淋しくて 心細くて


誰かに愛されたくて


独り 背中 丸めて


やっと手に入れたものは


偽物の愛情 羞恥と絶望





























空が晴れたら













































 たった1枚の紙切れが気分を憂鬱にさせる時がある。中でも一番悩まされたのは進路希望調査表だった。
他のクラスメイトは「そんなの適当に書いときゃいいんだって。どうせそこに行くかもわからないんだし」
と軽くあしらっていたが、私はそうはいかなかった。私には昔からちゃんと志望校があったのだ。
そこは私立のY高校というところで、約四万冊もある書籍や新聞・雑誌・CD−ROMにインターネットといった様々なメディアを利用できる設備があり、
コンピューターも最新のものばかり揃っているという、とても充実した環境のなかで勉強することができる高校だった。
小学校や中学校のくたびれたパソコンしか見たことのなかった私にとって、それは満ちの世界の入れ愚痴ともいえた。
 しかし、入学金15万円、授業料年額40万円という金額は高額すぎる。
親というものは、「自分の行きたいところに行っていいのよ。お金のことなんか気にしなくていいの」と言っていても、
金が無駄にかかる私立より安く済む公立に進学してくれたほうが楽でいい、と心のどこかで思っているのが常である。
それが血の繋がっていない子供なら尚更だ。
 だが私の悩みの種はそこではない。いや、全面的に否定できるわけではなく、確かに金銭的な問題で悩んだこともあったが、
私を徹底的に苦しめた原因はもっと違うところにあった。
 当時私には親友がいた。彼女の名前は浩子と言って、とても明るく優しくて、グループ属性が強く、いつも誰かと一緒でないと不安がる。そんな子だった。
彼女と知り合い仲良くなって、初めて体験した女同士の友情は、少し照れくさいけれどとても暖かいということを知った。
友達同士で過ごす休日。お揃いで買った服や小物。貸し借りの約束を交わしたCD。分厚くなった交換日記。
いつのまにか彼女なしでは毎日がつまらなくなっていた。もはや私の生活の一部分となっていたのだ。
 しかしそんな青春ドラマのような友情も、進路希望調査表という薄っぺらい紙切れによってバランスを崩されることとなる。
浩子は私に一緒にT高校に行こうよ、と誘ってくれた。私はY高志望ということを浩子に打ち明けようと思っていたのだが、
ごめん、私Y高に行きたいんだという言葉は、浩子の『親友だもんね』といういつもの台詞に押しつぶされた。
喉まで出掛かっていたそれは、再び胃の中に戻される。そして私はうん、と頷いてしまっていた。
 表面上では二人ともT高志望ということで話が進められていた。しかし、Y高に行きたいという感情が私のなかで消え果たわけではなかった。
けれど、それは浩子を失ってまで得たい大層な欲望だったのかと問われると、私は何も答えられない状況にあった。
 浩子は私にとって初めての親友だった。彼女が私の与えてくれたものは今まで経験したことのない素晴らしいものばかりだったし、
それらを失ってこれからを楽しんで生きていけるのか、と問われたら私は首を左右に振ってNOと答えるだろう。
ならばもう道はひとつではないか。進路希望調査表に、T高志望と書けばいい。
私はそう自分に言い聞かせ、何かを思いついたかのような仕草でペンをとった。
それはひどく機械的で、義務めいた動作だったと思う。



