*** 世界を救う君に
   > Arks‐1  ドアの前に立って、深呼吸をする。  深呼吸をしなければ、ノックをしようと持ち上げた手がその目的どおりにドアを叩 くことはない。やがて緊張に震え出し、息が詰まる。  この部屋―――我が国の最高権力者にして国王、そして僕たち兄妹の父親の私室の 前に来るといつもこうだった。  理由はよくわからない。  優しさよりも厳しさこそが子供を成長させると信じ、子供の前でも“国王”であり 続ける父に対する畏怖はあるかもしれない。父様の姿を遠目にでも見かければ反射的 に動きを止め、父様の前に立てば黙って姿勢を正す。父様を意識すれば、動悸が速く なる。  だから、部屋へ立ち入る前の一呼吸は大事だ。  たったそれだけの余裕を持つことで、僕は冷静に―――いつもと同じとはいかなく ても―――自分を見失わずに父様と対面することが出来る。  大袈裟な話だと、自分でも思う。  他の兄妹たちはもっと普通に―――“国王”を意識した風でもなく、それでも最低 限の“国王”への敬意と畏怖は抱いたまま接している。  僕だけだ。僕だけが、過剰に意識してしまう。  改めることも出来ずに、ここ数年は父様に自分からは話し掛けてもいない。  そんな僕に、長兄であるレディン兄様は『お前は真面目すぎるな。距離の取り方は、 そのうち自然とわかるようになる』そう言って励ましてくれた。それ以来、不甲斐な い自分に情けなくなるたびに「そのうちに……きっと」と兄の言葉と共に胸のうちで 繰り返す。  ……今のように。  唇を引き結び、顔を上げた。  軽く握った拳でドアを叩くと、一拍置いて「入れ」と返る。 「失礼します」  中に入って、恭しく一礼する。  いつもの儀式的行為―――何度来ても、僕がこの室内で一番最初に視界に入るのは、 部屋の床に敷き詰められた毛の長い臙脂色の絨毯だった。他の何も見えない。一歩入 ってドアを閉めて向き直り、その間に見ているはずの壁もドアも記憶に残らない。 「アークス。ここに座りなさい」  父の声に顔を上げ、示されたソファまで歩み寄る。  部屋にいたのは三名。父様と国の魔法士を取りまとめる―――本人には魔法士とし ての素養はないけど、その豊富な知識を買われての異例の抜擢ではある―――管理者 のカウチ・ルード・コーステンシル、そして王廷魔法士としては最年少のリッティル ト・コーステンシルだった。  並んだ顔ぶれは意外だったけれど―――特にリッティルト……リットは、父親であ るカウチ・ルードの顔を立てて王廷魔法士になったと言って憚らない、公的な行事に は最低限しか参加しない不真面目魔法士である。よっぽどのコトがない限り国王の呼 び出しにさえ応じないことで不評を買っても、平然としてる彼が何故……?  僕の困惑を読み取ったのか、リットは意味ありげにその口元に笑みを乗せた。  わけがわからないまま足を進めたが、リットの存在が少し僕の心を軽くする。  おかげで緊張は薄らいだが、視界の端に壁に掛かった風景画や大きく南に開いた窓 の外の青空がよぎったが、意識を向けるほどの余裕はない。  部屋を出れば途端にぼやけてしまい記憶に残らない調度品は、高価でも華美でもな い。その趣味は母様によるもので、父様は装飾品も含めて興味がない―――僕が父様 に似てるとすれば、それだけだろう。顔も性格も、僕はまるで似ていない。  向かい合う形で座った僕の顔を、父様はまっすぐ見つめてくる。視線を外して、父 様の背後に控えたカウチ・ルードとリットを見ることも叶わない。  長い沈黙―――実際はさほどでもないだろうけど。  やがて、父様は「アークス」ともう一度、僕の名前を呼んだ。 「……はい」 「これから話すことは極秘だ。他の誰にも話すな。もちろん兄妹たちにも、だ」 「え……はい」  兄様たちにさえ秘密……その意味を捉えかねて戸惑ったけど、考えるべきはそこで はない。どんな意味があろうと、父様に言われたからには頷くしかない。  