*** 世界を救う君に
   > Itsuki‐1  何が起こったのか、俺にはわからなかった。  気づいたら乾いた風に吹かれる岩の陰にいて、体を起こして辺りを見渡せば、目に 入ったのは左右に切り立った崖とどこまで続くかわからない細い道―――というか、 両脇に崖ってことを考えたら、ここは谷底なんだろう、程度の状況はわかったけど、 それだけだ。上を見上げても、遠い空が青いことがわかっただけ。目の前の崖が登れ る高さじゃないこともわかったが、それが意味あることだとは思えなかった。  自分の体を見ても、三年目にして着慣れた制服が、砂に汚れていただけでケガはな し。とりあえず、崖から落ちたなんて可能性は消えた。元より見上げた高さで、どん なに運が良くても落ちて無事でいられるわけがないことは確認するまでもないが。  足元を見れば、通学に使っていたリュックサックが落ちていた。荷物はそれだけ。 「……なんなんだ一体?」  ぼやいたが答える声はもちろんなかった。  こんな場所に来た覚えはない。理由も思い当たらない。となると、誰かに連れてこ られたとしか考えられないが……見回しても、ヒトの気配もない。  考えようとすると頭が少しふらついたが、倒れるほどではなかった。  わからないことだらけだが、ここで突っ立っていても仕方がない。そう判断して、 俺は歩いてみることにした。どっちに行けばいいのかなんて当然わからないが、道は 二つ。ここから見た限りじゃ違いなんてわからない。だったら、どっちを選んでも同 じ気がした。  だから、俺が選んだのは、そのとき向いてた方向だった。  歩きながら腕時計を見ると、デジタルの数字は午後5時半を示して止まっている。 数字が表示されてる以上、電池切れなんてことは考えられないのだが……秒を示す数 字は『00』のまま動かない。  リュックを探って携帯電話を見たが、そっちの時計も止まっていた。電池の残量を 見たが、それは満タンを示している。昨日の夜に充電したばかりで、今日は一度も使 ってないから表示が減ってないのはそうおかしくもないが、止まってる理由が余計に わからない……ついでに、圏外か。使い物にならないな。  諦めて携帯をしまって、リュックを背負い直す。  こうなったら、歩いてヒトを探すしかない。  ここの地名を聞いて……都内じゃないだろうな、やっぱり。こんな深い谷があるな んて聞いたことがない。谷って言ったら……ん?  考え事をしていても、気配はすぐに察した。  一、二……五人、か? 少し先に、大きな岩が道の右半分ほどを塞いでいる。そこ に二人。と、さらに先で左半分を塞いだ岩の陰にまた二人。後の一人は…… 「上!」 「っ!?」  顔を上げると、右上の崖に器用に張り付いた男と目が合った。気づかれるとは思っ てなかったらしい。目を見開いて、伸ばしかけた手は次の支えを掴みそこなった。  が、すぐに気を取り直すと、男は器用に崖を蹴ってそのまま飛び掛ってくる。 「チッ!」  体を捻ってかわし、俺は落ちてくる男とすれ違いざまに足を蹴り出した。危害を加 えてくる相手に遠慮する気はない。首筋に極まった蹴りは、男の意識を失わせるには 充分な威力があった。短く唸って地に沈み、ピクリとも動かなくなる。 「ジャンシー!」 「くっ、てめえ、よくも!」  よくも、って先に飛び掛ってきた相手を迎撃しただけで文句を言われる筋合いはな いと思うんだが……言ったところで、この手の連中は聞かないだろう。  完全に頭に血が上った様子で岩陰から飛び出してきた四人……とはいえ、道幅の狭 さから二人以上でいっぺんに襲いかかってくることは不可能。相手までの距離も考え て、俺は冷静に構えを取った。  で、結果から言えば、俺は苦戦することなく四人を伸した。  この場合、家が空手道場で、物心ついた時には毎日の稽古が当たり前になってた環 境に感謝……だろうか。一応。まさか、そんなことに感謝する日が来るなんて夢にも 思わなかったが。  