いじわる





 嫌な天気だ。朝から湿りを帯びた空気を感じていた。肌が少しむず痒くなるような気がして、空が暗くなってきたと思えば、”奴”が来る。
 僕の苦手な”奴”は、どこか遠回りをしているらしく、ゆっくりと、遠くで太鼓を鳴らすような音を立てている。僕は落ち着かず、部屋に隠れる。
 曹操が貸し与えてくれた許都のこの邸の中にあっても、”奴”からは逃げられないようだ。だんだん音が大きくなる。嫌で嫌で堪らない。
 僕は布団に潜り込んだ。暑苦しいが、仕方がない。子龍でもいてくれれば、まだ気が楽なのに。彼はどこに行ったのか、姿を見せない。いつもは”奴”が近付いてくると、僕の近くにいてくれるのに。
 窓の外が異様な光で満たされる。心の中で六つを数えた頃に、銅鑼のような音がした。まだ少し遠い、が、音は大きい。僕は布団から顔を出し、呼ばわってみた。
「子龍!」
 まるで応えるかのように、窓の外に青白い稲光。僕は布団に潜り込んだ。五つを数えた時に、空の上の銅鑼が響く。
「子龍!」布団に潜り込んだまま、呼んでみた。
 どこかに出かけてしまったのだろうか? そう思い始めていたときに、ようやく、部屋に誰かが入ってくる気配がした。布団から顔を出す。子龍がいた。部屋は既に仄暗い。
「”奴”が来た…」と僕。
「先日、殿はお出かけでしたよね、雷の日に」と彼。
「言うな、名を出せば呼び寄せると、叔父が言っていた」
 稲光が彼を照らし出す。
「もう、殿は雷が怖くないのかと思っておりましたよ」と彼。
 銅鑼のような雷鳴が轟き、僕は布団に潜り込んだ。
「あの日はどうなさっておいででしたか?」
 彼は半ば知っているのだ、僕が夏侯惇元譲と共にいたことを。
「あの日は夏侯惇殿が、遠乗りに誘ってくださったのだ。途中、大雨に降られて難渋した」そして顔を出し、「心配を掛けて申し訳なかったと、何度も謝ったぞ」
 言った瞬間に、雷鳴が轟いた。
「!」僕は慌てて布団に潜り込む。彼が歩み寄ってきて、布団をめくった。
「確かに謝っては戴きましたよ、殿。しかしながら、状況は一つも説明しては下さらないのですね?」と彼。「わたくしがどれほどやきもきしたか。殿がどこで雷を怖がっておいでなのかと、ひどく心配致しましたものを。雷が鳴ったときに、夏侯様にしがみ付きましたか、殿?」
 嫌なことを聞く。
「い、いや」まるで僕の嘘を咎めるように、雷鳴が轟いた。「ふぅ!」
「ほら、殿、嘘をお吐きになると、叱られますよ」と彼。「だいたい、夏侯様にしがみ付いていない、と言うことは、殿がもう、雷を恐れておいでではないと言うことではございませんか? 今、そのように恐れている風なのは、可笑しゅうございますよ」と意地の悪い事を言う。
「それとも、わたくしにしがみ付きたいと仰ってくださるのなら、子龍は少々嬉しゅうございますけどね」
 ごろごろと銅鑼のような雷鳴が響いている。僕は布団に潜り込んだまま、
「もう、どちらでも良いから、近くにいてくれ、子龍」と言った。
「それは聞き捨てなりませぬ。どちらでも良いなどと。雷が怖いのですか?」と彼は寝台に腰を降ろした。「それとも、子龍めをお召し下さるのでしょうかねぇ?」
「勿論、雷が怖い」布団から顔を出して応えた。子龍の顔が稲光で恐ろしげに照らし出された。
「それは残念でございますね、わたくしにも仕事がございますから」と立ち上がりかけた。恐ろしく大きな雷鳴が轟いた。
「!」声もなく、布団に潜り込んだ。
「それでは、殿、失礼致しますよ」
「待て、子龍!」と僕は布団から顔を出した。「頼むから、ここにいてくれ。独りにしないでくれ」
 彼は意地悪に微笑んだ。
「では、わたくしはここに」と言って、寝台の縁に腰掛けた。
 稲光と雷鳴の間隔が短い。音はどんどんひどく大きくなり、布団から顔を出せないくらいだ。
「子龍、もっと近くに」
 彼は寝台の上に上がり、僕の側に這い寄ってきた。
「では、ここに」と言って、愉快そうな表情で寝そべった。僕は布団の中から手を伸ばし、彼の手首を掴んだ。彼の体温で、少し安心できるが、銅鑼のような音にまたもや身をすくめた。
 彼はくすくすと笑うと、僕の布団の中に入ってきた。
「殿、一言、抱いていてくれ、と仰いませ」
 僕は赤面した。
「そ、それは何やら、怪しくないか?」
「おや、そんなことを仰れる余裕がおありですか?」激しく轟く雷鳴に僕は彼にしがみ付いた。「だいたい、大の大人が雷如きを怖がる方が、怪しいのですよ。夏侯様のように、ご存じない方だったら、きっと殿が誘っておいでだと思いますよ?」
「誘う? 何をだ?」僕の言葉に呼応したように、またもや雷鳴が轟いた。
 彼はくすくすと笑う。僕は震えながら口を尖らせた。
「まったく、仕方のない方でらっしゃる」と言った。
「やはり可笑しいか? あれが苦手だと言うのは?」二人で布団の中に包まったまま、震えている図は確かに様にはならない。彼は僕の髪を撫でながら、
「可笑しゅうございますが、わたくしは笑いませんよ」
「散々笑っているではないか」再び轟く銅鑼のような音に、僕は彼にしがみ付いた。
「殿が言い逃れを為さるからです」
「言い逃れなど」言いかけて、雷鳴に息を呑んだ。「意地の悪い物言いばかりして」とややあってから付け加えた。
「殿がはっきりとお命じにならないからです。わたくしにどうして欲しいのか」
 雷鳴がまた轟いている。僕は負けたようだ。
「だ、だ、抱いていてくれ」と口篭りながら言った。顔から火が出そうな台詞だ。
「御意」と言って、しっかりと僕を抱き締めた。
 彼の鼓動音が伝わってくる。それは不思議なほど、僕を安心させた。雷鳴よりもはっきりと、僕の中に染み込む音。彼は再び僕の髪を撫でた。体の震えが収まりつつあった。
「赤子は母親の中で、ずうっと心の臓の音を聞いて育つとか。だから、その音を聞くと安心するのだそうですよ」
「では、子龍は私の母親のようなものか?」雷鳴が徐々に遠のいていくのを感じながら、僕は尋ねた。彼はかすかに笑った。
「殿がお望みになるなら、父にでも、母にでもなりますとも」
 僕は赤面した。
「子龍は子龍でいい」
 終わらぬ夜がないのと同じく、終わらぬ雷もない。雷雲が過ぎて、また辺りが、時刻通りの明るさを取り戻すまで、僕は彼の鼓動音を聞いていた。
 縋る相手がいて、非力に縋ってしまう自分に、少し腹を立てながら、その縋る相手の存在が心地良かった。僕は雷を恐れるよりも、その存在を失うことが怖い。だけど、それは口には出すまい。散々、意地悪された後では、可愛い言葉の一つも、飲み込んでしまうというもの。





