*** 世界を救う君に
   > Naoya‐5 「家がっ、あたしの家が!」  ジータリィ村に駆け込んで、最初に耳に届いたのは響き渡る鐘の音さえ掻き消すよ うな甲高い嘆き声だった。村の中心を抜けて、左手に進んだ先で、老年に差し掛かる くらいの女性が、周りの村人たちに縋り付いている。 「早く消しておくれ! 燃えちまう!!」  けれど、縋り付かれた若い男は行動を起こせないでいる。いや、彼だけでなく集ま った村人たちは皆、手をこまねいているようだった。 「無理だよ、カートランゼさん。わかっていたはずだろう? ケット材は雨風には強 いが、熱には滅法弱い。昔は最適だとされていたが、今じゃ……」 「お説教なら後でいくらでも聞いてやるさ! でも今はそれどころじゃないだろ!」 「だから……」 「火を消しておくれよ。防火用水だけで駄目なら、この石を使っていいから!」  叫んで、首から提げていた小さな袋を服の下から引っ張り出す。石―――小さな蒼 い石。ピンポン玉ほどの大きさもない欠片。  ……そんな石を使って、火を消す?  駆け込んで来たはいいが、どう手を出したらいいかがわからない。防火用水はある ようだが、その場所なんか知らないし、他の人が動かないのにオレ一人でどうなるも のでもない。  基本的にこの村の家には窓ガラスがない。窓には木の扉がついてるだけ。その扉が 閉まっているため、燃えてる家の内部までは見ることが出来ない―――火は家の内部 に留まり、煙が細く煙突から上っているだけで、一見して火事だとは知れない。  ここに外から水を掛けたところで、中の火が消えるとは思えないしな……屋根から、 雨みたいに降り注いで煙突にでも水を通すならまだしも。  空を見上げてみても、雨は降りそうにない。 「わかってくださいよ。いや、わかってるでしょう?」 「閉じきった家の内部で火事が起こったら、ケット材は膨張してドアが開かなくなる。 そうなったら、火に水を掛けて消すことは出来ない。内部からの火で、壁は当然、熱 を持つし……燃えて壁に穴が開くのを待つしかないんだ」 「貴女の気持ちもわかりますが、ここは、諦めてください」  口々に言って、二人が女性―――カートランゼさん? に腕を伸ばし、家から引き 離しにかかる。あの距離じゃ、建物が崩れたりしたら危ない。周りの男たちの気遣い なんだけど……カートランゼさんは掴まれた腕を振り払って「早く消しておくれった ら!」と繰り返す。  それでも二人掛かりで強引に引きずれば、彼女が勝てるわけがない。  集まった村人たちの視線の中、叫び懇願する声に、男たちは顔に悲痛な色を滲ませ たが彼女を引き離すと、それ以上は手を出さない―――出せない。  ここには、家を崩せるだけの機械がなく、消火の専門家もいない。火事なんて、滅 多に起こらないのかもしれない。  大切な家や物が燃えるのを黙って見てるしかないなんて……カートランゼさんの泣 き声が耳に痛い。痩せた小さな体を必死に動かして、暴れ、訴える。家を助けてくれ、 と。あまりに激しく腕を動かしたため、握っていた石が飛んでオレの足元近くまで転 がってきたが、彼女は気づかない。  その石を拾っておこうと身を屈めた時、不意に知った声が掛かった。 「ナオヤさん! いらしてたんですか」  振り返って見れば、数少ない知った顔。  石を握って体を起こすと、駆け寄ってくるジャンシーさんに向き直る。 「鐘の音が聞こえて煙が上がってたから来てみたんだけど……あれ、消せないんです か?」 「こっちだって消せるもんなら、とっと消したいんですけどね。ケット材で出来た家 は、しばらく放っておくしかないんですよ」  言ってから、周囲をキョロキョロと見回して訊いてくる。 「イツキさんは? 一緒じゃなかったんですか?」 「栢山はあの先生のとこに残ったんだ。いろいろと知らなきゃならないこともあるし。 この世界の基礎知識を学んでるよ」  幾分、口調にトゲが混じったのが自分でもわかった。  理由は……実に馬鹿らしい。  