【あ行】


■アニマルズ The Animals
ブリティッシュR&Bグループのアラン・プライス・コンボにボーカルのエリック・バートンが加わり、1964年にデビューした5人組。
同年「朝日のあたる家」の大ヒットで人気を得た。1966年に一時解散。1967年にはメンバーを一新し、エリック・バートン&ジ・アニマルスとして再出発。フォーク・ロック〜サイケデリック・ロック風の「サンフランシスコの夜」「モンタレー」「スカイ・パイロット」などのヒットを放つが、1968年、二度目の来日公演中に不可解な解散をした。
1970年に入ってバートンは黒人ブループのジミー・ウィザースプーンとの共演を経てエリック・バートン・バンドを結成するが脚光を浴びることができなかった。
アニマルズとして1977年と1983年に再結成している。




■アイズリー・ブラザーズ The Isley Brothers
ソウル・グループのパイオニア的存在。そのうえファンクグループとしての感覚も研ぎ澄ましていったグループ。
1956年にオハイオで結成され、1959年の「シャウト」がまずソウル開幕を告げる極めて重要な作品となった。
オーケリー、ロナルド、ルドルフの兄弟3人のグループだったが、以前はゴスペルをやっていて、それをそのまま投影した形で作品を作った。
1964年に兄弟でT・ネック・レーベルを設立。1969年の「イッツ・ユア・シング」のヒットで軌道にのり、さらに他の3兄弟を加えてファンク路線(+メロウなバラード)を走る。
オーケリーは1986年に死亡し、ロナルド一人での活動が続いていたが1993年に再編。




■アース・ウィンド&ファイアー Earth,Wind&Fire
1970年代にPファンク以上の人気を誇り、メディアへの露出度もかなり高かった。その影響力はPファンクの足元にも及ばなかったが、Pファンクの対極に位置する存在だった。
元ラムゼイ・ルイス・トリオのドラマーだったモーリス・ホワイトが1969年に作ったソルティ・ペッパーズが前身。
ヴォーカルのフィリップ・ベイリー、ギターのアル・マッケイが加入したコロンビア時代が全盛期で、洗練されたシャープなファンク・サウンドにきれいなコーラスという簡明なスタイルでシーンを引っ張った。
1975年の「シャイニング・スター」を皮切りにヒットを連発。1993年に再編。




■アービー・ステッダム Arbee Stidham
1917年アーカンソー生まれ。1930年頃にベッシー・スミスのバックで演奏していた。戦後ビクターからアルバムが発売されたアルバム「マイ・ハート・ビロング・トゥ・ユー」がナンバー1ヒットとなる。
その後シッティンウィズ、チェッカー、アブコでも録音を行った。メンフィス・スリムとともに1950年代にもレコーディングしている。
父親と叔父もミュージシャンだった。




■アラバマ・ジュニア・ペティス Arabama Junior Pettis
ギタリスト。1930年代アラバマ生まれ。本名コールマン・ペティス。
1952年からシカゴで活動をはじめ、リトル・ウォルターのベーシストとして活躍した。
その後ギタリストに転じ、リー・ジャクスンのバンドに3年間在籍し、マジック・スリムのティア・ドロップスにも参加した。
1992年「ハイウェイ・イズ・マイ・ホーム(Highway Is My Home)」にギタリストとして参加。




■アル・グリーン Al Green
1946年アーカンサス生まれ。デトロイト近くの街で育った。
メンフィスのハイで、それまでのメンフィスにはない、なまめかしくセクシーな歌いぶりで、主に女性ファンの心をつかんでヒット曲を連発し一時代を築いて"メンフィスの貴公子"と呼ばれるようになった。
出発点は兄弟で作ったグリーン・ブラザーズというゴスペル・グループ。
その後R&Bに方向転換し、1967年にはソロデビュー。決定的だったのは1969年のハイ入社で、1971年の「レッツ・スティ・トゥギャーザー」で自己のスタイルを確立した。
メンフィスに自分の教会を建て、1980年代はゴスペルシンガーとして名を売った。




