+++ プラマイゼロの法則 +++

   =2=  どこで何を間違ったのだろう。  考えながら、カイトはただ目の前を行く小さな背中を追って走り続けていた。  暗く狭い路地。二人並んでどうにか歩ける程度の幅の道が細かく入り組んで、さっきから いくつの角を曲がり突っ切ってきたか、もはや覚えていない。この敷地に忍び込むにあたっ て、当然敷地内の地図は頭に叩き込んできたが、実際に走り回ってみると、地図の大雑把さ を思い知る。  与えられた地図を鵜呑みにしたのはカイトの自業自得だが、それにしたって、こうも細か い路地を見ているとあんな不完全な地図を与えた雇用主に疑問を禁じえない。 (……ってのは、今更か)  元より信頼の置ける相手ではなかった。  結ばれた雇用関係は、本来は彼の父親が原因を作ったもので、それを受け入れたのはカイ ト自身だが、それでも露ほどの信頼も抱けるとはとても言えない。  相手の人格や性根、価値観から何から違いすぎる。  カイトが相手に抱くのは、軽蔑。その他、悪意以外のものはない。  何より、今回の仕事における不審さ。  理解できるはずはないと最初から諦めているとはいえ、最低限の暗黙の了解はあると思っ ていたのに。それはカイトが一方的に思っていただけなのかもしれない。一度抱いた不審は、 ただ膨らむばかり。  危ういながらも、一応のバランスを保っていたはずのカイトと雇用主の水面下の駆け引き。  これがもし、カイトの一人相撲だったとしたら。  力関係を考えれば考えるほど、不利なのは彼自身だと自覚はあった。  けれど。 (裏切るにしては時期が悪い。そもそもこんな中途半端に切るつもりなら、もっと早めに切 る方が無駄は少ないだろ? “調教”に三年も費やしといて、今になってポイ捨て?)  有り得ないと思った。  あの雇用主の欲の深さは際限を知らない。  それこそ、三年間に費やした彼の食費を始めとした生活費を細かく記録しておいて、その 元を取る以上の働きをさせるに決まってる。1ドルだって損を出さないように。  だから、今回のミス―――地図の不完全さやそれ以前に騙された感を否めない諸々を含め て、ミスを上げればきっと両手の指でさえ足りないに違いない―――は、らしくない。  最初から、カイトを今回の仕事限りで、葬り去る気でいなければ。  考えて、覚えた寒気に顔をしかめる。  いくら考えても、それが一番しっくりくる結論だった。  つまり、最初からカイトを捨て駒として、利用する気でいたのだと。  相手の意図はまるで読めない。しかし、それ以外に考えられなかった。  疑問は尽きず、ただ目の前を行く小さな背中を追いながら、思考は堂々巡りを繰り返し、 さっきから何度同じ結論に辿り着いたことか。我ながら呆れるが、それ以外に考えることと 言えば。 (この女は一体、何者なんだ?)  目の前を行く背中を見やると、不機嫌を隠せなくなる。  雇用主の命令どおりに忍び込んだ部屋で出会った、少女。  小柄で童顔。外見から判断すればまだ十代前半に見える。  プラスと名乗った彼女は、カイトの持っていた情報の間違いを指摘し、選択を迫った。 『君は、生きたい? 死にたい?』  彼女の意図は読めなかった。  カイトを経験の足りない素人と知った上で、少女は同行を申し出たのだが、結局その理由 ―――彼女が言うところの“得”があるのは一方的にカイトだけだ―――は一切説明されて いない。  いや、一応その理由とやらを押し付けられはしたが―――つまり、持ち歩くには重いリュ ックを押し付けられて、それは今、カイトの背にある。これを背負っての行動は、確かに少 女にはツライかもしれない。わからなくもないが、素人と行動を共にするだけの“得”にな るとは思えない。  不可解だったが、二択を迫られたカイトは『生きたい』と答えた。  こんなところで死にたくはない。その二択ならば、迷いもなく答えは決まっている。  