私の心の中には無数の雨が降り続けている。



止むことのない、心の雨。



自然の雨はいつか必ず止み、鮮やかな虹が空を彩るのに



どうして私の心は晴れないままなのだろう。
























空が晴れたら













































雨の日は気分が冴えないから嫌いだと、皆はよく言うが私はそうでもない。
晴れの日より外に出る人間は少なく、街並みがどこか寂しげであるのは確かだが、
そのぶん普段と違う独特な風景を堪能することができる。
水滴が地面やコンクリートを弾く音と特有の湿り気を帯びた匂いが交差しあい、
それらに人々が差す鮮やかな傘の波が加えられ、より一層雰囲気を増す。
そんな雨の日の情景が私は結構好きだった。
 軽やかな足取りで私は静寂な街を歩いていた。
平日の二時だという微妙な時間帯なので恐ろしく人気がない。
雨の日の、しかも平日の昼間に、わざわざ銀座まで出掛ける人など確かにそういないだろう。
 私の左手には透明感のある水色の傘が、右手には給料を貯めて先日購入した、
綺麗な薄緑のCOACHのバッグが握られている。
服装は黒のニットに、大柄のフラワープリントのアシメントリースカート。
この格好を見れば、私が今から誰と会うのか想像がつくだろう。
そう、私は恋人と会う約束をしているのだ。


 駅から少し離れたカフェへ入り、私は窓際の席に座った。
いつもカフェやレストランで待ち合わせをする時、決まって私は窓際の席に座る。
そうすれば、窓から焦って走ってくる彼の姿をいち早く見ることができるので、
私はいつも好んでその場所を選ぶ。
早く逢いたいという気持ちは強いけれど、好きな人を待っている時間は苦ではない。
 私達がよく待ち合わせに使うこのカフェは、数少ない彼のお気に入りの店のひとつだ。
結構コーヒーにこだわりを持つ彼は、様々な店のコーヒーを必ず一度は試している。
彼は豆よりも水の法にこだわりを持っていて、一口飲むとまるで弾丸のように、
このコーヒーは少し味が薄いだの、使っている水の質が悪いだの、いろいろな評価を口にする。
まるでコーヒー評論家にでもなれるんじゃないかと思う程だ。
女友達は彼のそのような所をあまり快く思ってはいないみたいだが、
私は彼のそんな所もひっくるめて好きだった。
彼のコーヒー評論を聞くのは勉強にもなったし、案外楽しかったりもした。

 しばらくして、注文したアイスコーヒーがテーブルに運ばれてきた。
私はそれをウェイターから受け取り、ミルクを入れ、ストローでゆっくりと掻き混ぜた。
浮かべられたミルクはうっすらと筋を造り、やがては消えて行く。
それは、まるで私自身を思いだたせる。私は、入れられたこのミルクのように、
彼に透過していっているのだ。それが必然のように。
私はそれが悔しくてたまらない。
まるで私だけが彼を求めているような気がして淋しくなるからだ。


 このようなことを言うと、全く男慣れしていない女が、初めて付き合った男が思い通りにならず、
駄々をこねているようにも取れるが決してそうではない。
それなりに恋愛はしてきたつもりだし、経験もしてきた筈だ。
ただ私は、どんな男と付き合っても、常に相手の気持ちばかり伺っていた。
相手にとって、私はちゃんと必要とされている存在であるのか確認できないと不安だったのだ。
私がこんなにも恋愛に臆病になってしまったのは、私の生い立ちが関係している。





























