+++ プラマイゼロの法則 +++

   =6=  三年前―――家を出て、一人廃屋を根城に日々を過ごしていた。  日銭を稼ぐために仕事を探し、雨露を凌げて寝に帰るだけの一部崩れかけた廃屋。  そういう子供は珍しくなかったし、一人でいるからと妙な干渉をしてくる人間もいなかっ た。仕事と買い物以外で他人と話す機会もない……必要もない日々。  騙されることも傷つけられることもなく、孤独を心地いいとは思えなかったけれど、それ でも変化のない日々が続けばいいと思った。変化など、あるはずもないと。  心の奥底で望んだこともあったが、万が一叶うとしても、ずっと何年も先の話―――早く 叶ったとしても戸惑いが大きく、喜べない確信があった。そう思っている間に時は過ぎ、叶 わずに一生を終える確率の方がずっと高い……思いを馳せるたびに、それでいいと思った。  現実になってほしいけれど、同時に夢で終わってほしい。  そんな望みと唯一自分に許した甘さ―――ほんの一時の温かさ―――を支えに、カイトは 惰性とも言える生活を送っていた。  三年前の、あの日までは。  そのときやっていた仕事は、小さなネジなどの部品の工場の下働きだった。出来上がった 部品の詰まった箱を一日に何度も運び、トラックに載せて送り出す。単調で退屈な、疲れる だけの仕事。  こんなにたくさんの部品を何に使うのか、考えても無駄なことをぼんやり考えていた。  仕事は一週間で終わり、その最終日の帰り道。 『マサト・ヤマシナの息子だな』  カイトを呼び止めたのは、滅多にお目にかかれない仕立てのいい黒いスーツに身を包んだ 二人の男だった。無表情で意思の窺えない瞳。誰かに仕え、その命令によってカイトに声を 掛けてきたことは容易に知れた。  出された名前に一瞬動揺したが、すぐに押し隠して男たちを睨みつけた。  肯定も否定も口にしない。けれど、その視線だけで充分伝わったらしかった。 『一緒に来てもらおう。こちらとしては、ヤマシナの子供であれば“どちらでも”いいんだ がな』  選択の余地は与えると。  だが、その一言でカイトが断れるはずもなかった。  何の説明もないが、それは良くないことの証左でもあると思われた。  別れた時の父親の顔が頭をよぎり、父親と過ごした日々も記憶に甦る。  優しいヒトだった―――その優しさが仇となっても、決して他人への信頼を失わない、前 時代的な善人だった。記憶は薄れても、その印象だけは変わらずに残り、カイトは複雑な気 持ちを抱く。  家族を置いて出て行った理由は知らない。  彼は誰にも、何も告げなかったから。  語らないことが、彼の父親としての―――あるいは夫としての―――優しさなのだと語っ た母の言葉も思い出す。カイトは真っ向からは否定も肯定も出来ず、ただ事実は事実として 受け入れることに決めた。裏の本音など、邪推したところで真実とはなりえないのだから。  諦観にも似た想いで、父親の記憶は胸の奥に押し込めていた。  しかし。 『あのヒトが……いるのか?』  躊躇いつつも無意識に漏れた言葉をきっかけに、カイト自身の本音も溢れ始めた。  知らなくてもいい……でも、知りたい。  自分から探すことは出来なくても、情報が向こうから飛び込んでくるならば。 『あのヒトの、居場所を知ってるのか?』  けれど、男たちは表情を動かすことなく告げた。 『我々の元にあるのは、マサト・ヤマシナとの契約だけだ』  同時に差し出したのは一枚の紙。  ―――借り受けた金額に相違なく、これ全額に加え、利率を承諾済みの利子まで必ず返済 することをここに誓います。そしていかなる理由においても、万が一、返済が不可能になっ た場合、その責は我が子あるいは孫にまで及ぶことを了承いたします。  マサト・ヤマシナ、とサインで締めくくられた文章。  それは確かに見覚えのある父親の筆跡だった。  