けれど、それはプラスとの行動を認める気で答えたつもりはなかったのだが。 『なら、一緒に行くしかないよね』  あっさり断定して、反論する間も与えず急き立てて―――プラスは、脅すように胸倉を掴 まんばかりの勢いで、カイトの名前を訊き出した。  その後にあった説明は『私の仕事は他にもあるの』だけ―――説明と言うには、簡潔すぎ る言葉ではあるが、プラスはそれ以上言わずに、さっさと行動に移った。それはもう止める 間もなく、部屋にあったパソコンを机から突き落とすという暴挙とも言える行動に。  床に転がったデスクトップのモニターが割れることはなかったが、その重さに耐え切れず にブチブチとコードは切れ、引っ張られたキーボードが叩きつけられてガチャガチャと騒い だ。そして、何よりその部屋どころか、おそらく建物の外―――敷地内全域に響いたと思わ れる警報のサイレン。一瞬にして騒音に満ちた部屋で、プラスは『よし、行きますか』とだ け呟いて、呆気に取られたカイトの背を叩いた。  あとは、ただ部屋を飛び出して行くだけ。  当然、カイトは後をついて来ると信じている様子で、振り返りもせずに。  正直、腑に落ちなかった。  疑心の方が大きく、一緒に行動するのは躊躇われた。  しかし。 (結局、ついてきちゃったんだよな。何やってんだろ、俺)  後悔するかもしれない。命が助かる保証もない。  でも、それはプラスと行動を共にしなくても言えることである。  これだけ派手に侵入者の存在がバレた以上は、どちらにしろ可能性に差はない。運次第で、 死ぬ時は死ぬし、生き残る時は生き残る。この敷地内から無事に脱出できるかどうかはカイ トの判断力にかかっているが、その判断力に自信があるかと言えば、答えは“否”だった。 手元にある間違ってるかもしれない情報に従って一人で脱出を図ることも、言われるままに プラスの後について行くことも、結局は同じコト。  どちらを選ぶのが最善か、考える余裕もなく―――カイト自身の内面においても、現実に 時間の上でも―――気づいたら、プラスの後を追って駆け出していた。  それが、カイトの選んだ選択肢。  後悔するかもしれない。命が助かる保証もない。  それでも、他人のせいにはしたくない。  キュッと唇を引き結んで、カイトは無駄な思考を振り払った。  もう充分考えた。答えが出ないのは、必要が無いから。  時が来れば、否応なく知れるモノ―――カイトは、そう判断した。  プラスの狙いが何かは知らない。  訊いておきたいが、前後に並んで走っているこの状態では無理である。といって、並んで 走るには道幅が狭いし、道案内してもらうのに都合が悪い。  プラスの他の仕事とやらが、突発的な判断の必要なモノでないことを祈りつつ、改めて説 明を請うタイミングを計る。早めに知っておくに越したことはない。全体像が見えないまま、 うやむやに指示に従うだけ、なんてことは避けたかった。  先程―――建物を出た早々に、駆けつけてきた警備員が目に入った。  左右に伸びる道の、右方向から。当然、連中とは逆方向に逃げるもの……そう思って、カ イトは体を左側に向けたが、ちらり見えたプラスの横顔は何故か楽しそうに唇に微かな笑み を乗せていて。彼女は、まっすぐ連中に向かって突っ込んで行った。 『ま〜ず〜はっ、三名様、夢の国へごあんな〜い♪』  そんな場違いな明るい声と共に、プラスは地を蹴った。  小柄な体に見合う身軽さで、跳んだ高さは彼女自身の身長以上。突っ込んだ勢いそのまま に、駆け込んできた集団の先頭、驚きに目を見開いた警備員の顔に着地して―――相手の顔 に足が着いた瞬間、ご丁寧に踏みにじるように体を捻って、蹴りではなく確実に体重をかけ て―――その一瞬で体勢を立て直し、次の着地点に跳ぶ。つまり、警備員三人の顔を順番に 踏みつけて、バランスを崩された警備員たちが仰向けに倒れ込んだ向こう側で、キレイに地 面に降り立っていた。 