向き合った、その男の、表情が。
何故だかとても、心に染みた。































どろりとしたものが、身体を駆け巡った。
それは、何なのか。考えようとした思考は、途切れる。


「・・・何か、言えよ」


弱々しい声。それが何だか無性におかしくて、劉備はうっすらと笑う。
劉備と対峙する男、凌統は、眉をきゅっと顰めた。


「あんた、自分の立場、わかってんのか?」


何処か忌々しげに吐き捨てられた言葉に、劉備の笑みが消える。
笑みが消えると同時に、表情が全て、消えた。


「俺は、あんたを、あんたの国を、」


どろり。
また、だ。


「・・・壊すために、ここにいるんだぜ」


劉備は、その声を何処か遠くで聞いていた。
身体を駆け巡る、どろりとしたもの。
その何ともいえない感覚に、一瞬だけ目を細める。


「何とか、言えよ。なぁ、抵抗とか、しろよ」


無表情の劉備に不気味さを覚えたのか、凌統は劉備の手首を、掴んだ。
まやかしだと思ったのだろうか、異様なまでに、力を込めて。
まるで、逃がさない、と言わんばかりのその力に、劉備は再び笑う。


「面白いなぁ、と、思って」


劉備が、言った。
それと同時に、どろり。


「私より、私以外の者が、私や、私の国のことを考えているだなんて」


本当に、面白い。
言い終わって、劉備は目を閉じる。
どろりとしたものが、再び。


「私は、最低だ。漢室復興のため、民のためと謳い建てた蜀が、今、とても」


身体中を駆け巡り、そうして、やっと、出口を見つけた。
涙が、ぼろぼろと溢れる。言葉が、じわりと溢れる。


「・・・とても・・・色褪せている・・・」


懺悔。凌統の頭に、その単語がよぎった。
救いを、助けを、求めている。
そしてそれは、蜀将では務まらない。


「おかしいものだ。天下も、漢室も、何もかもが、とても・・・」


夷陵は、炎に包まれている。
炎と、人の血と。夷陵は、今、赤く染まっている。
自嘲と懺悔の入り交じった劉備は、それに酷く似合う。
混沌とした赤い戦の場と、その、劉備の表情が。


「・・・それじゃあ、全部、捨てんのかい?」


凌統の背が、ぞくりとした。
おかしな程に、心が沸く。


「それがな」


劉備が、笑う。困ったような、笑み。
凌統は、無意識に唇を舐めた。


「私は、厄介な性格らしい。色褪せているのに、捨てることもできない」


舐めて、凌統は己の唇が酷く乾燥していることに気付く。
唇が乾くのは、この、乾燥した空気のせいなのか。それとも。
考えて、凌統は、低い声で、小さく小さく、呻くように笑う。


「それなら、俺が」


劉備の腕を握る力を、更に強めた。
痛くないはずはないのに、劉備は顔色一つ変えない。


「捨てさせて、やる」


言われ、劉備の身体を、また、どろりとした何かが、走る。
それはとても苦く、また、甘い、ということに、気付いた。


「それから、俺を、あんたに刻み付けてやる」


劉備が、どろりとした感覚を味わい、小さく喉を鳴らす。
それが何かの合図になったかのように、凌統が動いた。
あの、ぞくりとした、感覚。あれは、よく知っているもの。


「鮮明に、色褪せることなんて無いほどに」


あれは、欲情、だ。
今まで感じた中で、一番、強烈な。


「狂ったか、呉の猛将」


初めて、劉備が抵抗した。
腕を掴む凌統の手を振り解こうと、暴れた。
凌統は笑い、更に力を込める。
骨が軋む、音がした。


「狂う・・・。そうかもな、そうだよ、狂ってんのさ」


凌統が、劉備の喉に舌を這わせる。
ぐっ、と、劉備が喉の奥で悲鳴を上げた。


「でも、狂ってんのは、あんたも一緒だ」


言いながら、凌統は、今度は劉備の顎へと舌を這わせた。
涙の味が、ほのかに混じる。


「・・・そしてあんたは、更に狂うことを欲してる。違うかい?」


がくり、と、劉備の足から力が抜ける。
地面にへたり込む劉備を、凌統はそのまま押し倒した。


「あんたは、俺に、それを頼んでる。だから、俺は刻み付ける」


どろり。
劉備の身体に、また。


「あんたを、救ってやる。その代わり、あんたは、俺のものだ」


劉備は、気付いた。これは、己の心だ、と。
心の鬱積が、身体中を駆け巡る。
凌統の言葉が、鬱積を酷く活発にさせる。


「嫌だ。・・・駄目だ」


この、どろりとした感覚が、すべてを壊して溢れかえるときは。
それは、己を放棄した瞬間に、間違いない。


「抗うか。それもいいさ」


多分、凌統は、劉備を、救える。
凌統は、劉備の色褪せたものを、すべて、破棄できる。
そうして、劉備に手を差し伸べることが、できる。
蜀将には、不可能なことが、できる。


「俺は、あんたがいつまで抗ってられるのか、傍近くで見ててやるよ」


きり、と、劉備の歯が、音を立てた。
抗っている。己にも、凌統にも。


「長期戦、大いに結構。そのほうが救い甲斐もあるってもんさ」


劉備のその姿を見て、凌統の背筋に、ぞくり、と、情欲が走る。
明らかに欲情している凌統の顔を見て、劉備も、どろり、と、例の感覚を味わう。
片方は、押さえきれない衝動に、片方は、何とも言えない感覚に、眉を寄せる。


