*** 世界を救う君に
   > Saria‐2  空も陸も、どこまでも限りなく。果てなんて見たことがないから、私にとっては無 限と同じ。この広大な大地に、いくつもの国があり歴史があり文化があり言語があり 習慣があり、数え切れないほどのヒトが暮らしている―――考えただけで胸が躍り、 じっとしていられなくなる。  アークス兄様から借りた本は、南方にある小国の独特の文化を紹介したモノだった。 読み進めていくうちに、まるでその文字自体が躍りだしたかのように錯覚した。  そんなことあるわけないけど、風の吹き始めを祝う祭祀も水神様に関する伝承も、 暖かい冬の過ごし方も……何もかもがこのリーフルーブス国にはないことで、信じら れないけど、想像してみると割合すんなり目に浮かぶような光景があって。  アークス兄様が止まらずに読み進めてしまった気持ちがよくわかった。  わかったけど、私の場合、すべてを読み終える前に矢も盾もたまらず部屋を飛び出 していた。  就寝時間はとっくに過ぎて―――大人たちはまだ多くが起きてる時間だけど――― 昼間とは変わって静かな城内を、そっと走る。足音を立てないように、誰にも見つか らないように。読みかけの本を抱えたまま、アークス兄様の部屋まで急いだ。  本の続きも気になるけれど、新たな知識も疑問も一人で抱えるには大きすぎて、誰 かに話さずにはいられないほどに膨らんでいたから……そんな話が出来るとしたら、 アークス兄様くらいで―――あるいはリッティルトも相手をしてくれるかもしれない けど―――考えるまでもない。  無事アークス兄様の部屋の前に辿り着き、呼吸を整えて周囲の様子を窺い、そっと ドアをノックする……が、返事はなかった。あれ?―――首を傾げて、そういえば、 と思い出す。  ……お父様に呼ばれてるって、言ってらしたような……  そう、用件は長引くかもしれないとか……まだ部屋に戻ってないのかしら?  念のためにもう一度ノックをしてみたけれど、やっぱり部屋の中は静まり返ってい る。私の就寝時間ではあるけれど、アークス兄様はもう少し遅くまで起きていること も許されている―――そのあたり、三歳の年の差は大きいってことかしら?―――何 より、いくら時間があっても足りないと言うほど時間を惜しんで読書に励むアークス 兄様のことだから、早くに床に就いても、起きてるに違いない。  前に訊いたら、兄様自身「内緒だよ」と言ってらしたし。  ……お父様のお話、まだ終わらないのかしら?  ここで待っていても、いつ戻るとも知れない……この廊下を、いつ誰が通るかもわ からない。といって、兄様の部屋に勝手に入ってしまうのは気が引けるし―――読み たい本があれば、兄様がお部屋にいなくても勝手に入って持っていってもいい、なん て言ってくださったことはあったけど、今は状況がちょっと違う。  そもそも就寝時間を過ぎてここにいるのは……たとえ兄様でも怒るかもしれないし。 それとも、困った顔をして注意するくらい? どちらにしろ、歓迎はしてくれないだ ろうけど。  本を読んだ興奮が落ち着いてくると、そんなことを考えた―――今日のところは、 部屋に戻って一人で本の読み続けようかとも。  そのとき。 「サリア?」 「っ! ……あ、アークス兄様」  ……はあ、ビックリした。 「どうしたの、こんなところで? サリアはもう寝る時間が……」 「あのね! やっぱりすごいの。寝てなんかいられないわ」 「ああ、その本……もう読み終わったの?」 「ううん、まだ半分くらい。でもね、読んだ分だけでも兄様とお話したくて……寝な きゃいけないのはわかってるけど、でも少しだけでいいの」  お願い、と上目遣いに両手を組んでみる。  アークス兄様に会った途端、ますます眠気なんて吹き飛んでしまった。これで大人 しく部屋に戻るように言われてしまったら……そんなのは嫌。私は両手にぐっと力を 込めた。  気持ちが通じたのか、アークス兄様はしばらく困ったように考えて、やがて、廊下 を見渡してから部屋のドアを開いた。 