 私の愛という名前は母親がつけてくれた。誰からも愛される子になるようにと。











けれど実際本当に誰かから愛されたことがあるのかと問われたら、きっと私は答えられない。
























 私が生まれた場所は、狭く汚れたコインロッカーの中だった。
実際生まれたのは病院なのかもしれないが、私の芽生えた意識のなかで最初にみたものが
コインロッカーだったのだから、別にそうとってもおかしくはないだろう。
赤ん坊ながらに、このままでは死んでしまうということを本能で認識していた私は、必死に何かを掴もうと柔らかい手を行き来させる。
ぺたぺたと手のひらを壁に押し付けてここから脱出しようと試みたのだが、コインロッカーは憎らしい程頑丈でびくともしない。
コインロッカーの壁と格闘しているうちに、息苦しさが唐突にやってきて、私はその苦しみに悶えた。
脂汗がだらだらと体中を流れ、それが肌に執拗にまとわりついて、私は不快感を覚える。
体が思うように動かない。右に出そうとした手は前へと動き、
後退しようした足は斜めへと動いてしまう。感覚が全て麻痺した状態だった。






 そして私は意識を失ってしまった。おそらくこのまま天国にでも逝くのだろう。
薄れゆく意識の中で、私はそんなことを考えていた。
























 しばらくして目が醒めた時、私は薄暗いコインロッカーの中ではなく、真っ白い空間の中にいた。
私の視界を覆っているのは白く塗られた天井、そして体の上にはふわふわとしたベッドの感触。
初めて体験するその居心地の良さはまるで楽園のようだ。
その開放感に私は頬を緩ませ、ごろんと寝返りをうつ。
それと同時に、私の視界に一人の医者と二人の看護婦、
そして二人の男女−おそらく夫婦であろう−が飛び込んできた。
「あなた、よかった……、目、あけたわ!」
 顔満面に安堵の色を浮かべ、嬉しそうに言う女。
それを見、よかったなと言って私の頭を撫でる男。
背後から妙に根太い医者の声が聞こえてきたが、何むを言っていたのかはあまり覚えていない。
虚ろな私の目に映ったのは幸せそうな夫婦の姿。そう、私の両親となった夫婦の姿だ。
これが私と両親の出会いだった。


 父はそこそこ有名な私立高校の数学教師、母は専業主婦。
収入も安定していて生活に困っている様子もない。
二人とも、人当たりがよくどこか憎めない性格だった。
 しかし失礼かもしれないが、父は四十八、母は四十二と二人とも落ち着いた年齢だというのに、
子供は私以外一人もいなかった。
ここまで話せばある程度筋はわかるだろう。
そう、母は子供ができにくい体質だったのだ。
産める確率はたったの5%、と医者に言われたらしい。
そのようなことがあったので、両親は非常に私を可愛がってくれた。






















 私はあまり泣かない子供だった。
子供ながらに、余所者だから大人しくしていなければならないという感情があったのだろう。
私は極力良い子であることを心がけた。それが幸いしてか、
学校でのテストは常に上位を独占していたし、教師からの評判も上々だった。
 けれどどんなに勉強ができても運動ができても、私はどこか人間味がなかった。
例えばテストで百点を採った時、普通の一般的な小学生なら
お母さん百点採ったよ、と言ってはちきれんばかりの笑顔で報告しに行くだろう。
だが私の場合はというと、ただふぅんと頷いて鞄にしまうだけ。
クラスメイトから、いつも昼休みにやっていたドッジボールに誘われても、面倒くさいと言って断っていた。
 
 まあ当然の結果、と言われればそうなのかもしれないが、最初は好意的だったクラスメイト達も、
しだいに私を自分達とは違う生き物として見るようになっていった。



――愛ちゃんってなんか苦手ー。いつ誘っても断るし――
――もう誘わないでおこうよ――



 最初は軽い批判程度のものだったから、私もあまり気には止めなかった。
しばらくすれば、私の陰口を叩くことさえ馬鹿らしく思えてくるだろう。
少なくとも私はそう感じていた。
 しかし噂はこれだけに留まらなかった。
どこから知られそしてどのように広まったのかは、あまり詳しく知らないが、
私の両親が本当の両親でないことがバレてしまい、最後には学年中にまで知れ渡ってしまったのだ。