■アルバート・キング Albert King
シンガー/ギタリスト。モダン・ブルース3大キングのひとりといわれる。
1923年ミシシッピ生まれ。本名アルバート・ネルスン。
スモーキーなボーカルも個性的だが、ギターの表現力が素晴らしい。子供の頃からブラインド・レモン・ジェファーソン、ロニー・ジョンスン、メンフィス・ミニーなどの音楽を聞いて育つ。
1950年に同州オセオラに移り住んでいたころ、イン・ザ・グルーヴ・ボーイズに参加。インディアナに移ってからジョン・ブリムやジミー・リードの録音にドラマーとして参加した。"You Don't Have To Go" のドラムはアルバートのもの。
その後セントルイスに移住。1953〜54年の"パロット"初録音。オーティス・ラッシュと一緒のアルバム「ドア・トゥ・ドア(Door To Door)」に収録され、それ以来アルバート・キングと名乗るようになった。
ブッカー T&MG's のバックのスタックスの録音で大きく花開いた。
彼のトレードマークであるギブソン・フライングVは1958年以降に使用、それまでは1959〜63年はボビン、キング。1964年にカウントリー、1966年にはスタックス、1975年以降はユートピア、トマト、ファンタジーと、1980年代初頭までコンスタントに録音していた。1978年と1989年に来日した。
1992年メンフィスで心臓発作をおこし死亡。




■アルヴィン・ヤングブラッド・ハート Alvin Youngblood Hart
シンガー/ギタリスト。1963年カリフォルニア生まれ。
ジプシーのシンディ・ロマと結婚したことがきっかけでカントリー・ブルースの道を歩むことになった。
1996年、オーケーからのデビュー・アルバム「ビッグ・ママズ・ドア(Big Mama's Door)」でミシシッピー・デルタを基調としたアコースティツクなブルースを披露した。
1998年の2作目ではハワイアンやマリアッチやハワイアンをミックスし、新しいブルースロックを聴かせる。




■アレサ・フランクリン Aretha Franklin
1942年メンフィス生まれ。
デトロイトで育ち、牧師の父C.L.フランクリンからゴスペルの影響を強く受ける。圧倒的な声量と歌唱力は人々を納得させる力をもっていた。
一番脂の乗っていたのは60年代から70年代にかけてのアトランティック時代。
1967年に「貴方だけを愛して」でセンセーショナルなデビューを果たし、続く「リスペクト」で黒人たちの心をがっちりつかみレディ・ソウルとしての地位を確立した。
ブルースでは「トゥデイ・アイ・スィング・ザ・ブルース(Today I Sing The Blues)」、アルバムでは「ザ・デルタ・ミート・デトロイト(The Delta Meets Detroit)」などがある。




■アンドリュー・オーダム Andrew "Big Voice" Odam
1936年ルイジアナ生まれ。野太い声でビッグ・ボイスのニックネームをもっている。
ボビー・ブランド、B.B.キングに強い影響を受けたハードなゴスペル唱法が特徴。雰囲気としてはB.B.キングを辛口にした感じ。
1950年代後半にセントルイスで活動し、1959年キング・オーダムの名前でパースペクティヴで録音。
1960年にシカゴに移ってアール・フッカーなどと活動を開始する。
アルバムは1967年ネーション、1968年アーフリー、1969年にはLAでのブルースウェイ録音などがある。
1971年にはジミー・ドーキンスとデルマークに録音。1973年制作のアール・フッカーとジミー・ドーキンスのアルバムにゲスト出演。オーダム個人の録音盤は1982年イザベル盤(フランス)があり、バックはマジック・サム&ティア・ドロップスやラッキー・ピータースンがつとめている。 1991年死去。




■イエス Yes
1968年にボーカルのジョン・アンダーソンを中心に結成された5人組。
壮大で精密なサウンド展開でイギリスのプログレッシブ・ロックを象徴した。
「こわれもの」「危機」などの傑作アルバムを1972年に発表。1980年前後には一時活動休止状態になるが、トレバー・ホーンらの協力を得て復活し、1983年に大ヒット・シングル「ロンリー・ハート」を含むアルバム『90125』を新メンバーで発表した。
1989年にはイエスというバンド名をめぐるごたごたが発生したが、1991年の『結晶』では歴代メンバーも参加した8人組のイエスが復活した。
メンバーのソロ活動も多い。