重々しく頷くと、父様は軽く頷いて話し始めた。 「現在の、隣国との関係はわかってるな」  これにも頷く。  隣国……四方を他国に囲まれているが、おそらく南方にあるウィリース国のことだ ろう。今これといって問題があると思われるのはここだけだ。  ここ半年近く、ウィリース国の王室との連絡が取れていない。  民が国を行き来できないことはないし、通行証は正常に発行されている。国内に変 わった様子もないが、唯一、王室からの使者の行き来だけがない。理由は定かではな いが、使者を送ってもウィリース国王城の中に入れないらしい。  といっても、門番に門前払いされるわけでもない。  王城の門は固く閉ざされ、門番さえいなかったのだそうだ。  有り得ないが、半年前から三度の使者を送り、三度とも使者は同じ報告をした。  王城で何か異常があったのなら、城下町にも何かしら影響が出るはずだがそれもな い。他国に訊いても、状況は同じらしい―――ただ、王室と連絡が取れない。  たどたどしくも答えると、父様は「うむ」とアゴを引き「それが先日、ウィリース の状況が判明した」 「えっ!?」 「間者を放ったのだ。本意ではないのだが、コトが起こってからでは遅い。もしウィ リースが何かを企んでいるとしたら、な」 「…………」  話の重要性が実感として肩に掛かる。  つまり、企みが…… 「ウィリースは、他国への侵攻を企んでおる」 「っ!」  “まさか”と“やっぱり”が入り混じる。  もちろん僕は話に聞いていただけだが、三年前に国王が代替わりをしてからのウィ リース国は、少しずつ他国と距離を取るようになっていた。あるヒトは親書が簡略化 した気がすると言い、またあるヒトは王城の警備が強固になったと言う。  だから、使者の来訪を門番が迎えないというのは余計におかしい。  たとえ門を閉ざしたとしても、他国を警戒するなら門番は必須だろう。  つまり、事前に魔法で来訪者を探り、他国の使者の時だけ門番を下がらせていた?  門の内側にはいただろうが、正式な使者ならまず閉ざされた門を勝手に開けてまで 中に入ることはない。門番自ら使者の取次ぎを断るよりは、意図を判断しにくい。疑 いはあっても、今までの友好関係を考えたら断言するのは躊躇われるだろう。  現に、父様たちは半年かかってようやく多少強引でも、間者の送り込みを決断した。 「詳細までわかったわけではない。ただ、ヒトを集め武器を揃え……準備は着実に進 んでいるようだった、と」 「……戦争」  平和は、いつも他者によって唐突に奪われる。  歴史を紐解くまでもなく、身近な例はいくらでもあるが、それでも戦争ほどの悲劇 は最悪な例のひとつだ。  膝に置いた手を握り締め、眉をひそめる。  二百年前の建国以来、リーフルーブスは戦争に参加したことはない。  そのせいか、軍隊は小規模だし実地訓練もマメに行うわけじゃなかった。平和に慣 れ、国としてそれでは危機感が足りないと軍隊の存在の意味を散々問われては来たけ れど、僕はそれでいいと思っていた。隣国とは友好な関係を築けている、戦争なんて 起こるはずがない、と。  なのに。 「本当に……」 「ウィリースはまず本気だろう。不本意だが、もしもの時には我が国も決断しなけれ ばならん。そのためには今からでも軍隊を……という話も出た」 「…………」  目の前が暗くなる。  もう避けられない、現実になってしまうのだろうか…… 「だが、別の間者が持ち帰った情報が、少し状況を変えることとなった」 「……?」 「ウィリースの最終兵器とも言える切り札がわかったのだ」  そこで初めて背後のカウチ・ルードを一瞥し、頷き合う。 「彼らは、どうやら召喚魔法を使ったらしい」 「召喚魔法?」  首を傾げる僕に、カウチ・ルードが説明を始める。 「異世界の人間を召喚したのです。