幼いカイトに文字を教えようと、父親自身がどこからか持ってきた大きさの不揃いの紙の 束に書き連ねた見本の文字と。 『我が子あるいは孫にまで……』  呟いて、それはきっと父親自身の力で必ず返すという意志の現われだと思った。  そう書くことで―――それを契約の一部とすることで自分を戒め、最後までやり遂げる気 でいたのだと。あの父親が、本気で我が子や孫に、そんな責を負わせるはずがない。  つまり。 『……あのヒトは、死んだのか?』  カイトの声に、男たちは答えなかった。  走馬灯―――ヒトは死ぬ間際、その一生を振り返ると言うが、カイトもまた体が宙に舞っ た途端今までに経験したいくつかの場面が脳内を駆け巡るのを見た。 「ぼやぼやしてないで、さっさと行け」  言うと同時に、カイトの背を押し出したマイナスの足。  押されるままにカイトの身は踊り、かろうじて自分の足で塀の淵を蹴ることが出来たのは 奇跡と言えるかもしれない。塀のてっぺんから向こう側の地面まで、おそらく十メートル強 ……落ちる先を覗き込む余裕もなく、カイトは突き落とされたのだった。  受け身を取らなければ……思った時には、その足から膝に強い衝撃。着いた勢いそのまま に、かろうじてケガをしている腕を庇って逆の肩から打ちつけた。  しかし。 「……あ、れ?」  想像した痛みはなかった。着いた手は、少しの力で容易に沈む。 (……地面? じゃない!)  思わずつぶっていた目を開いて体を起こすと、ようやくマヒしていたらしい感覚が戻る。 地面と思っていた部分は確かに軟らかく、全体的に微かな振動があった。  目からの認識が追いついて、それを口にしようとしたが、それを遮るようにすぐ隣りにプ ラスを担いだままのマイナスが降ってくる。慌てて体を引いて、その手が硬い金属製の縁に 触れた。 「カイト、大丈夫〜?」 「……トラック」  ヒラヒラと顔の前で振られたプラスの手を茫然と見ながら呟いて。 「トラックの荷台に、緩衝材……って、そうならそうと先に教えてくれよ!」  思わず怒鳴りつけていた。  けれど、プラスは悪びれもせず「今回のはマイナスが悪い」と背後を指差した。 「なんでだよ。嘘は言ってないだろ」 (……似た者同士だ)  呻くようにこっそり思って、カイトは脱力する。 「んな、十メートルも下の地面に蹴り落とすなんてこと、オレがすると思うか?」 「うん」 「…………」  即答するプラスに、マイナスは何かを思案するように目を逸らした。そのまま「まあ、そ れはそれとして」否定もせずに流す。 「いいじゃねえか、無事に着地したんだし」 「……そういう問題か?」  恨めしげに睨みつけたが、そこに割り込むように声が届いた。 「出発してもいいのかな?」  ハッとしてカイトが目を向けると、運転席と助手席の間―――ガラスの嵌まっていない窓 から眼鏡をかけた若い男が覗いていた。  プラスたちのもう一人の仲間―――ゼロ。  すぐに思い当たって(あれが?)カイトはわずかに首を傾げた。  今見る限りでは、話に聞いていたような非常識さは窺えない。目が合ったが、カイトと言 葉を交わすより先に「ああ、すぐに出せ」と答えたマイナスに頷いて、ゼロは前へと向き直 った。と同時に、トラックは走り出す。 「さて、最後の仕上げを見届けますか」  トラックの最後尾―――縁にもたれたカイトの隣りに這ってきたプラスが、遠ざかる塀を 見やった。つられて、カイトも顔を向ける。 「あと三十秒」  時計を見て、マイナスが秒読みを開始する。  その間にも彼らを乗せたトラックは速度を上げ、さらにその会社から遠ざかって行く。  薬品会社の看板を出し、その実、コカインの精製が利益の大半を占めている会社。『秘宝 会』の名簿……それには、この会社で精製されるコカインで利益を得ている人間たちの名前 が並んでいるのだと、まだ敷地内にいた時にプラスが教えてくれた。  