――ねぇ聞いた?
愛ちゃんのパパとママ、本当のパパとママじゃないんだって――
――きっと捨てられたんだよ――
――だからあんなにひねくれちゃったんじゃない?――



 教化書類や靴、鞄などを隠され、行動や発言を否定され、
<そして何百回と繰り返される『捨て子』という言葉。br>そんなことばかりが繰り返される毎日。














――好きで捨て子になんかになったんじゃない。














誰が好んでなるものか














何もわかっちゃいないくせに――





























ついに心を制御できなくなったのは、小学五年生の二学期だった。
その日はまるで、何かが起こる前兆を示すかのように、雨が激しく叩きつけていた。
重い足取りで登校する私を、いつものように数人の男子グループが邪険に扱う。


「てめぇ、なんで学校来てんだよッ」
「早くどっかいっちまえッ」


 このようなからかいも毎度のことだったから、無視することは別に難しいことでもなんでもなかった。
少し我慢すれば済むことだ、なんてことはない。
私はそう自分に言い聞かせる。
 私は俯いたまま、黙って彼らの横を通りすぎようとした。
するとグループのリーダー的存在の男子が、なんと私の背負っていたリュックサックを掴み、勢い良く自分のほうへと引き寄せたのだ。
その反動で、私の体は地面へと倒れこんでしまった。
「った……」
「シカトしてんじゃねぇよ」
 捨て子のくせに、と彼がぶっきらぼうな声で吐いた途端、背後にいた男子達がそうだそうだ、と騒ぎ立てた。
なんて個性のない連中だろう。吐き気がする。
けれどそんなことを心のうちで思っても、私がそれを反抗できるはずがない。
そんなことをしたら、私が地を這う姿は目に見えている。
子供の悪ふざけは興味半分だからこそ性質が悪い。
私は彼らの口調から微かな恐怖を感じ取っていた。
そんな私の心情を察知したのか、彼は私に対してこんな暴言を吐いた。














「そんなうじうじしてっからホントの親に捨てられたんじゃねぇの」














 その言葉を聞いた途端、私はからだの芯が熱くなってゆくのを感じた。
周囲では取り巻きが下品な笑い声を響かせている。
 そして次の瞬間、なんと私の手のひらは彼の頬の上で、ぱんっという音を響かせていた。
見事にビンタをくらった彼は、まるで豆鉄砲でもくらった鳩のような目をして私を見る。
そして自分が何をされたのかようやく理解すると、一気に私に掴み掛かってきた。
「てめぇ、なにすんだよッ」
「うるつい、違うもんッ、私のパパとママはちゃんといるもんッ」
 降りかかる鉄拳の制裁、体中に残される赤い痕跡、そして心をメッタ刺しにする暴言の嵐。
顔をぐしゃぐしゃに歪め、それらをまともに受けながらも、私は一番卑劣な言葉を浴びせた彼の服を掴んで離そうとしなかった。



















「私はいらない子なんかじゃないッ」





























 私は両親の困惑した表情や、悲哀に満ちた瞳を見ることを極力嫌っていた。
そのうえ、それらの原因が私となれば、私にとってこれ程苦痛なことはないだろう。
 どろどろに汚れた私の格好を見ると母は暫く呆然としていたが、しばらくすると母の表情はその日の朝に見た、私を送る、あの時の表情から
泣き叫ぶ子供をあやしている母親の表情へと変わっていた。
初めて見るそれは私を驚愕させもそして悲しませた。
「どうしたの?夕ご飯にするから手を洗っておいで」
 私はただ何も言えずに、トントンと葱を刻む母の後姿を見つめていた。
まるで幽体離脱でもしているかのように立ち竦んでいる私を見、母は「ほら、早くしないと冷めちゃうわよ」と促した。
 いつもと変わらぬ母の姿を見、どれ程申し訳なく思ったか、今でも鮮明に覚えている。
頬をつたう涙が、それを明確に表していた。





















◆あとがき◆


これは私にとって最も思い入れのある作品です。


私が夢に向けて、行動に出て初めて仕上げた作品だから。


一番未熟な作品だけど、あの頃はまだまだだったなぁって


けれど一生懸命だったなあって


そんな作品になればいいなと思う。


この空が晴れたらの製作中の裏話もあります。




空が晴れたら 第二話    モドル

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