈夫と繰り返しつぶやいていた。
ここ10年、一番人気は勝てていない。
府中の2000mには魔物が棲むという。
そんな記事をいくつも見たが決して信じていた訳ではない。





ゲートが開く。


スムーズに出馬しハナを奪うとグングン加速する。


後続馬との差が広がる。


2番手・同脚質のサイレントハンターまで10数馬身。


後続はさらに7馬身以上の差ができていた。


彼の姿が、一瞬 大欅でさえぎられた。


次の瞬間


後続馬との差が一気に縮まる。


故障だと気付いたのと絶叫したのは同時だった。







競走馬の骨折がどんな事なのかその時は知らなかった。
TV中継が終わり、彼の怪我がどんな様子なのかわからず
泣きながらお見舞いのカードを書き投函した。
帰宅し、もしかしたらニュースで何か解るかも?と
18時のNHKのニュースを点けると


『故障で競争を中止したサイレンススズカは粉砕骨折の為、安楽死処置がとられました』


想像していた結果を上回るものだった。




ほとんど眠れないまま、仕事に出た。
途中、コンビニに寄り全てのスポーツ紙を購入する。
辛くても、今買わないと2度と手に入らない。
事情を知っている上司や知人が心配して声を掛けてくれたが余裕がない。
全く仕事になっていなかったが自分でもどうする事も出来なかった。


しばらくして書店に出掛けると、追悼雑誌が出ているのを見つけた。
競馬中継はおろか記事すら読む事が出来ない状態だったが
買い求めお隣のファミレスでぱらぱらとめくってみる。
辛くて途中で見ることすら出来なくなってしまった。


競走馬として素晴らしいお馬だった事
関係者の方々やFANにとても愛されていたこと
亡くなってからその素晴らしさを改めて知る事となりました。



彼が亡くなって数多くの本が出版され
中にはFANの方が中心になって出版されたものもあり
多くのFANサイトが存在します。
私には技術が伴わないので思い出を綴るのが精一杯。
でも、彼の事を語り継ぎたいという思いはいっぱいです。
『サイレンススズカ』というお馬が居たんだなって
記憶のすみっこに置いていただけると幸いです。


2000年 JRA主催のファン投票
『20世紀の名馬ベスト1000』の第4位に
サイレンススズカ選ばれました。

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