*** 世界を救う君に
   > Saria‐1  その日、城内は落ち着きを失っていた。 「何かあったのかしら?」  レイエル先生に訊いても「お気になさらずお勉強なさいませ、サリア様」と注意さ れるだけ。  退屈な学習の時間。  確かに、我が国リーフルーブスの歴史とか国内の産業とか、姫と生まれたからには 知っておくべきことだとは思うけど。城内の異変を見過ごしてまで、優先させること じゃないと思うわ……なんて、レイエル先生に反論できるわけないけど。  仕方なく、手元に開いた書物に目を戻す。  分厚くて重くて、おまけに細かい文字。いいかげん疲れて集中力も落ちてきてるん だけどなぁ……私の部屋の前をバタバタと走り抜けるとか、ヒトの話し声が聞こえる とか、城内の変化はそんなあからさまなコトじゃない。  ただちょっと、朝の空気を吸おうとベランダに出たら、いつもはいるはずのイアの 親子が巣にいなかったとか、朝食を運んできてくれる女官がいつもより遅かったとか。 しかも、いつもなら朝食の間お話し相手になってくれるのに、今日は『食器は後で下 げに参りますので』って、せかせかと出て行っちゃって。  やっぱり、おかしいわよね―――レイエル先生はいつもと同じだけど。  ……う〜ん、気になる。  声には出さずに唸ったのだけど、眉間に寄ったシワを目ざとく見られたらしい。 「何かご質問ですか?」 「え、いえ何も……」  ふう。この先生の前じゃ、考え事もままならないわね。  改めて姿勢を直して、書物を持ち直す。  そのとき、不意にノックの音が響いた。 「はい、どなた?」 「勉強中にごめんね、サリア」  ドアを開けて覗いたのは、アークス兄様だった。 「ちょっといいかな?」 「ええ、もちろん!」  助かった、と立ち上がりかけた……のだけど。 「アークス様。申し訳ありませんが、サリア様はお勉強中ですので」 「え〜と、それはわかってるんだけど、ちょっとだけ……」 「いけません。たとえアークス様といえど、規則は守って頂きませんと」  午後は学習の時間―――面会謝絶ってわけじゃないけど、勉強を中断する時には先 生の許可を得ること。規則と言うか……その時間の間は、何をするにも先生の指示に 従いなさいってことなんだけど。  レイエル先生は少し融通が利かなすぎると思うの。 「さ、アークス様。あと一時間ほどですので、今はご遠慮くださいませ」 「そうしたいのは山々なんだけど……この後、父様に呼ばれてるんだ。その用がちょ っと長引きそうで、下手したらサリアの就寝時間にも終わるかわからなくて……」 「ねえ、レイエル先生、少しだけ。十分でいいの。休憩時間を頂けないかしら? こ の本が重くて腕が疲れてしまったの。だから、ね?」 「…………」 「お願い!」 「……わかりました、十分ですね。ただし、今お休みする分は後で延長いたしますか らね」 「う……は〜い」 「では、私は少し席を外させて頂きます。十分後にまた」  言って、レイエル先生は軽くお辞儀をして部屋から出て行った。  ホンットにマジメな方だわ…… 「大丈夫かい、サリア?」 「ええ。レイエル先生に教えて頂くようになって三年……忍耐力が一番鍛えられてる と思うわ」 「あはは、確かに。僕も鍛えられたな」  私が十二の年から教わって、その前は三つ年上のアークス兄様が五年ほどレイエル 先生に教えて頂いていた。そのさらに前は、私より六つ年上のリクード兄様と七つ年 上のレディン兄様も。先生は他にも何人かいるけれど、レイエル先生が一番長く仕え ているのよね。お父様に、あのマジメさを買われてるからこそなんだけど。 「そういえば、アークス兄様、私に何かご用が?」 「ああ、この前言ってた本が読み終わったから……はい、これ。待たせてしまって悪 かったね」 「もういいの?」 「うん。読み終わったからね」 「私が後で読みたいなんて、急かしてしまったかしら?」 「そんなことないよ。