ヒトを貶める悪魔の薬で、私腹を肥やす連中―――その彼らこそ悪魔のようだと語るプラ スの声に滲んでいたのは、怒りよりも哀しみだった。少なくともカイトはそう感じ取り、そ んなプラスの顔を見ることも出来ず、ただその言葉に耳を傾けた。  背後から届く秒読みを聞きながら、カイトはちらりと隣りに目を向ける。  銃を構えた男に臆することなく、怒りの感情をぶつけていたプラス……その本音とそれま での印象のギャップに唖然とし、カイトは意識するまでもなく口を挟むことが出来なかった。  プラスたちの知り合いの少女が、この会社の生み出したコカインによって命を落とした。 しかも、無理矢理力づくで中毒者に仕立て上げられて。  だから、他人の為に怒り、危険だとわかっている場所に飛び込んでいった。 (そんなこと、俺には出来ない)  他人の為に出来るとは思えなかった。カイトが出来るのは……ただ一人、カイトにとって は他人とは言えない少女の顔を思い浮かべようとして、それより先に、マイナスの秒読みが 完了する。 「……3、2、1……」  最後の声は、またしても爆音に掻き消された。その余波で、カイトたちが乗ってるトラッ クも一瞬大きく傾ぐ。けれど、トラックは変わらず走り続け、カイトたちもトラックの揺れ など意識には入らなかった。遠ざかる会社から目が離せない。  敷地のほぼ中央あたりで、大きな火柱が上がり、さっきカイトとプラスの手で爆破した工 場とは比べ物にならないほどの被害だと知らしめる。立ち上った煙は空を覆い、さらに広が っていく。  置いてきたシキの顔が頭をよぎったが、火柱の位置からして、あのシキならその気になれ ば充分脱出できるだろう。それは心配ない。  しかし。 「…………」 「……あ〜あ」 「……ゼロ」  カイトは絶句し、プラスは呆れた声を上げる。  最後にマイナスに名前を呼ばれて、ゼロは前を向いたまま「ん?」と首を傾げた。 「なんだ、あれは?」 「爆発」 「見りゃわかる! そうじゃなくてっ」 「ああ、やっぱり花火でも仕込めば良かったかな」  と呟くゼロの微笑んだ顔がバックミラーに映る。 「するな!」  緩衝材で沈む足元を物ともせずに立ち上がると、マイナスは勢いよく運転席と助手席の間 の空いた窓に飛びついた。 「お前な、予定と違うことはするなっていつも言ってんだろうが!」 「え、いつから敷地爆破が予定外になったの?」 「違う! なんであんなにデカイ火柱が上がってんだって話だろうが!」 「でも、あれくらい派手な方がわかりやすいでしょ」 「誰に対してのわかりやすさだ、そりゃ」 「マイナス、運転中に襟首掴んだら危なっ……」  トラックはわずかに蛇行し、それでもすぐに持ち直す。  やがて、窓から運転席のゼロへと伸ばしていた腕を引っ込めて、息巻くマイナスは、仕上 げとばかりにガツンと窓の縁を蹴りつけた。 「……はぁ〜」 「マイナス、運転手の首を絞めるなんて非常識だよ」 「お前が常識を語るな、お前が!」  再度蹴りつける様を見てから、カイトは呆れた様子で遠ざかる景色に目を戻した。火柱は さすがに一瞬だったようだが、夜空に広がっていく煙は止まりそうにない。 「……いつもこんななのか?」  思わず呻いて、荷台の囲いの縁にもたれた。  そんなカイトに、プラスはあっさり頷いて明るく返す。 「楽しそうでしょ」 「……本気で言ってんのか?」 「ま、今回はさすがに疲れたけどね。計画はやり遂げて成功したし、カイトにも会えたし!」 「は?」 「失敗は忘れる。気分は最高。なんだって楽しいよ」 「いや、俺が訊きたいのはそういうことじゃなくて……」  言いかけたが、それを遮って、マイナスが突っ込む。 「忘れてどうすんだよ。失敗は次に生かせ」 「おっと、そうでした」 「…………」  明るい雰囲気。  