『…………』  呆気に取られたカイトだったが、呻きながらも起き上がろうとする警備員の姿を見、プラ スの笑んだ視線を受けて、考えるより先に体が動いていた―――意思の疎通とか相互扶助と か、行動を共にする仲間として必要なことなど何もわからなかったけれど、あの場面での自 分の役割を、視線だけでプラスに教えられた気がして。  つられたように、駆け込んで……跳んだ。  プラスに倣っての行動だったけれど、着地点は警備員たちの腹部。  体重をかけて、意識的に踏みにじって。  連中は『ぎゃっ』だか『うぐっ』だか、短い音を口から漏らして、動けなくなった――― あまりの呆気なさに警戒を解くのは躊躇われたが、呻き声を上げる連中を余所に、ポンとひ とつ叩かれた肩とそれに振り返った先でさっさと走り出していたプラスの背中が、合格の証。  それだけで、プラスに対する不安が多少減ったのは確かだった。 (我ながら単純。でも……こういうのもイイ、かな)  そんなふうに思える自分に驚いた。  三十分にも満たない程度の時間―――感覚的には、もっとずっと長い時間が過ぎた気もす るが―――プラスに出会ってから、それしか経っていない。  たったそれだけの短い時間で、こんなにも考えが変わるものだろうか。  他人と、ひたすら距離を置くことしか考えていなかったのに、気づけば、この少女に対し て警戒心を解きかけている自分がいた。まだ完全に信じたわけではないけれど。  でも、信じるに値するかもしれない……そう思い始めている。  敷地内を走り続ける間、何度となく警備員とかち合い、地面を舐めていくサーチライトに 触れ、怒声と共に追いかけられた。前から後ろから左右から、その姿を見つけるたびに嫌な 汗が首筋を伝う。生きた心地もせず、無我夢中で行く手を塞ごうとする連中を振り払い続け た。覚えた型など確認する間もなく、拳を叩きつけ蹴りを突き出す。相対するたびに、カイ トにはそれだけで精一杯になる。  しかし。 『次から次へと……さすがにここまで多いと鬱陶しいわね』  ぼやきながらも、プラスの笑みは消えなかった。  確実に、余裕のある顔。  カイトが一人を相手にしている間に、プラスは二人を沈めて三人目に飛びかかる。相手の 数が少なければ、体を解しながら、カイトの闘い方を傍観する―――いつでも加勢できるよ うに、意識の上では構えているのだろうが、見た目は面白がって見物人を決め込んでいるよ うにしか見えない。  そんな姿を見るたびに、カイトは自分が闘う意味はないのではないかと思う。  どう考えても、プラスが一人で相手した方が早く片付くだろう。  人数に囲まれて戸惑うとも思えない。変わらぬ調子で、確実に一人ずつ沈めて突き進んで いくに違いない。カイトが一緒にいるよりもずっと早く、目的も達せられるはずだ。 (……やっぱり、足引っ張ってるじゃねぇか)  なのに、文句のひとつも言わず、逆に楽しそうにカイトが相手を沈めるのを待っているプ ラスの真意が不思議でしょうがない。考えても仕方がないとわかっていても、考えずにはい られなかった。  だからこそ、せめて自分の身は自分で守ろうと、余計にムキになったりもするが。  目的がわからないうちは、覚悟も決めるに決められない。  さすがに息が上がり始め、ふっと思考がブレた一瞬。  外れた視線を戻すと、目の前を走っていたはずのプラスの背中が消えていた。 「っ!?」  慌てて周囲を見回したが、左右は建物の壁が続き、曲がれるような路地はない。行き過ぎ たのかと振り返ってみても、プラスが方向を変えたとは思えなかった。 「カイト、こっち。上」 「……あ」  声につられて振り仰ぐと、左右の建物を二階の高さで繋いだ通路が橋になっている。  錆びが浮いて、お世辞にも頑丈には見えない橋の手すりの隙間から、プラスの顔が覗いて 手招いていた。 「ほら、ぼやぼやしない。早く上がってくるのよ」 「上がるって……どうやって?」 「ボケてんの? 