準備の段階で察知しましたので、急遽、私たちが 干渉することには成功したのですが、その対象は確実にこちらの世界へ来ています」 「……その、召喚された異世界の人間がウィリース国の戦争における強力な味方にな る、と? 本当に人間なんですか?」 「はい。一瞬ですが、水鏡にその姿が映し出されたのを確認いたしました」 「何か特別な力の持ち主なんでしょうか?」 「そこまでは……三名の若い男女ということしか」  でも、召喚魔法まで使ったからには、何か確信があったのだろう。特別な力がある とか魔法の素養があるとか、僕なんかには思いもよらない何かがきっと……  と、そこまで考えて、僕は首を傾げる。 「あの……話の途中で失礼ですが、事態が事態ですしコトが極秘なのはわかります。 でも、あの……何故、僕だけに?」  躊躇いつつも、訊かずにはいられなかった。  非常事態……手をこまねいていれば、避けられない事実―――それはわかった。だ が、それを僕だけに話す理由がわからない。国の一大事であるのだから、次期国王で あるレディン兄様やその知識で今から行政等を補佐し得るリクード兄様を差し置いて。  父様に訊ねてみたつもりだったが、父様はカウチ・ルードに説明を促した。 「お話ししました通り……私たちはその召喚魔法に干渉することに成功、しました。 そのため……」  ……カウチ・ルードにしては珍しく歯切れが悪い。  説明を躊躇い、慎重に言葉を選んでるようでもあった―――いつもなら、その豊富 な知識が自信となるのか、明確にテキパキとした答え方をするのだが。 「……召喚された異世界の人間たちは、現在ウィリース国には、おりません」 「え? ……では、どこに?」 「我が、リーフルーブスの国内に」  僕は息を飲んだ。  ……そんな、戦争の最終兵器になり得ると思われる人間がこの国内に? 「私たちの妨害により、三人は別々の場所に現れたはずですが」  そこまで言って、カウチ・ルードは言葉を切る。  僕の顔を見、何故か言いよどむ。  そんな彼に、父様はわずかに顔をしかめ、小さな嘆息と共に告げた。 「ウィリースとの交渉を進めるつもりでいるが、その最終兵器の確保も必要だ。ウィ リースの手は伸びるかもしれないが、地の利はこちらにある。先にその身柄を捕える ……いや、保護するのも難しいことではないはずだ」  ……若い男女、と言った。つまり外見上は、僕たちと変わらないんだろうか?  父様の話を訊きながらそんなことを考え、自分が何を質問していたかも忘れていた。 頭は混乱し、コトの重大さばかりが強調され思考をかぎ混ぜる。 「町々に通達は出した。発見次第、連絡は入るだろう。小さな村々にまで行き届くに は、多少の時間がかかるかもしれんが」  ……通達で簡単にその特徴を伝えられる程度には、やはり違いがある?  それはどんなものだろう……考えてみたが、例を浮かべる前に、僕が質問したこと を思い出させてくれることになる。 「アークス、勉強のために市井を見てみたいと言っていたそうだな?」 「え……あ、はい」  一度だけ社会学担当の教師に漏らしたことがある。  書物を読むだけでなく、直にこの目で人々の暮らしを見てみたい、と。  ……でも、唐突に何を? 「それを許そう。その代わりに、異世界の人間の探索も気に止めてもらう」 「え……?」 「民への通達には“異世界からの迷い人”としか書いておらぬ。それも、ウィリース の手の者に極力ばれぬよう、通達の方法も限られた。念のための準備に、探索に人員 を割くわけにはいかんが、少数での探索部隊はどうしても必要だ」 「……それを、僕が?」 「リッティルトに一任したいところだが、日頃の行いに問題があるのでな。お前に、 補佐役として一緒に行ってもらいたい。やってくれるか?」  信じられなかった。  でも、次の瞬間、僕ははっきりと頷き返していた。 >>> MENU? or BACK? or NEXT?




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