「少しだけだよ」 「うんっ、ありがとう!」  思わず叫んで、慌てて口を抑える。アークス兄様も口元に人差し指を立てて、そっ と笑う。  幸いにも私の声は誰にも聞きとがめられず、無事部屋に入り込めた。 「祭祀が行われるのが風季の初めだけなのは何故かしら?」  ベッドの縁に二人並んで腰掛けながら、本を膝に置いて訊く。 「リーフルーブスでは、風季の訪れと水季にも農作物の実りを祝い感謝するでしょう。 でもこの本の国、クルフレイアでは風季だけだなんて」 「気候の違いだね。クルフレイアは一年中暖かいせいか、農作業の苦労が北方の国々 に比べれば少ない。ある程度はあるにしてもね。だから実るのが当たり前で、それに 対する感謝をしていないわけじゃないけれど、祭祀を行うほどには至らないってこと かな」 「そういうもの?」 「祭祀は行わなくても、祀る社はあるからね。お供えをして、定期的にお参りはして るんだよ。それに比べて、風の吹き始めの方がクルフレイアの民にとっては重要…… とはいかなくても、その有無を切実に祈ることなんだろうね」 「でも、風の方が確実に吹くものでしょう?」  風の吹かない場所があるなんて、想像がつかない。 「それがね、クルフレイアでは土季の間はピタリと風が止まってしまうそうだよ」 「え、全然吹かないの?」 「そう。水季が明けた途端に風が止み……そよ風程度の風はあるらしいけど、土季の 間は風車が動かせなくなってしまう。そうなると、困るのはわかるよね?」 「うん」  風車が回らなければ粉が引けない。パフゥを焼くにもクネィラを作るにも粉がなけ れば、どうしようもないし……って、食べ物のことしか浮かばないけど、食事は重要 よね。クルフレイアでも主食は変わらないだろうし……他に何かあるのかしら?  考え考え、話は尽きない。  時間が経つのも忘れて話し込み、けれど、楽しい時間の終わりも訪れる。 「……あ、さすがにそろそろ寝ないとまずいかな」 「えっ、もう?」 「もうって……サリアの就寝時間はとっくに過ぎてるでしょ」 「うぅ〜……まだまだ話し足りないのに」 「それは僕も同感だけど、朝起きれなかったら困るからね」  ……それもそうだけど。  もっともっと、ず〜っと話していたいのに。本の話もだけど、アークス兄様の話は とっても面白いから。他国のことにも詳しいし、私の疑問になんでも答えてくれる。 その場でわからなくても、後で調べてくれたりもするし……ホントは私が自分で調べ るべきかもしれないけど。 「じゃあ、明日! この本の続きも読んでおくから、また明日お話しましょうね」 「うん、あし……た」  頷きかけて、アークス兄様は固まってしまった。うつむきかけた顔を下から覗き込 むと、困った顔で口元を手で押さえる。 「兄様?」 「あ……ごめんね、サリア。明日は……駄目なんだ」 「そうなの? 兄様もお忙しいのだものね。じゃあ、明後日は?」 「明後日もその……」  言い淀み、申し訳なさそうに眉尻を下げる。  アークス兄様にそんな顔をされてしまったら、私も強くは言えない。大概のことは 融通を利かせてくれる兄様だから、こうやってハッキリ駄目だと言われた時は、本当 に駄目なのだとわかっているから。 「わかったわ。兄様のご都合に合わせるから……いつなら大丈夫かしら?」 「…………」 「兄様?」  様子がおかしい。  そんなに長い間、お暇がないのかしら?  ……あ、さっきお父様に呼ばれた用事が関係して、何か…… 「お父様から、何か頼まれたの?」 「っ……」 「そうなのね? 長くかかってしまうの? いつ終わるかは……」  ゆるゆると首を振り、「期間の目処はつかないんだ」と本当に申し訳なさそうな顔 をする。 「あ、いいの! お父様のご用事ならしょうがないもの。でも、それが終わったらま たお話してくれるでしょう? いつでもいいの。それまでに、いっぱいお勉強して兄 様を驚かせるってことも出来るし」  慌てて言って、「ね、だから気にしないで」と笑顔を見せる。  