栢山がいたからって、火が消えるわけじゃないのに。オレの思い込みかもしれない けど―――十中八九思い込みに違いないけども―――ジャンシーさんの顔に“イツキ さんがいてくれれば……”っていう期待が見えた。そんな気がした。  ……オレじゃ、駄目なんだ。  “異世界から来た高校生”っていう肩書きは同じなのに、掛かる期待が違う。それ ってなんか……実際、オレ自身も栢山には叶わないって自覚はあるけど。年不相応の 落ち着きとか頭の回転とか、栢山はオレに出来ないことも出来て、行動力もありそう で。  それは認めるけど……悔しい。 「こういう場合、家はまず諦めなきゃならないってこと?」  思うところは多々あるけれど、今は、栢山との差を気にしてる場合じゃない。頭を 切り替えないと。 「あの人が大事にしてるもの全部燃え落ちるのを、黙ってみてなきゃならないわけ?」  口調はどうしても非難がましくなる。  冷静に冷静に……自分に言い聞かせても、頭を切り替えたくても、どこかでソレが 引っかかる。ジャンシーさんが困って顔を背けるのを見るまでもなく、頭の中ではわ かってる。この火事を消せるものなら、とっくに消火作業に移ってる。それをしない のは、手の打ちようがないからで……オレの言葉は、相手を困らせるだけだ。  わかってるけど…… 「っ……え?」  不意に、服の裾を引かれる。  振り返ると、“先生”の娘であるミルシェが真剣な顔で見上げてきていた。気弱な 表情も見え隠れするけれど、必死に何かを訴えようとしている瞳で。 「……ミルシェ?」 「消して」 「え……?」 「火を、消して。その石で」  ―――その石?  手の中の蒼い石とミルシェの真剣な顔を見比べる。聞き間違いではないらしい。確 かにこの“石”で火を消せ、と……どういうことだ? 「ちょっ……待ってくださいよ、お嬢さん!」  慌てたようにジャンシーさんが声を上げる。  その大声にか、単に慣れてないのか、ミルシェが怯えた様子なのも構わず―――そ こまで気が回らないのかもしれないが―――腕を広げて、意味もなく大仰な手振りで 言い寄る。 「何を言い出すんですか! そんなの無理に決まってるでしょう!!」  ……む。  そうもキッパリ言われると、癪に障る。事情は飲み込めないが、そんなはっきりと 否定しなくても……オレ自身、何の理解もないけどさ。  困惑混じりにミルシェを見ると、オレの裾を握る手に力を込めている。その顔は泣 き出しそうにも見えて、とりあえずジャンシーさんを押さえるのが先だろうと判断す る。子供相手に、ムキにならんでも……とも思うし。 「ジャンシーさん。落ち着いて。この“石”ってなんか特別なものなんですか?」 「そりゃあもちろん、魔法石ですからね。カートランゼさんの旦那さんの形見らしい んですけど」 「魔法石?」 「詳しい原理なんて知りませんけど、その石っころを火や水、その他諸々変えられる って話ですよ。魔法を使えるヒトが特別な方法を使えば、ですけど」 「魔法」  ファンタジー世界のお約束、か。  そりゃ確かに、オレには無理、だよな。  ……と、思ったんだけど。 「火を、消してあげて」  ミルシェはもう一度言った。  はっきりと。オレの目をまっすぐ見上げて。  その様に、さすがにジャンシーさんも息を呑み、戸惑い黙る。 「……オレに、消せる?」  まさか、と思う。  でも、出来るなら……この少女に、どんな根拠があるのか知らないけど、それでも この真剣な表情を信じたいと思った。信じられると。  でも、訊き直して答えを得るまでは半信半疑。声が震える。 「この石が、オレに使える?」  ミルシェは、表情を変えることなくはっきりと頷いて見せた。  なるようになれ。  自棄になったわけじゃないけど、気分はそれ。  煙を上げ続ける家に向き直り、顔を引き締める。どうしたらいいかなんてわからな い。こればっかりは、訊くしかない。ジャンシーさんははっきりと原理を知らないと 言ってたから、ミルシェに。 「オレは使い方なんてもちろん知らないんだけど……教えてくれる?」  