雨が降り地面に水溜りができるように、私のなが日に日に嘘が溜まって行く。初めての嘘は中3の時。
浩子だけでなく自分自身さえも押し殺したため、それらは腹の奥底で固形化していった。
 しかし慣れとは怖いもので3ヶ月もすると私はその塊に以前ほどのような罪悪感を覚えなくなっていたし、入学したT高は意外と溶け込みやすかった。
 難関私立のY高と違い、誰でも気軽に入れそうな雰囲気漂う高校なので、あまり優等生と呼ばれるような部類の人種はいない。
むしろそれは、クラスメイトに名指しされ、クスクス笑われるだけの存在といってもいい。
恐らく私も浩子がいなかったらあんな風になっていたかもしれない。
幼い頃は平気だったことが今となってはひどく恐ろしく感じのだから不思議だ。
無邪気で誰とでも仲良く出来る浩子のまわりはいつもたくさんの人で賑わっていた。
 中学時代は女友達といえば浩子しかいなかった私だが、いつまでもつっぱっていても仕方ないからと、当たり障りのない人付き合いをするようになった。
しかし友達が殆どいなかったあの時と比べて今のほうが何倍も充実している筈なのに、
心にぽっかりとあいた空洞がいつまでたっても埋まる気配がないのはどうしてなのだろうか。
 そんななか、だいたい高一の夏休みに入る直前ぐらいからだったろうか。私はなぜか上級生から告白されることがしばしばあった。
初めて告白されたときの私の動悸の速さといったら半端じゃない。
まさか自分の身にこのようなことが起きるとは夢にも思っていなかったのだから。
 しかし相手は皆言葉を交わしたことすらない上級生ばかり。
彼らが幾ら私を好きだと言っても容易に信じることができず、私はいつも黙って俯いてしまう。
暫く考え込んで、いつも私はごめんなさい、私はよくあなたのことを知らないから、とありきたりな断りの言葉を口にしようとする。
しかし顔をあげた途端、彼らの悲しそうな瞳が視界を占領し、次の瞬間インスピレーションのようにあの時の記憶が蘇ってくるのだ。
 あんなに仲が良かったのに、私がほんの少しの勇気を振り絞らなかったせいで縁を絶たれてしまった敦の笑顔。
私は彼に『好き』というたった2文字の言葉すら伝えることができはなかった。
 その言葉の重みを知っているから。その想いを伝えることが、どれ程の勇気を要するのかよく知っているから。
断ることができなかった。拒めなかった。どうしても、首を横にすることができなかったのだ。
今となってはもう言い訳としか聞こえないのかもれないけれど。



