*** 世界を救う君に
   > Itsuki‐4  知らなければならないことは山ほどある。  一昨日から見てきた限り、文化や習慣の違いはあるし―――こちらのソレは日本よ りも西洋に近いと思う―――最低限踏まえておくべき法律もあるだろう。旅をしてい く上では、当然買い物をする必要もある。それには一般的な物価を知っておかなきゃ ならないし、何より通貨もわからない。  必要な路銀を稼ぐのにどれくらいかかるかも不明……場合によっては、俺も何かし ら仕事を探すか。佐上に任せっきりなのも悪いし。  学ぶのと並行して、どこまで出来るものだろうか?  ミルシェに導かれてジータリィ村へと戻って行った佐上を見送ってから、簡単に数 えてみても知るべきことは両手にも余る。  短期間で知識を得るには、最低限に切り捨てることも必要だが……難しいな。 「イツキ」 「はい?」 「……少し付き合え」  迷いが、見えた。  二人の姿が見えなくなって、すぐの言葉。それでも、一瞬の躊躇いがあった。  けれど、俺は異存なく従う。彼女―――アルフォートの信頼は得られ、俺も彼女は 信頼するに値すると判断した。これから世話になる以上、多少の頼み事を聞くくらい 快く引き受けたい。  まずは、さっきまで研究に使う為に植物の一部や樹液を採取していたらしい道具を、 無言で片付けにかかる。それを手伝え、とは言われないが一応手は貸す。アルフォー トが小皿に入った液体を小瓶に移す横で、別に並んだ小瓶の蓋を閉めていく。  俺が手を出したことに対しては、何も言わなかった。チラッと一瞥されたようでは あるが。  小瓶はすべて今までそれを乗せていた台の中に入れ―――木箱を台代わりにしてい たのか―――隙間なく埋まると、彼女はそのまま持ち上げようとした。 「あ、俺が持ちます」 「そうか。悪いな」 「いえ」  両手にちょうど収まるほどの箱を持って―――小瓶とはいえ、量があるだけにそれ なりに重い―――先に歩き出すアルフォートについていく。  ……どこに行くんだろう?  答えはほどなく知れた。  二分と歩かない距離にあった小さな泉。その辺で、荷物を下ろすように示される。 「ここで最後だ」 「……?」 「一日の調査分は決めているものでな」 「あ、いえ、こちらこそすみません」  ……そうか、彼女には彼女の都合はあるし、今すぐに教えろなんて勝手すぎるな。 佐上だけを帰して今日のうちに質問に答えてくれると言ったのは彼女だが、彼女が朝 早くからわざわざ森にいた理由を失念していた。  気の回らない自分に反省して、出来る範囲で手伝うことを申し出る。専門知識はな いが、雑用なら出来るだろう。 「では、この瓶にそれぞれ半分ずつ泉の水を入れてもらえるか?」  言って、木箱から空いた小瓶を五つ取り出す。 「はい……ここ、何かいるんですか?」  泉は綺麗に澄んでいるが、生き物の影は見当たらない。底には藻や水草が漂ってい る為、隠れているだけかもしれないが。 「いや、何もいない。その理由を調べたい」  なるほど。  頷いて、作業に移る……といって、さして手間のかかることでもないが。 「……同じ、ですね」 「同じ?」 「世界は違っても、何かを知りたいとか解明したいって気持ちはあるものだなと」 「ああ、そういう好奇心や探究心は共通か。まあ、それが人間の発展の礎ではあるが ……世界には未知のモノが多い。一人がその一生を賭けても、知れるのはほんの一部 だろう」  木製のおたまのようなモノで泉の底を浚いながら、アルフォートは言う。 「それでも知りたいと思う。少しでも多くのことを解明しようと躍起になる。そして ……次代へと引き継がせて世界を去る。数多の先人たちがそれを繰り返し、私もまた 同じ道を辿ることだろう。子々孫々の知識の一部となるように……だが」 「……?」 「すべてを知った時、人間はどうする? 知り尽くした果てに、好奇心や探究心も消 えるのか? それが残ったとしたら……ヒトは、不幸だな」 「……だから、すべてを知るべきではないとでも?」  五つの小瓶の蓋を閉め、顔を上げる。