内容が興味深かったから、止まらずにまとめて読み進めてしま っただけだから。サリアが同じ分野に興味を持ってくれたのは、とても嬉しいけどね」 「あら、他国の文化や習慣の違いはとっても興味深いわ。とても面白いもの」  受け取った本を胸に抱いて、語る口もつい熱くなる。 「リーフルーブスにはいない動植物も、たくさんいるのよね。花だけじゃなく葉も茎 も真っ白な植物とか逆に真っ黒な植物とか。体は手のひらに乗るくらい小さいのに耳 だけでその体を覆い隠せる動物とか。でも、私が一番見てみたいのは……」 「透き通るような蒼い羽を持つ鳥、イーファローズ。だったよね?」  何度となく話してるから、アークス兄様は苦笑しながら言う。 「そう! 前に来た商人から羽根だけは買えたけど、イーファローズの羽根はその体 から抜け落ちると途端に、透き通るようなその色彩を失ってしまうんだもの。絵に見 たりお話に聞いたり……それだけじゃなくて、是非一度はこの目で実物を見たいわ」  イーファローズが棲息していると言われるのは、ここよりずっと北の国。“最果て” と呼ばれる場所で、ひっそりと暮らしてらしい。  その生活を乱す気はもちろんないけど、一度行ってみたいものだわ……なんて、許 されるわけもないけど。こういうとき、王女に生まれたことがちょっとだけ悔しい。 優雅な生活を送ってるくせに、って思われるかもしれないけど、過剰な心配ばかりさ れる生活ってのも考えものよ。 「……いつか、見られるといいね」  他のヒトに言われたら嫌味だと思うけど、アークス兄様が言うと素直に頷ける。 「ええ、いつかきっと……」  窓の外を見やり、「そういえば」と思い出す。 「アークス兄様、イアの親子が巣にいないんですけど、ご存知ないかしら?」 「イアの親子? ああ、その窓の外に巣を作ってる……いないのかい?」 「そうなの。今朝からずっと」 「おかしいね。子供の巣立ちにはまだ早いし、親子共にいないなんてこと普通ならな いと思うけど……あるとすれば、イアが巣にいられないような何かが?」 「巣にいられないようなこと?」 「イアは魔法呪文の詠唱を嫌うらしくて、魔法の種類の区別なく、唱え始めるとその 場から逃げ出すって言われてるけど。でも、まさかね」  魔法呪文の詠唱。  普通に考えれば、城内で行われるはずがないこと……だけど。 「それだわ!」 「え?」 「今日はずっと城内が騒がしいのは、きっとそのせいね。何か魔法を使わなければな らないような何かが起こったんだわ」  確信を持って告げたのに、アークス兄様は「それはどうかなぁ?」と首を傾げた。 「魔法が必要な事態と言えば、一番考えられるのは賊が侵入したとかその逮捕あるい は討伐する警備隊の補助だろうけど、だとしたら、僕たちをまず安全な場所へってこ とになると思うな。僕がこんなふうにサリアの部屋を訪れることも出来ないよ」  ……う〜ん、そうかも。 「それに、騒がしいって言うほどでもないと思うよ」 「そうかしら?」 「どこか落ち着きがないけど……何かを隠そうとしているような気はするかな」 「隠すって?」  何かが起こったのは確からしい。  そうとなれば、気になるのも仕方のない話よね。 「表立って騒ぎ立てることは出来ないけど、何かは起こった。あくまで可能性の話だ よ。それ以上のことは言えないけど……それが魔法が必要なこと、だったのかな?」 「……何があったのかしら?」  魔法が使える人間は限られている。  その上、法律で魔法の使用には制限を設けられていて、むやみやたらに使っちゃい けない。魔法を発動させるには特別な力を秘めた石が必要で、その“魔法石”が滅多 に見つからないせい……つまり、本当に必要な時に魔法石がなくて魔法が使えなかっ たら困るから、ってこと。  それなのに、魔法が使われたんだとしたら―――非常事態? 「魔法を使ったことを隠したいのよね」 「う〜ん……魔法を使わなければならないような事態の元と両方、かな。