さっきまでの張り詰めた緊張が夢のようだった―――緊張どころか、家を出てからの孤独 さえすべて……そんな錯覚さえ覚える。そんなわけがないのに。  トラックの上に落ちるまでの一瞬で見た過去。  それとのギャップに、戸惑う。  家を出た後もカイトは定期的に叔母の家をこっそり窺っていた。  叔母の家に案内されて、これからここで暮らすと言われた日……カイトは妹のミズキが眠 るのを見届けてから、叔母に告げた。 『俺は一人で生きてくから』  まっすぐ視線を交わして、しばらく見つめ合った。  反対されることは覚悟していた。叔母の好意を裏切ることになるとも思った。でも、考え を変える気はなかった。何を言われようと、説得するかあるいは無理にでも出て行こうと決 めていた。  けれど。 『何より、自分を大事にしなさい』  叔母はそう言って、一度だけカイトを抱きしめた。  ただそれだけ。決して、カイトを引き止めようとはしなかった。  そんな叔母に、カイトは今でも感謝している。ミズキの面倒を見、カイトの意志を汲み、 すべてを受け止めてくれたそのヒトに。ミズキへの説明も叔母に任せれば大丈夫だと思った。  だから、ミズキと叔母を安心させる意味でも、自分の無事をそっと知らせる気になった。 すべてを断ち切るのではなく、細い糸を残すつもりで、月に一度その家の前に泥で丸印を描 くことにした。  最初にそれを描いた日……様子を窺っていると、最初にミズキが見つけて首を傾げる姿が 見えた。辺りを見回してから叔母を呼び、しばらく二人で何やら話していたが、やがて何か 結論を出したのか家の中に二人で戻って行った。  意図は伝わっただろうか……考えてわかるコトでもないが、カイトはその場を離れがたく て動けずにいると、数分後、またミズキがドアから顔を覗かせた。キョロキョロと周囲を見 回してから、カイトが丸印を描いた場所まで出てきて、そこに両手に乗るくらいの小さな包 みを置く。  名残惜しそうにしばらく立っていたが、叔母に呼ばれて家に戻って行った。  そこまで見届けて、カイトは尚逡巡した―――あの包みはどういう意味だろうか?  結局十分近く悩みに悩んで、最終的には見に行く気になった。というより、気になって確 認せずに立ち去ることが出来なかっただけなのだが。  家から誰も出てこないことを窺いながら、そっと近づいて。手に取った包みから、二つ折 りの小さなメモが落ちたのに気づいて拾い上げた。 『……“おにいちゃんへ”』  ミズキが書いた拙い文字。  それだけで充分だった。  逃げ出すように駆け出して、それでも、包みは大事に抱えて。  それ以上そこに居て、もしまたミズキか叔母が家から出て来たら……マトモに顔を合わせ たら、せっかくの決意が―――誰にも頼らず一人で生きていくと決めたのに―――崩れてし まう気がして。  走って走って走って……息も絶え絶えにスピードを落とした時には、住宅地を抜けて、寂 れた商店街へと足を踏み入れていた。見えるはずのない叔母の家を振り返ってから、ようや く足を止めた。そのときの何とも言えない寂しさは、今も胸に残る。  そして、日が落ちた頃に辿り着いた根城で躊躇いつつ口に含んだクッキーの甘さ……おい しくて温かくて、涙が滲んだ。  それ以来、月に一度だけ叔母の家に通い、その度に丸印を描いてしばらく待って、何かを 受け取って帰った。決して彼女たちと顔を合わせはしなかったけれど、確かな温かさに触れ る為に。  三年前のあの日、東條からの迎えが来るまで、それは続いた。  プラスたちのやり取りを見てると、あの時―――初めて受け取ったクッキーを食べた時の 温かさを思い出す。  全然違うのに、雰囲気が似てる気がして。 「カイト?」 「えっ」 「どうしたの、ボーっとして……あっ、腕の傷が痛む?」  自分もケガ人だというのを棚に上げて、プラスは慌てて運転席に声を掛ける。 