見やったアルフォートの顔からは、何の感情 も窺えない。  やがて、まっすぐ合った目を細めて答える―――笑ったのだろうか? 「私は有り得ない話だと思ってる」 「有り得ない?」 「今のはすべて仮定の話。実際には、人間がすべてを解き明かすなど不可能だ」 「断言できるんですか?」 「人間がそこまで万能だとは思えない。現に、この世界だけでも未知なるモノが多す ぎると言うのに、さらに」俺の顔を指差して「異世界まであると言う。異世界がひと つだけだとも限らない。世界は広がるばかりだ」 「…………」 「だからこそ、ヒトは幸福だと思うのさ」  そう言って、彼女は今度こそ笑みを見せた。わずかに唇の端を持ち上げただけだっ たけれど、俺もそれに合わせて、笑って見せた。 「何が必要だと思う?」  泉の底から浚った喪を少し形の違う―――液体を入れたモノよりは口の大きな小瓶 にしまい、今日の分の採取のノルマ終了を告げた彼女は、片付け終えるとそう訊いて きた。 「旅に、ですか? そうですね……」  考えながら、また木箱を持つ。これから、アルフォートの家へと戻ることになった。 採取したこれらを早いところ家の研究室に運び込みたいらしい。彼女の先導で歩きな がら―――ジータリィ村の住民と言いながら、彼女の家は少し離れた場所にあるらし く、村へと向かうよりも少し東にズレた方角へ足を向けた―――質問に答えていく。 「食料、路銀、最低限の生活用具も必要でしょうが、荷物を少なくするには……」 「そういった荷物以外には?」 「……地理、地学、法律、基本的な知識。それに体力」 「無難だな。お前の世界でも同じか?」 「同じところもあるかもしれませんが、俺のいた国では、そこまで必要ありませんで した」  たぶん、根本的な意味からして違う。  日本で旅と言えば、レジャーでありもっとずっと気楽なものだ。危機感は必要でも、 それを忘れてしまえるような……楽しみ。  簡単に説明すると、アルフォートは小さく鼻を鳴らした。 「平和な国、か。もしそんなものが本当にあるのなら……ああいや、異世界の存在を 今更疑ってるわけじゃないが」 「わかってます。でも、平和な国云々は認めかねます」 「…………」  視線で促され、苦笑を返す。 「あの国の平和は、盲目の上に成り立つモノでした。真実から目を背けて、大概のヒ トが自分の関わる小さな世界での幸福を望む……どんな悲劇も他人事。そう思うこと で、平和を保つんです。何かをしたいと思っても何も出来ない。最初から何も出来な いと思い込む。そういう諦めの上での、見せ掛けの平和なんです」  ……実際は、皆自分のことで精一杯の…… 「俺、この世界に来た早々にちょっと一揉めあって。あのときは、見覚えのない地形 や場所でもどこも同じだなって思ったけど、今は少し印象変わりました。俺には、こ の国の方がずっと平和そうに見える。見も知らぬ相手からの親切なんて、滅多になか ったですから」 「ここの住人は、な」 「あ、俺の国でも田舎のヒトの方が親切だって言いますが……でも、閉鎖的な村や町 もあるとか……」  考えてみれば断言など出来やしない。  アルフォートもまた頷いて「どこも同じだな」もう一度呟いた。  ……同じ……この国も平和ではない……何故? 「この国での危険は何ですか?」  俺の問いに、アルフォートはわずかに眉を上げる。だが、特に不快を示すでもなく、 答えはくれた。 「人間」 「…………」 「人間を襲う獣もいるが、棲息地域にさえ踏み入れなければ危険はない。だが人間へ の関わりを持たずに旅をするのは難しいからな」 「出来るなら、ヒトには関わらずに行動した方がいいと?」 「その方が、危険はずっと減る」  極端な話だ。  それでも、事実でもあるんだろう……だが。 「出来ない話をしても仕方がありません。出来得る対策は?」 「ふっ……変わらんな」 「変わる?」  話が見えない。  訝しく首を傾げるが、アルフォートは軽く手を振る。 「変わらないならいいんだ。ただのマヌケってことも有り得るが、ここまでの会話か らしてそうは思えんしな」 「……?」 