直接飛びついて上ってくるに決まってるでしょ」  確かに、今の今まで目の前を走っていたプラスが、目に付く場所に入り口のない建物の二 階部分にいるのだから、彼女もまた走り込んだ勢いそのままによじ登ったのだろう。  しかし。 (この高さを?)  自分の身長を考え、かろうじて助走をつければ通路に手が掛かるくらいには飛びつけるだ ろう、と目測して首を傾げる。カイトでさえギリギリである。それを二十センチ近く小さい プラスが飛びついたのだろうか、と。  実際、目の前に結果があるのだから、信じないわけでもないが。 (ああでも、さっき警備員の顔に着地なんていう無茶をやってのけたんだっけ)  あのジャンプ力ならば、納得もできる。 (でも、ホントに何者なんだ、この女) 「カ・イ・ト? 置いてくわよ」 「今行くよ」  応じて、少し距離を取る。  助走をつけて飛びつくと、予想以上にキツかった。かろうじて引っかかった指先。無防備 にぶら下がった状態で、警備員の姿が頭を掠めて、気持ちばかりが焦る。 「それじゃ力入らないでしょ。滑るし。掴むなら、手すりにしなさいよ」 「わかってます、よっ、と」  手すりに掴み直した拍子に、パラパラと錆の欠片が降ってくる。  さらに、ギシギシと軋む通路に、カイトは顔を逸らして思わず呟く。 「落ちないだろうな、これ」  せっかくよじ登っても、その反動で支えきれずに落ちたら、シャレにならない。 「ぶら下がっといて、何を今更。ほら、早くする!」 「わかってるって、言ってんだろっ!」  声と共に、一気に体を振り上げた。  どうにか足を掛けてよじ登り―――プラスに引き上げてもらう必要があったのは情けなく も思うが―――ようやく一息吐く。 「なぁ、この敷地、確かに広いけど、それにしたってこんなに走り回るか?」  敷地の端から端まで以上の距離は既に走った気がして、そんな疑問が出る。  呼吸を整えるカイトを余所に、さっさと先に進もうとしていたプラスはキョトンとした顔 で振り返って、首を傾げた。 「あれ、言わなかったっけ? 私ら、囮やってんだけど」 「………………は?」 「だからぁ、私にも他に仲間がいるわけよ。でね、そいつが目当てのブツを盗りに行ってる から、その間警備員たちの目を逸らそうと……」 「聞いてねぇっ!!」 「……う〜んと、そういやそんな気も」 「お前……」 「あはは、うん。時間の都合でね、さっさとあの部屋出なきゃならなかったし、さすがの私 も焦ることはあるわけよ。予定外なコトがあったし」  ね? と悪びれもせず、笑って見せる。  そんな笑顔を見せられても……通路の上で四つん這いになったまま、カイトは脱力しかけ る腕に力を入れ直して、恨めしげな顔を持ち上げた。 「…………ってことは、説明する気はあるんだな?」 「もちろん。作戦がわかってないと動きにくいでしょ」  あっさり言われ、カイトは今度こそ体を支えきれなかった。  ガツンと派手な音と共に通路に突っ伏して、言葉もない。 「……カイト〜、大丈夫?」 「大丈夫なわけあるかっ!!」  さっきまで通路が落ちる落ちないと心配してたのが嘘のように、ガンと拳を叩きつけ、そ の反動で体を起こす。そのままプラスの胸倉を引き寄せる。 「わっ」 「お前な! ヒトのことからかってんのかっ!?」 「まさか」 「絶っ対ウソだ。からかって遊んでんだろ! この状況でっ、『他にも仕事あるから』の一 言だけでヒトのこと引きずり回してっ、どこに真剣さがあるんだよっ!?」 「いや別に、引きずり回しては……」 「同じことだろうがぁ〜……目的もわからず、走り回される俺の身にもなってみろ!」 「ああ、うん。それは私が悪かったよね。ごめん」 「っ…………」  謝ったプラスの瞳が予想外に真剣で、カイトは続く文句を飲み込んだ。  膝立ちで、今はプラスの方が目線が高い。見下ろされ、やがてカイトから視線を外す。掴 んでいた胸倉も離して、顔をうつむける。 