 しかし、そのような事情がきっかけで始めた男女交際も、実際やってみると結構楽しいものだった。
彼氏と様々な場所へ出掛けたり話をすることは、友達とのものとは全く違う鼓動がある。
それに加え、友達と出掛ける時、来て行く服に一晩中悩んだり、夜なかなか寝つけないなんてこともない。
その独特のものに私がハマるのにはさほど時間はかからなかった。
 だが、彼氏とデートをして別れた後、私のなかでなぜか不満とも寂しさともいえぬ感情が日に日に増加していくのだ。
それが決して後ろを振り返ろうとしない背中のせいなのか、それともまた違う何かが原因なのか、暫くは私自身もよく理解できずにいた。
 愛されているのに愛されていない。求められているのに求められていない。
そんな気がしてならないのは、例の心の空洞のせいだろうか。
欲しいものは全てこの両手で掴んでいる筈なのに、それがなんの勝ちもないものに思えてしまう。
私は夜な夜な無意識に流れ落ちる涙が訴えるものを言葉で言い表すことができる程、大人にはなれない。
今から思えば、訳の分からぬ化け物に襲われることをただただ恐れ、必死でそれを埋める逃げ場所を求めていたのだろう。
 そんな日々が繰り返し続くなか、今まで流されていただけの私が再び自分自身に目を向けるきっかけとなった出来事が起こった。
それは高二の夏、最初の彼氏から数えて四人目の彼氏の時だった。付き合って2ヶ月、結構上手くやっている自身もあった。
 しかし、私はまだ彼にからだを許していなかった。まだ早いだろうという気持ちもあったし、何より羞恥心というものがある。
まあ確かに私も年頃だったから興味がなかったといえば嘘になるが、実際実行されるとなれば話は別だ。
けれど彼が私を求めているか、なんてことははっきり言ってわからなかったし、加えて彼はあまり自分の感情を表に出さない性格だったので、例え密室でふたりきりになったとしても、別にたいしたことは起こらないだろうと思っていた。
 しかしそれは私の単なる独り善がりに過ぎなかったのだ。初めて1人暮しの彼の部屋に遊びに行きふたりきりになった時、
彼の本能は剥き出しとなり、野獣と化して私に襲い掛かってきた。
今まで優しかった顔つきとはうってかわってただ貪るように激しくキスをする彼。
いつもと違うそり荒荒しい行為に、私は初めて彼に対して強い恐怖心を感じた。
首筋を強く座れ、痕跡を残されて、彼の長くしなやかな指が服の下を弄る。
彼の指が胸の辺りまで到達した時、初めて私の口からまともな言葉が発された。
「やっ……やめてッ」
 私は力を振り絞り彼を突き飛ばした。ドンッという衝撃音がしたかと思うと、次の瞬間彼のからだはベットの下へと転がり落ちていた。
彼はゆっくりとからだを起こすと私を静かに見つめる。その動作がひどく残酷に感じられ、私はあ…っと軽く悲鳴をあげ、不安定の姿勢のまま後ずさる。
私は震える肩を抑え、やめてと連呼した。行為を彼を突き飛ばして止められたという事実よりも、自分が何度もそうすることで落ち着くことができたのだ。
しかし冷徹に私をにらみつける瞳が落ち着きと同時に罪悪感を飢え付ける。それは次第に膨張したいったが、すぐに失ってしまうこととなる。
「今更何言ってんだよ」
 私を取り巻く全てのものを一瞬静止させる程の威力を持つと思われるような言葉が彼の口から発されたのだ。
ごめん、と言って後ろから優しく抱きしめてくれるだろうと予想していた彼の暖かい腕は、だらしなく垂直に降ろされたまま、私を包み込もうとしない。
「え……」
「付き合ってんだから、別にいいじゃねぇか。だいたいお前もここに来る時、ちょっとはその気だったんじゃねえの」
 まるで放たれた野獣のような表情や仕草は私の知っている今までのものとは全く別のものだった。
彼は枕元の引き出しから煙草を取り出し、シルバーの高価そうなライターで火をつけ、慣れた手つきで口元に運び一息つく。
 彼が煙草を吸うことなど、私は今日初めて知る。一体私は彼のことをどれだけ知っているというのだろう。
私が今まで見てきた彼と、今ここで煙草を吸っている彼。どちらが本当なのだろう。
後者のほうが真実である気がしてならないのはなぜなのだろうか。
「だって……」
 欲望のままに私を抱こうとしないで欲しい。人形のように扱わないで欲しい。
そんな単純で密やかな権利すら私にはないというのか。
「つまんねぇ女」
 彼は勢い良くドアを閉め、アパートから出ていった。それはまるで彼の苛立ちを表しているかのようだった。
「わかんないよ……」
 どうして恋人同士になるとすぐ抱かれなければいけないのか。
快楽だけを求めるというのなら、セックスフレンドとどこが違うといえるのだろう。
彼は金がかからずにすぐ欲望を満たすことができる『私』という存在をていよく利用したのだ。
いつのまにか、私は彼を愛してしまっていたのだから。
私は、あぁ、と両手で顔を覆う。溢れる羞恥と絶望で気が狂ってしまいそうだ。
違う、私はこんなことを望んでいたんじゃない。本当に愛されたかっただけだ。求められたかっただけなのだ。
からだじゃなく、心をだ。あんな風に扱われたくはなかった。
 どうして私じゃ駄目なの。私じゃあの子の変わりにはならないの。私になくて、あの子にないものって何なの?
ふと、あの時敦に対して零しそうになった言葉をもう一度呟いてみた。私に足りないもの。それが足かせとなって私は未だ成長できないままだ。
どうしたらいいか、本当にわからない。欲しいものが明確にわかった今でも、それを手にいれるための方法が私にはわからない。
 窓から吹く風が、私の露になった肩を撫でてゆく。まるでだいじょうぶだよ、と私を優しく包んでくれるように。
風邪の香りが肌を掠めるたび、無意識に涙が溢れた。




◆あとがき◆







モドル           空が晴れたら 第四話

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