横目で見やると、服の裾をぎゅっとつかんだままのミルシェが視界の端にギリギリ かかるくらいにまで前に出る。  その表情は見えないけれど、ふっと安心感が涌く―――きっと大丈夫。オレにも、 出来る。 「石を、前にかざして」  地を踏みしめて前を向く。両手を伸ばして石を乗せた手を広げる。  周囲にいるヒトたちが異質な雰囲気を感じたのか、話し声が消えた。 「心を落ち着けて。自分を信じて」  ミルシェの声は小さいけれど、耳にはっきりと届く。まるで、他のすべての音が消 えてしまったかのように―――実際は、家が燃える音や森から聞こえる自然の音が確 かにあるんだけど。それらの音が、やたら遠い。  そして、深呼吸をひとつ。  ……大丈夫。自分の力を―――ミルシェの言葉を、信じられる。 「魔法石に意識を集中して……あとは、思い描くだけ」 「思い描く?」 「火を消すの。頭の中に思い描いた火を。現実と重ねて」  ……頭に思い描く。  現実と重ねてってことは……目の前の家の形を記憶に留めて、目をつぶってみる。 今見ていた風景を頭の中で再構築して、思い描く。  茶色がかった壁。そう高くもない木製の屋根。細い煙突があって、木の扉がついた 窓がある。家が形づいて、その煙突から煙を上げる……家の中で、炎が燃えているイ メージを作り上げる。  オレは、それを消さなきゃいけない。  消すなら……水。  さっき考えたことを思い出す。雨みたいに屋根から水をかけて、あの煙突に水を通 せれば…… 「火を、消して」  ミルシェの声で、頭の中に水が湧き出る。  空に広がって、燃える家に降り注ぐ。その水を収束させて、煙突に通す。  そこまでイメージした途端、ふっと手のひらから石の重みが消えた。 「っ……!」  目を開くと同時に、手が湿り気を帯びる。石の代わりに、手のひらを蒼い靄が取り 巻いて、空へと広がった―――石の大きさからは考えられないほど大きく。家の上空 を覆い、水に変わる。  ―――雨が、降った。  オレがイメージした通りに、家全体に降り注ぎ、一部が煙突に集中する。 「…………」  誰もが息を呑んで、ほんの一瞬の現象を見守った。  そう、刹那の出来事―――バケツをひっくり返したような雨が降り、その一瞬で鎮 火した。家の内側は見えないけれど、確かに消した、と確信する。  煙も消え、周囲の音が戻る。 「……消え、た?」  誰かが呟き、ざわめきが広がる。  カートランゼさんは、止める間もなく家に駆け寄り、そのドアを見た目からは信じ られない力でこじ開けた。そのまま中に駆け込んでいく。後を追って、他のヒトたち も入っていくのが見えた。  でも、そんな周りの騒ぎを気にしてる場合じゃなくて…… 「……オレが、消した?」  自分の両手を茫然と眺め、手についた湿気をこする。  降った量に比べれば、手に残ったのは本当にわずかでしかないけれど……オレが出 した、水。  本当に、オレが……さっきまで信じていたのに、実際に目の当たりにした途端現実 味が薄れてしまった。おかしな話だけど、我に返ってみれば現実感は掠れる。目の前 には確かに結果があるっていうのに。  つ、とまた服の裾を引かれた。  ずっと隣りにいてくれたミルシェが、茫然としたオレを気遣ってか、心配そうに見 上げてきている。 「オレが、やったんだよな?」  思わず、訊いてしまう。  誰かから、現実を保証してほしくて。  その不安が―――あまりにも現実離れしてると、こうも不安を感じるものなのか? ―――ミルシェに伝わったのか、彼女ははっきり頷いて。 「ありがとう」  安堵に満ちた顔で、微笑んでくれた。 「ナオヤお兄ちゃんのおかげ。だから、ありがとう」  礼を言いたいのはこっちの方だ。  だから、オレも笑顔を返す。  この少女に、心からの感謝を込めて…… >>> MENU? or BACK? or NEXT?




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