「……ホントに、わかってんのかよ」  さっきまでの勢いは消え、それだけ呟く。  その様は、拗ねた子供のようで、プラスの苦笑を誘った。 「もちろん、わかってるよ。仲間にそんな無茶は強いないってば」 「な…………な、かま?」  言われた言葉が信じられなくて、カイトは唖然として訊き返す。  が、プラスは「当たり前でしょ」と笑って。 「経緯はどうあれ、一緒に行動することにしたんだもの。今は仲間、でしょ。あ、それとも いっそこれからずっと仲間になる?」  などと軽く言う。 「は? ……なっ、何言ってんだよ。誰がお前なんかと仲間になるか! 今だけの共同戦線 に決まってんだろ。仲間とか簡単に言ってんじゃねぇ!!」  咄嗟に怒鳴り返すと「あらら、振られちゃったか」と、どこまで本気なのかわからない反 応が返る。それに戸惑い、また言葉に詰まるカイトに苦笑して、プラスは肩をすくめた。 「今だけでも仲間は仲間。ほら立って。囮役はもう充分努めたから、今度はもうひとつの仕 事行くよ」 「え、まだあるのか?」 「あるの。その作業の場所まで行くから、とにかく立つ」  言われるままに立ち上がるカイトを見ながら、プラスは「え〜と説明説明」と言葉を探す。 けれど、同時に今までの進行方向に向かって右側の建物へと足を向けた。 「あ、おい!」 「こんなとこで突っ立って説明するのは時間の無駄。向かいながら話すわよ」  説明してくれるなら、カイトも文句はない。  同様に、プラスの後をついて、通路を渡る。が、目の前にあるドアはしっかりとカギが掛 かっているらしい。ドアノブを捻って、プラスはひとつ頷いて。 「とりあえず、方向的にはこのまままっすぐ。ある建物を目指すの」  言いながら、プラスはドアについたガラス窓に軽く触れる。 「距離的には……ここからだと直線で百メートルってとこかしら」  ポケットから古タオルのような布切れを取り出して、右手に巻く。力を込めたように見え たのは一瞬。握った拳を、ガラス窓に叩きつける。  カシャンと小さな音を立てて、ガラスが建物内に散った。  布切れは手に巻いたまま、プラスは割れた隙間から腕を伸ばしてドアの裏を探る。 「よっ、と。で、最終目的の前座みたいなことをやるわけよ」  カチと軽い音がして、カギを外したのだとわかる。 「最終目的?」 「うん。まぁそれは後のお楽しみ、ってことで」 「待て」 「大丈夫大丈夫。それは私らの役目じゃないから」  そういう問題だろうか……思ったけれど、こっちは訊いても答えてくれそうにない。  仕方なく、ドアを開けてさっさと中に入ろうとするプラスに別の疑問を投げる。 「なんで、わざわざ通路によじ登って、建物の中を突っ切ったりするんだ?」  カイト以上に敷地内の地理に詳しいはずのプラスが、こんな面倒な道を選ぶ理由がわから ない。何より、さっきまで走ってた道から横に入ればいいのではないか……縦横無尽に走る 細かい路地を思い浮かべて、カイトは首を傾げた。  けれど、プラスは呆れた顔で、カイトを小突く。 「そんなの、簡単な経路を使って移動してたら、相手に読まれるでしょうが。マニュアルど おりの逃げ道なんて、捕まえてくれって言ってるようなもんよ!」 「あ、なるほど」 「って言っても、それだけでもないんだけどね」 「……?」  再度首を捻っても、プラスは「ほら行くよ」と説明より先に歩き出してしまう。  置いていかれないように足を速めて並ぶと、プラスは手に巻いていた布切れをヒラヒラと 振りながら、説明を続ける。 「つまり、この敷地内ってあっちこっちに細かい路地があって、どの道選んでもどこでも行 けそうなんだけど、実際はいろいろ計算してあるわけよ」 「計算?」 「そ。まぁ、普通の職員が使うような建物には、どの道選んでもってのは通用するけどね。 私らが今目指してるのは、そんな場所じゃないってこと」 「……普通の職員は立ち入り禁止、とか?」  明かりのない暗い廊下を抜けると、一番奥に階段があった。  