「ゼロ、そこに傷の手当ての道具あるよね!」 「うん。でもその前にひとつ訊きたいんだけど」  チラリと視線を返して、ゼロは首を傾げる。 「その少年に見覚えがないのは気のせいかな?」 「あ……紹介はする。するけど、まずはケガの手当てが先!」  ピシャリと言って、プラスは手当ての道具を自分で取りに行く気で立ち上がろうとする。 「待て。お前もケガ人だろうが、一応」  マイナスに押し留められて「あ、そうか」ようやく思い出したらしい。 「ったく、どいつもこいつも」呆れた様子でぼやきながらも、マイナスは助手席に腕を伸ば して道具を拾い出す。「これでいいな」と消毒薬と包帯を放り投げ、おまけ、とばかりにガ ーゼ代わりの布も付けた。 「サンキュ。ほらカイト、腕出して」 「え、いいよ。もう血は止まってるし」 「つべこべ言わない。放っといたら、腕が腐り落ちちゃうかもしれないでしょ!」 「どう見てもそこまでひどくねえよ」  マイナスのツッコミは無視して、渋るカイトの腕を取る。 「イテッ。お前やるならもっと丁寧に出来ないのかよ」 「文句は禁止。少しくらい我慢しなさい」 「お前がもっとケガ人の扱い考えろ」 「ああ言えばこう言う……カワイクナイ」  軽口を叩き合って、それを楽しんでる自分を自覚して、カイトはまた戸惑う。 『楽しそうでしょ』  訊くのではなく、そう見えるに違いないと断言したプラス。 (……そうだな。楽しいんだろうな、こいつらは)  楽しい嬉しい哀しい腹が立つ……どんな感情も、はっきりと表に出す。  感じるままに。  本来の人間の生活としては、きっとそっちの方が正しい。  カイトが親元にいた時は、まだそういう生活をしていた。両親から、そういう感情を教え てもらったはずだった。それが、家族が減るにつれ感情も変わっていった。少しずつ歪み、 変化させなければならないと。それが生きて行く為には必要だと思ったから。  けれど、それは間違いだと思い知らされた。  感情を歪ませず失わず、本来あるべき形そのままで持ち続ける……だからこそ、強くいら れる。プラスたちとの差は数あれど、きっとそれが一番大きい。  だから。 (今が楽しい。こうやって、軽口を叩き合えることが、楽しい)  気恥ずかしくて、口に出すことは出来ないけれど。  まずは、心の中で認めるところから。  これからは、少しずつでも素直になりたいと思う。そうして手に入れた強さでこそ、出来 ることも増えるはずだから。  二度と見失わない。間違えない。譲れない想いはあるから。 「よし、出来た」  キュッと包帯を結んで、プラスが言う。  ずっと助けてもらってきた相手―――カイトも歩けないプラスを運びはしたけれど――― 振り返れば、浮かぶのは感謝の気持ちで。 「……ありがとう」  言葉は素直に滑り出た。 「どういたしまして」  それだけのやり取りで、プラスは嬉しそうに笑う。  笑って「やっぱり最高だね」と呟いた。  そして、続けた言葉。 「でも……寂しいね」 「……?」 「行っちゃうんでしょ、カイトは」 「……やらなきゃいけないことがあるんだ」  話すか話すまいか少し迷って、結局、言葉は飲み込んだ。 「だから、適当な場所で降りるよ」 「そっか……あのさ」 「ん?」 「私は、本気で言ったんだからね」 「何を?」 「“仲間”。冗談で誘ったりはしないよ」  軽い口調で言ったが、カイトさえ良ければ今でも迎える気でいると。  これが最後の誘い。  カイトは返す言葉に詰まり、まるで無関係とばかりに口を挟もうとしないマイナスをチラ と見やった。言い出したのはプラスだが、実際に仲間になるとしたら、彼らの意見も必要だ ろう。  なのに、何も言わない。 「……なんで?」  三人それぞれに訊きたかった。  何故誘うのか。何故何も言わないのか。 「俺は……」  楽しそうな方向へ引かれるのは、人間として正直なところだろう。  