「ただのテストだ、気にするな」 「そんな言い方をされたら気になります」  声に力がこもったが、さらに問い詰めるより先にアルフォートは足を止めた。 「着いた。そこだ」  促されるままに目を向けた先にあったのは、丸太小屋のようだった。ジータリィ村 の家々のように土は使っていない。木だけが組まれ、キャンプ地のロッジのようでも あるが……そこまで立派でもないか―――なんてのは失礼だが、こじんまりとしたそ れは周りの風景と相まって山小屋のようだった。  中へ誘われ、持っていた木箱は入ってすぐのテーブルの上に一度下ろす。素朴な木 テーブルにふたつの椅子。入って左手は台所。右手には階段があって二階へと続いて いる。正面にはドア。全体が古ぼけてはいるが、ヒトの生活する温かさは確かにある。 「ここに娘さんとお二人で?」 「ああ、まだ一月しか経ってないがな。悪いな、狭い割に掃除が行き届いてなくて」 「え、いえ。いいな、と思ったんですが」 「いい?」  怪訝な顔をされてしまった。  ……なんて言ったらいいものか…… 「ウチは余り家族が揃わない家だったもので。毎日いる家なのに、どこかよそよそし い空気に満ちた家でした。考えすぎかもしれないけど、ただいまって帰っても誰も出 迎えてくれないんじゃないかって……小さい頃はそれで、ドアを開けるのを躊躇した ことが何度となくあったんです」  それを買い物から帰って来た母親に見咎められて、気まずい思いをしたこともある。  理由はわからない。家族は揃わなくても母は優しかったし、父も厳格ではあったが 道場の練習中には、他の訓練生と区別することなく褒めてくれたし叱ってくれた。だ から、そんな思いを抱く自分が不思議で仕方ないのだが、それは高校生になった今で も時々感じることだった。 「でもこの家は、そのよそよそしさがない。俺は他人なのに、しかも初めての訪問者 なのに、温かく出迎えられてると思えるから」 「温かい家族、か…………ありがとう」 「…………」 「私が無愛想なせいか、そんなことをヒトから言ってもらったことはなくてな。私は 私なりに子供たちを愛しているが……そうは見てくれない人間もいる。自業自得だが、 時々不安にもなる。だから……ありがとう」 「いえ……そんな」  思いがけず礼を言われてしまい、頬を掻く。  ……このヒトは、とても正直なヒトなんだろうな。 「と、突っ立ったままではなんだな。適当に座ってくれ。箱を片付けたら、お茶でも 淹れよう」 「箱は俺が……」 「ここまで運んでくれただけで十分だ。助かった」  そう言い残し、木箱を抱えたアルフォートは正面のドアを器用に開けて、奥の部屋 へと入って行ってしまった。  仕方なく、俺は椅子をひとつ引く。  ……旅に関係ないことばかり話してるわけにもいかないんだがな。  わかってても自然と口は動いてしまう―――珍しいことだ。  椅子に座ってテーブルに肘を付き、仕切りなおしで質問を考える……が、その瞬間、 あるイメージが降って涌いた―――これは?  イメージ、というか、何かが膨らむ感覚……俺の中ではなく、ある程度の距離のあ る“どこかで”。曖昧だが、その存在だけははっきりと感じる。そこから圧迫され押 し出された空気が、ここまで届いたような……妙な感触。  思わず、その方角を振り返り見据える。  が、視線の先に小さな窓はあったが、その先は木が邪魔をして見えない……いや、 この目に見えない感触は…………感触は?  自分の思考さえ、ままならなくなる。 「イツキ?」  どうした、と戻ってきたアルフォートが問う。  ……わからない。でも。  答えられないまま、小さな窓の外を指差す。 「この先には、何がありますか?」 「何って……そっちはジータリィ村のある方向だが?」  確証はない……だが、村で何かが起こったのだと直感が告げた。それ以外に、この 感覚に説明はつかなかった。 >>> MENU? or BACK? or NEXT?




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