アークス兄様がこんな顔をしてる時は、わがままは言えない。兄様を困らせるだけ だってことはわかってるし、私だっていつまでも子供じゃない。  我慢くらい…………出来るもの。 「……ごめんね、サリア」 「そんな謝らないで。私なら……」 「城を出るんだ」 「……え?」 「その……勉強の、ために市井に出ることを許されて……」  たどたどしい説明を聞きながら、私は耳を疑った。  城を出る? 兄様が? 勉強のためとはいえ、それをお父様が許可した?  ……あの、厳格なお父様が?  ぽかんと口を開き、今の私の顔はどんなに間が抜けているか知れないけれど、そん なことに構ってはいられなかった。兄様の説明がようやく頭の中で結びつき、理解が 及ぶまでにどれだけの時間がかかったことか……私はくらくらする頭を押さえて兄様 の声を聞いた。 「もちろん僕一人じゃなくて、リッティルトが一緒なんだけど」  その一言で、私は身を乗り出していた。  理由なんていらない。ただ衝動が、体を動かした。 「私も行く! 連れてって!!」  こればっかりは、兄様にどんなに困った顔をされても、譲れないと思った。 「だってズルイじゃない」  太陽に照らされ始め、少しずつ目覚めていく王都……まだ人通りのほとんどない道 を歩きながら、私は唇を尖らせた。  リッティルトに問われ、私が兄様に話を聞いた経緯を話して、そう結ぶ。 「お気持ちは十分に理解できますが……サリア姫は、勉学はお嫌いなものとばかり思 っていたものですから?」  前を歩くリッティルトは意地悪く言う。  ……もう、リットはいつもそうよね。 「いいの。これは好きな勉強なの。部屋で書物と向き合ってるより、ずっとず〜っと 楽しいもの。リットだって部屋にこもるのは嫌いでしょ」 「おっしゃるとおり。ですが、楽しいことばかり見てると、痛い目を見ますよ」 「わかってるってば!」 「まあまあ。旅立ち早々にケンカなんてするものじゃないよ」  宥めて、アークス兄様はちらりと王城を振り返る。 「気にするべきことはもっと他にもあるしね」 「おや、信用いただけてないのでしょうか?」 「え、違うよ! リットの魔法の実力は信じてるけど、初めて見た魔法だから……」  私が無理にでも城を出てこられたのは、他でもないリットのおかげ。  置き手紙を残したとしても、すぐに手配されて連れ戻されてしまう可能性を考慮し て、リットは魔法で私の身代わりを用意してくれた。永遠にその姿を保てるモノでは ないけれど、長ければ一ヶ月は持続するらしい。  原理はわからないけど、拳大の魔法石が私の姿に変化した様を見た時には息を呑ん だ。本当にそっくりで、並んだら見分けがつかないってアークス兄様には言われた。  本来は、他のヒトを別のヒトに見せかける魔法らしくて、その使い方に比べれば持 続力は小さいしバレやすいとも言うけど、十分だと思う。少しなら受け答えも出来る し、一応食事も出来るらしい。魔法が消えた時のための手紙も残してきたし―――身 代わりに持たせたから、魔法が解けた時にすぐに見つけてもらえるはず。  不安がないって言ったら嘘になるけど、リットの力は信じてるから。  ……ホント、不真面目でもすごいのよね、実力は。 「バレたとしても、そのときはそのとき。いいの。少しでもこの目で外の様子を見て 回れるなら。一日でも長く旅を続けたいけど、たとえ今日一日だけでも素晴らしい思 い出になるもの」 「ほお……では、今日一日で姫様だけは帰られますか」 「イジワル!」  怒って、笑い合う。  城の中でも出来るけど、より開放的な気分でいられる。  何が起こるかわからないけど、一日でも長くこの楽しい時が続くことを願う。  王城にいたら感じることは出来ないだろう喜びを抱えて。 >>> MENU? or BACK? or NEXT?




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