だから、迷う。何度決意したつもりでも、まっすぐ訊かれると断りの言葉を口にするのは 躊躇ってしまう。ここで切れてしまうことを考えると、誘いを断らずに繋がりを保てる道が あるのではないかと期待してしまう―――泥で描いた丸印で、ミズキや叔母との細い繋がり を持っていたように。 「仲間になりたい、けどならないってとこか?」  逡巡を見せるカイトに、確信的に意地悪く、マイナスが笑む。 「迷いすぎ。やらなきゃならないことがあるって割に、半端だな」 「っ……!」 「お前が抱えてる事情なんて、問題じゃねえんだよ。このバカは」プラスをアゴで示して、 「自分が誘いたいから誘ってるだけだしな。こっちの意見窺うより先に、お前がどうしたい のかを言えよ。それが一番肝心だろ。それとも、自分の意見なんてないただのバカか?」  迷いを見透かされている。  “仲間にはならない”と言いつつ、揺れる心を。 「……俺は、仲間にならない」  言葉を探す。本音を探る……もし、その手を取らなかったとしたら。 「後悔、するかもしれない。あんたの言うことは正しいよ。仲間になりたい、って気持ちは 少なからずある。でも……今、あんたたちの誘いに乗ったら、“絶対”後悔する。それだけ はわかるんだ。だから、仲間にはならない。やるべきことを見失ってはいないから」 「あっそ……ったく、バカ正直っつーか、わかりやすいガキだな」  マイナスは呆れたように笑う。  一方のプラスは残念そうに肩をすくめて「仕方ないか」と呟いた。 「でもさ、もし仲間になってたら面白いと思わない?」 「まだ言うか」 「たとえば、の話よ。それともマイナスは絶対に反対なわけ?」 「さてな。ゼロ、お前は?」  意味ありげに唇の端を持ち上げただけで、運転席に話を振る。が、ゼロは「そんなことよ り」と首を傾げてバックミラーの中からプラスに視線を向ける。 「僕の頼んだ本は?」 「本? ……あ」  言われて、カイトも思い出す。荷物持ちとしてプラスから渡されていたはずのリュックサ ック。途中まで背負っていたはずのそれを何に使ったのかも。 「忘れてきたの?」 「う……途中までは持ってたのよ、ちゃんと!」 「でも、忘れてきたんだね」  ゼロは笑顔だった。しかし、声音には責めが滲んでいるように聞こえる。  言い訳の言葉など聞きたくないと暗に含めるゼロに、二人は返す言葉に詰まった。 「余計な荷物になったから置いてきたんだよ。デカイ荷物が他にあったからな。さすがにそ っちを置いてくるわけにはいかねえだろ」  デカイ荷物―――足をケガしたプラスを一瞥して、マイナスが言う。 「大体、お前が予定外にあんな威力の爆弾を作ったりしなけりゃ問題はなかったんだよ。お 前に文句を言う資格なんかないからな」 「そうかなぁ?」  納得しかねた様子ではあったが、それ以上はマイナスが取り合わなかった。  カイトは、いいんだろうかとプラスを見やったが、問題なし、と口の動きだけで返して、 プラスは笑って見せたのだった。 「ここでいいの?」  舗装された道路を三十分ばかり走った後、歓楽街と住宅地に別れるT字路でトラックを止 めた。降りるカイトに、プラスは名残惜しそうに訊く。 「場所さえ教えてくれれば、ちゃんと送ってくのに」 「充分だって。少し歩いて頭の中を整理もしたいし」 「そっか。それじゃ、頑張ってね」 「うん、ありがとう」  マイナスとゼロにも礼を言って、走り去るトラックを見送った。  見えなくなるまでその場に立ち尽くし、カイトは軽く頭を振って歩き出す。  長い一夜がようやく終わり、いつもとはまるで違う朝日が視界へと差し込もうとしていた。 >>> MENU? or BACK? or NEXT?


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