夢にも思わなかった、と言えば。 「ボス……あ、いえ、イツキさん、飯の支度が出来ました」  この年で、どう見ても年が十は上の相手に“ボス”なんて呼ばれる日が来るなんて な―――さすがに止めたけど。言いかけたところを見ると、彼らの脳内じゃどうやら 俺は“ボス”確定らしい。  こうなったらどう言ったところで、訂正なんて出来ないんだろうな。  このわけのわからない状況をもう少し一人で整理したかったが、腹は減った。せっ かく用意してくれたわけだし、ここはご馳走になっておこう。 「すぐ行きます」返事をしておいて、俺はもう一度だけため息を吐く。  五人を伸したと言っても、全員を気絶させたわけじゃない。話は聞きたかったし、 それ以前にそこまでしなきゃならない相手でもなかった。木刀やナイフに頼っていた が、構えは素人に毛が生えた程度。仲間がやられて思わず飛び出してきたらしいが、 アゴやら腹やら一発ずつ食らわせたら降参は早かった。  這いつくばって謝って……俺だって、相手が襲い掛かって来なけりゃ何もしやしな いものを、『殺さないで』と言いかねない様子が腑に落ちなかったが。  とりあえず、それ以上攻撃する気がないことだけは示して、彼らに話を聞いてみた。  けれど、何を勘違いしたのか、『許してくださるんですか!? なんて心の広い! はっ、立ち話もなんですし、ウチに是非。いや、すぐそこですから!』などとまくし 立てて、俺が進んでいた方向へさらに誘われた。  しばらく行くと、右側にさらに細い道……というか、割れ目があった。体を横にし てようやく通れる程度の幅。  急かされるままにそこを進んでみると、洞窟に繋がっていた。  入ってみれば、鍋や皿が転がり、壁際にいくつか灯したロウソクは薄暗いが生活の 雰囲気はある。そこを居間として、その先には個室として使っている小空間もあるら しい。多少ジメジメしていたが、不思議と寒くはなかった。  時間的に昼頃だったらしい。  『飯の支度をしますんで、奥でくつろいでいてください』通されたのは使ってない らしい場所。誰かに話を聞きたかったが、通した後はいそいそと居間の方に戻って行 ってしまった。  それから待たされたのは三十分くらいだろうか。  居間に行ってみると、ほぼ中央にちょうどテーブルの形に岩―――ちょっと不恰好 だが、一応表面は平らにしようと削った後は見える―――があり、真ん中にロウソク を置き、その周りに湯気の立つ皿が並んでいた。 「さ、イツキさん! 大したもんはありませんが」 「……はあ」  俺が示された場所に座るのを見て、彼らもそれぞれ腰を下ろす。  メニューはシチューとパン。それだけだが、質素な感じはこの場の雰囲気に合って る気がするようなしないような。失礼だが、薄汚れた作業服のような格好の彼らが作 ったかと思うと意外だが。 「…………」  視線を感じて料理から顔を上げると、五人に注目されていた。 「あの、何か?」 「い、いえっ……あの、お気に召さなかったでしょうか?」  どうやら料理を見つめて動きを止めたのが気になったらしい。ああ、すぐに一人で 考え込むのは悪い癖だな。いつも言われてるが、なかなか直せやしない。 「いえ。え〜と……何が入ってるのかな、と」  思いつきで誤魔化したが、それも気にならないわけじゃない。  洞窟の中、ということを考えるとスーパーの豚肉や牛肉を使ってるより、その辺で 狩ってきた野生のウサギやイノシシだと言われても納得できそうだった。  が、男は安堵した顔を見せつつ「サキラキですよ」と言った。 「今朝獲れたばっかりなんです。このガライはサキラキに関してはジータリィ一です から!」  横で、そのガライが「よせよ〜」などと照れている。 「……サキ、ラキ?」 「はっ、もしかしてお嫌いでしたか!?」  嫌いも何も、そんな動物―――いや、野菜の可能性もあるか?―――は聞いたこと もない。  けれど、彼らは真っ青になって慌てている。 「お、おい!」 