あとがき?みたいなもの
1400HIT記念:和沙倉恵様のリクエスト。
趙雲と劉備のお話とのリクエストを戴きました。
ちょっぴりいじわる趙雲と、素直じゃなくて、天然風味で、おまけに妙に子供な殿の、掛け合いにしてみました。
でも、最後にはちょっぴり、意地悪の仕返し?
本編帝譜篇「雷鳴」の後日談です。
「雷鳴」は何故か、派生ストーリーが多いです。結構好きなエピソードかもしれません^^





〜楊さまより―趙雲と劉備のお話〜

私は今、空だって飛べるような気がします(爽笑)
楊さまのサイト「三国偽志」で運良くキリ番を踏むことができ、喜び勇んでリクエスト。
私は楊さまの書かれる趙雲と劉備さんの遣り取りが本当に大好きで大好きで大好きで大好(以下略)
なので、リクエストは趙雲と劉備さんの遣り取りなお話にさせていただいたのです。
もう本当に最高すぎてどうしよう・・・!!!
遣り取りっていうか、掛け合いですね、彼らの会話は。
あの小気味好いテンポ。停滞しがちな自分の作品にはないテンポが大好きです。

しかし趙雲の意地悪っぷり!物怖じしないでズバズバ言っちゃう趙雲にときめきます。
そして意地悪されちゃった劉備さんの、ささやかな仕返し!
可愛い言葉を飲み込んでしまうその姿を想像して、可愛いな、と思ってました。
でもって劉備さんに「抱いていてくれ」と言われてみたいとも心底思いました。
ええもう、ほんと心底。

楊さま、素敵小説、本当に有り難う御座いますvv











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