周囲に知れ れば、問題が生じるのかも」  城内で魔法が使えるのは、三人の雇われ魔法士だけ。  リーフルーブス国中を探しても、十人前後。国によっては、魔法士の素養を持った ヒトが多く生まれる地域もあるらしいけど―――そういう土地って、魔法石も多く発 掘されるみたい。その辺りの理由はまだ研究途中らしくて、誰もはっきりと説明は出 来ないけど。  一説によると、自然の力の一種じゃないか、とも言われてる。自然の中にある生命 力みたいなモノが凝縮して具現化したのが魔法石。でも、それだと土地によって差が 出るのは何故かってのがわからなくて、やっぱり結論は出ない。  私も魔法に関する基礎知識は勉強してるけど、素養なんてもちろんないから――― 私たち兄妹の中で微弱ながら素養があるのはアークス兄様だけで、その上まだ使える ほどの勉強は足りないみたいで―――私にはいまいち理解しにくい。  素養のあるアークス兄様だって、実際に魔法を使うのは難しいって言ってるくらい だもの。アークス兄様と二人で考えたけど、結局何が起きたかはわかるわけがない。 「気になるけど、これ以上は無理だね。ま、本当に重要なことならそのうちわかるよ」 「もうっ、アークス兄様は呑気に構えすぎ。もし国の存続に関わる一大事だったらど うするの? 私たちは王子として王女として、放っておけないじゃないの!」 「サリアはいつでも国のことを真剣に考えているね。王族としての意識もちゃんとあ って……僕は兄として鼻が高いよ」 「からかわないで」 「ホントだよ。サリアは僕なんかよりずっと、王女としての自覚がある」  そう言うアークス兄様の顔に、自嘲気味な笑みが浮かぶ。  どうしてかしら? アークス兄様は時々こういう顔をする。  勉強へ取り組む姿勢も成績も、私が注意を受けることが多いのに比べて、アークス 兄様はいつも褒められてるのに。  レイエル先生はあからさまに比較したりはしないけど、比べられることは多い。ア ークス様のように……と口癖のように言う先生はいるし「少しは見習ってください」 と注意も受ける。私もアークス兄様の優秀さが羨ましいだけに、耳に痛いことばかり。  なのに、アークス兄様は……  と、私の思考を遮って、ドアが鳴る。 「アークス様、サリア様、お時間です。お話はお済みですね」  部屋に入ってきたレイエル先生は、開けたドアを押さえたまま「さあ、アークス様 はご退出ください」とアークス兄様を促す。  う〜……これ以上は無理、ね。  そっとため息を吐くと、アークス兄様はクスクスと笑った。 「じゃあサリア、今日のところは失礼するよ。またゆっくり話そうね」 「ええ是非。今度はこの本を読んだ後にでも」  答えると、アークス兄様は笑顔で頷いて、部屋から出て行った。  その背中を送り出して、ドアを閉めたレイエル先生が振り返る。 「ではサリア様、意識を切り替えて、お勉強に励んでくださいませね」 「……は〜い」  レイエル先生は正しい。  正しいけど……もう少し融通を利かせてほしいなぁ、とやっぱり思う。  アークス兄様の自嘲気味な笑顔、どこか落ち着かない城内、いなくなったイアの親 子、城内で使われたかもしれない魔法……気になることは山ほどあって、一応、課題 の書物をもう一度開いたけど、文章なんて頭に入らない。  レイエル先生は何か知ってるかしら?  チラッとその表情を盗み見たけど、相変わらずの無表情で新しく持ってきたらしい 本に目を落としている。  ……知っていたとしても、レイエル先生じゃ教えてくれないだろうけど。  学習の時間に他のコトに意識を取られてるなんて、また怒られるだけ。せめて学習 の時間が終わってからなら…………無理か。  もう一度だけ小さくため息を零して、私はなんとか散漫する意識をかき集めた。 >>> MENU? or BACK? or NEXT?




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