「どうすんだ?」 「どうするったって、サキラキしかないぞ?」 「だってお前、まさかサキラキが嫌いなヤツがいるなんて思わないだろうが!」 「はっ、ジータリィじゃ定番だが、他の村じゃ違うんじゃねえか!?」  そうなのか! と勝手に結論を出して、五人まとめて勢いよく頭を下げる。 「すんませんでした!」 「俺たち頭悪くて気づかなくて……」 「す、すぐに新しいモノを用意しますんで!」  慌てて駆け出そうとする彼らに、俺こそ慌てた。 「え、ちょっと待ってください!」 「……は、はい?」  恐る恐る振り返り、五人が五人とも俺の言葉にビクついてるのがわかる……何もそ んなに怯えなくても。軽く脱力しつつ、とにかく彼らには座るように示した。彼らは 迷った様子でもあったが、誤解は解いておかないとこっちも落ち着かない。「座って ください」もう一度言うと、顔を見合わせつつ元の位置に戻った。 「サキラキって、あなた方がいつも食べてるモノなんですよね?」 「え、ええ。この辺じゃ多いんです。捕まえるのにちょっとコツがいるんですが」 「ならいいんです。いただきます」  これ以上気を遣わせてしまうのも悪い。彼らが日常的に食べているというなら、危 険もないだろう―――どう見ても嘘を吐いてるようにも見えないし。  五人に注目されてるのは居心地悪いが、とにかく一口食べて見せた。  入っていたのはほうれん草のような青野菜と鶏肉のような肉―――捕まえるのにコ ツがいるってことは、こっちの肉が“サキラキ”なんだろう。定番になるだけあって、 確かにおいしい。  そう告げると、彼らは派手に息を吐いて力を抜いた―――そんなに緊張して見守ら なくても。  ようやく彼らも食事を開始し、俺もホッとする。 「サキラキってどんな動物なんですか?」  一段落ついて、彼らも多少打ち解けてくれたらしい。質問すると、「サキラキを知 らないんですか?」と驚いたものの快く説明してくれた。 「耳が長くって、体の大きさはこれくらい」手を肩幅ほどに広げて見せる。 「体毛は白か茶。今日のは白ですが、味はどっちでも変わらんですよ」  ……ウサギ、みたいなもんだろうか? 「あと特徴と言やあ、ふわふわの尻尾だな。体の大きさくらい長さがあるんですよ」 「すばしっこくて頭もいい。罠を張っても壊されてることも多くてなぁ」 「そうそう。だから罠は二重三重に掛けておかんと。でも、その罠から取り出す時も、 一瞬の隙をついて逃げようとしよる。そこにコツがいるんだな」  サキラキ獲りを得意だと言うだけあって、ガライが自慢げに説明してくれる。 「なるほど。あの……変なことを訊くようですが、ここはどこですか?」  サキラキのことだけわかっても仕方がない。さっき“ジータリィ”という言葉は出 たが、話の流れからして彼らの出身地かここらの地域の名前だろうが、日本の地名だ とは思えない。といって、彼らとは日本語で通じてるし。 「ここ……ですか?」  なんでそんなことを? と言いたげに彼らはまた顔を見合わせたが、この場合、相 変わらず俺に逆らう気がないのが都合がいい……なんて、状況に酔ってるな俺も。 「ジータリィ村の近くです」 「え〜と、地図に省かれることも多い小さな村ですけど」 「国内の位置で言うと……」 「最南ってヤツじゃないか? 確か前に村長が言ってたぞ」 「だな。そこの道を南に行けば隣りのウィリース国まで、こっからなら半日ってとこ です」  道、と言うのはさっきいた谷底のことらしい。  ……ウィリース国? どこだ、それ。  彼らはやっぱり嘘を吐いてるようには見えない……となると、ここは日本じゃない のは確実らしい。一体どういうことだ?  訊けば訊くほど疑問は増えそうだったが、それでも質問を止めることは出来そうに なかった。 >>> MENU? or BACK? or NEXT?




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