プラスは「上」とだけ言って、その階段を上りだす。 「あ? 建物抜けるんじゃないのか?」  一緒に階段を上りながら思わず訊くと、プラスは「だから言ってるでしょ」と返す。 「禁止は禁止だけど、そもそもその建物の存在を普通の職員は知らないの」 「でも、敷地内にあるんだろ?」 「これだけ広ければね、全部の建物把握してるのなんて極一部よ。仕事に関係ない建物なん か利用しようとは思わないだろうし。で、その建物の場合は、さらに念入りに隠してるって わけ。路地は敷地内すべて繋がってるように見えて、実際は一角だけ建物に囲まれてるの。 それが今から向かう場所」 「つまり、そこに行くにはこの階段を上ってくしか道がないのか?」 「そういうこと。ま、この後降りるけどね」  言って、四階の階段正面の部屋の前に立つ。 「ここ?」 「はい、下がって」  訊くカイトを押しのけて、プラスはポケットから小さな筒を取り出してドアノブの横にテ ープで貼り付ける。そして、筒から伸びたピンを抜く。  素早く五歩下がって、カイトの手を引いた。一瞬。  ボンッと小さな花火のような音を立てて、筒は小さな火を噴いた。 「あれって……」 「火薬を必要最低限に減らした爆弾。ちゃちなカギ開けるにはこれで充分」  確かに、取れかけたドアノブと焦げたドアは、言うとおりの効果を示している。 (……でも、そんなもん普通にポケットに入れて、あの立ち回りか?)  見えたのはほんの一瞬だが、既製の爆弾から火薬を抜いたのではなく、その筒からして手 作りだった。それくらいの見極めは、カイトにも出来る。 (プラスが作ったのか? それとも……仲間、ってヤツかな)  どちらにしろ、自信や信用がなければ身に着けてはいられないだろう。 「拳銃で打ち抜いてもいいんだけどさ、最近は銃弾もバカにならないし。あんな小さいのに 普通に火薬と材料で別々に買った方が安いのよ。でも、ゼロは細かい作業は疲れるとか言っ て、こういう爆弾ばっかり作ってるし!」  ぶつぶつと文句を言いながら、カギの開いたドアを八つ当たり気味に蹴り開ける。 「あ……ゼロ、ってのが……仲間?」 「ん? そうそう。あとマイナスってのと、三人で組んでるの」 「……プラス、マイナス、ゼロ?」  冗談みたいな組み合わせだな……率直な感想を述べたが、プラスは気を悪くした様子もな く、逆に笑い出す。 「確かにそうなんだけどね。でも、私は好きなんだ」 「…………」  ストレートで好意的な言葉は初めて聞いた。  こんなふうにストレートに言葉に出来る人間がいるなんて、思いも寄らなかった。 (それほど、信頼しあった大切な仲間ってこと、か?)  そんな仲間がいるからこそ、プラスは明るく笑っていられるのだろうか……思い至って、 胸が痛む。自分が諦めた幸せを手にしている人間が、今ここにいる。そのことが、カイトを ひどく動揺させて―――そんな自分に驚いた。 「カイト? 行くよ?」 「あ、ああ」 「ん〜? あ、二人のことなら後でちゃんと紹介するよ? 脱出する時は一緒だし」  プラスの言葉には曖昧に頷いて。 「行くんだろ。さっさと済ませようぜ」  胸にわだかまるモヤモヤは無視した。  そんな感情は知らない。必要ない。  自分に言い聞かせるように、何度も心の中で呟きながら、カイトは明かりの差さない部屋 へと足を踏み入れた。  窓のない部屋。  簡素に天井から垂れ下がった豆電球を点けると、そこは物置だった。  なんだか拍子抜けした気分でカイトは部屋を見回すが、プラスは迷いなく進み、部屋の奥 ―――木箱の詰まれた壁際に屈みこんで振り返る。  プラスが示したのは普通のドアの半分ほどの高さしかない、荷物運び用らしいエレベータ ーだった。 >>> MENU? or BACK? or NEXT?


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