「救う、とは、何とも、おこがましい」


劉備が、言った。
己に覆いかぶさってくる男。
その目は、何とも狂気染みていて。
それでいて、妙に優しい。


「私は・・・救われるなど・・・!!」


叫ぶように言う劉備の頬に、凌統が、ふわり、と、触れた。
思いのほか柔らかいその感触に、思わず劉備が目を見開く。


「あんたさぁ、蜀の王様やってたって、人間だろ?」


ふわり、ふわり。
凌統は、劉備の頬を撫でる。


「人間ってのは、鬱積貯めっ放しだとキッツイぜ?」


その、凌統の手の感触が、劉備のどろりとしたものを掻き回す。
小さく、幾度も悲鳴を上げ、劉備はその衝動に耐えた。


「俺が、あんたを救う。狂わせて、蜀を奪って、それから」


劉備の息遣いが、荒くなる。
凌統は、目を、ゆるりと細めた。
そうして、背中に走る欲情を味わう。


「それから・・・完全に狂う前に、また、あんたを、救う」


何故、こんなことになったのか。凌統は、心の片隅で考えた。
最初は、組み敷いているこの男を倒すために、ここに。
それでも、この、男は。不思議に、とてもとても綺麗で、優しくて、悲しく。


「俺が傍にいれば、あんたはきっと、救われるんだ」


劉備もまた、どろりとしたものに耐えながら、今の状況を考えた。
目の前の男は、多少、ひねくれはしていても、良い武将の目をしていた。
だから、精一杯戦いに応じよう、と、覚悟をしていたのだが。


「・・・・・・あぁ。そうか」


小さく、劉備は、嘆息する。
同じ、なのだ。多分。


「あなたは・・・私を」


大切なものを、亡くした。
心の底より、愛してくれる人を。
その、穴は。塞がることがなく。
しかし、気丈に立たねばならず。


「必要だと、言って、いるのだな。国も、関係なく、ただ、私だけを」


劉備が、解放されていた片手を凌統へと伸ばした。
その手首にアザが見えたが、劉備は、ふ、と笑って。


「そして、あなたも、国だとか、関係なく・・・必要としてくれる人を」


凌統の目元に、触れた。
途端に、凌統の狂気の色が、強まる。


「私を救う、と、言ったが。あなたも、救われたいのだろう?」


言われ、凌統は、呻く。
まるで、獣のような、声。


「しかしな。私の一番は、やはり、私の義弟たちなのだ」


その言葉と同時に、凌統が劉備の指を掴んだ。
荒く吐いた凌統の息が、劉備の前髪を揺らす。


「それさえも」


凌統が、言う。


「その、一番さえも、越えて、みせる」


言って、凌統は劉備の指に舌を這わせた。
一瞬だけ、ぴくり、と、劉備が震える。


「あんただけが、欲しい。あんたを愛する。あんたも、愛してくれ」


その、自分勝手とも思える、凌統の言葉で。
どろり、としたものが、劉備の心から、溢れて。
ぞくり、としたものが、凌統の心から、溢れた。
お互いの、境界線も、理性も、全て、消えた。
















「・・・それでも」


劉備が、横たわりながら、呟く。
周囲に、人の気配は、無い。


「私は、厄介な性格なんだ。色褪せても、捨てることは、出来ない・・・」


事のあと、凌統が、劉備を抱えて、そして、「ここで待ってな」と。
恐らく、最も安全な場所なのだろう。呉の陣営の近くは。
よもやこんな至近距離に大将首があろうとは、きっと誰も思わない。
その凌統は、劉備を救うべく、色褪せたものを、破棄しに行っている。


「・・・私は、救われては、いけない」


両腕を、手首を、視界に入れた。
くっきりと、アザが残っている。


「あなたを、救ってあげたかった、けれど」


両手首に残ったアザに、口付けた。


「私は、救われるべきでは、ない。だから」


立ち上がる。
ずきりと痛む下腹部に、苦笑した。
愛情も、狂気混じりの欲情の眼差しも。
そして、この鈍い痛みも。
失ったのと同じものを、彼は、己にくれた。


「だから、あなたのいない、ここで、言おうと思う」


結局、己は、救われてしまったのかもしれない。
どろりとした、あの感覚は、消えているのだ。
己は救われて、彼は救われず。あぁ、何と非情なことか。


「私は、あなたを」


言葉を紡ぎ終わった瞬間に、風が吹いた。
届くのか、届かないのか。わからないが。
それでも劉備は微笑んで、そして、走り出した。
















相互リンク記念で虎生さまに捧げます。
凌統×劉備、とのことでしたが、何か救われない話に・・・。
相互リンクっていうおめでたいことなのに、すみません;
どっか狂ってないと、戦になんか出られないよなぁ、なんて考えてましたら
どっか、どころか、全部がおかしくなっていきました。あれ・・・?
凌統は、自分の心の穴には気付いてません。だから、無意識に劉備を欲しました。
劉備は、自分の心の穴に気付いていて、凌統の心の穴にも気付いてます。
結局、誰よりも救いを求めていたのは・・・みたいな話にしたかったハズなんですが。
何か色々と曖昧で申し訳ないです;

こんな作品でもよろしければ、お納めくださいませ。
相互リンク、有り難うございました!


「救」 ―すくいを―





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