■イーグルス The Eagles
リンダ・ロンシュタットのバック・バンドが発展して1972年にデビューした4人組。
メンバー自体が相当なキャリアの持ち主で、ウェスト・コーストロックの代表的な存在になった。1974年から5人組になる。
初期のカントリー・ロック的な演奏から次第にハードなサウンドを主体にしていき、数多くのシングル・ヒットを放ったが、代表作はウェスト・コースト文化の終焉を暗示したアルバム『ホテル・カリフォルニア』。
1982年に解散したがそのときのメンバーはグレン・フライ、ドン・フェルダー、ジョー・ウォルシュ、ティモシー・シュミット、ドン・ヘンリーの5人で、フェルダー以外はソロアルバムもある。
解散時と同じメンバーで1994年にリユニオンツアーが行われ、最近また再結成している。




■インエクセス Inxs
1977年にオーストラリアのシドニーで結成された6人組で1980年にデビュー。
1984年の「オリジナル・シン」がヒットし世界的に名前が広がった。
マイケル・ハッチェンスの力強いボーカルによるシンプルなロックで人気を獲得。全米チャートbPヒットとなった「ニード・ユー・トゥナイト」を含む1987年のアルバム『キック』が大ヒットした。




■イシュマン・ブレイシー Ishman Bracy
シンガー/ギタリスト。1901年ミシシッピー生まれ。
トミー・ジョンスンと並ぶミシシッピーのブルースマン。
録音は1928〜29年で、Pヴァイン発売の「キング・オブ・ブルース VOL.12」に全曲収録されている。
激しく叩きつける歌い方が得意。
1956年、トミー・ジョンスンの死後バプティスト教会の牧師になり教会でブルースを歌う。
1970年死亡。




■インプレッションズ The Impressions
シカゴの代表的ソウルグループ。ジェリー・バトラーやカーティス・メイフィールドを生んだグループとしても有名。
ゴスペル・カルテットを経て1957年に結成されたルースターズがその前身。1958年にヴィー・ジェイから発売された「フォー・ユア・プレシャス・ラヴ」はジェリーをフューチャーした名曲というだけでなく、のちのソウル・コーラスを示唆したものとして歴史的意義が大きい。
その後ジェリーはソロになり、カーティスが中心となって3人組の時代が長く続く。特に65年の「ピープル・ゲット・レディ」は不滅の名作としてあまりにも有名。
カーティス(1942年シカゴ生まれ)は1970年にソロに転向しニュー・ソウル的アプローチで新境地を開いたが1991年の事故で再起不能になる。




■エアロスミス Aerosmith
ボーカルのスティーブン・タイラー、ギターのジョー・ペリーを看板にして1970年に結成された5人組のアメリカン・ハードロックグループ。
アルバム・デビューは1973年で、1975年には大ヒット曲「ウォーク・ディス・ウェイ」をおさめたサード・アルバム『闇夜のヘビィ・ロック』を発表し人気を決定的なものにする。
R&Bのエッセンスを持ち、イギリス的な重いロックを演奏するのが特徴。
1980年以降メンバーの脱退が相次いだが、1985年の『ダンス・ウィズ・ミラーズ』からオリジナルの5人が復活し、1987年の『パーマネント・バケーション』1993年の『ゲット・ア・グリップ』など充実作を発表している。
スティーブン・タイラーの娘リブ・タイラーは女優として活躍している。




■エマーソン・レイク&パーマー Emerson,Lake & Palmer
キーボードのキース・エマーソン、ベースのグレッグ・レイク、ドラムのカール・パーマーによって1970年に結成され、1971年のセカンドアルバム『タルカス』、クラシックを取り上げたサードアルバム『展覧会の絵』などでプログレ界のスーパートリオと呼ばれた。
1978年に解散。その後は変則的な形でメンバー共演もあったが、1992年に再結成し『ブラックムーン』とライブ盤などを発表した。




■エディ・コクラン Eddie Cochran
1938年オクラホマ生まれ。
1957年のデビュー曲「シッティン・イン・ザ・バルコニー」が大ヒット。1958年の「サマータイム・ブルース」などロカビリーのヒットを飛ばしたが、1960年イギリス旅行の途中に自動車事故で死亡。同乗していたジーン・ビンセントも重傷を負った。




■エリック・クラプトン Eric Clapton
1945年ロンドン郊外の生まれ。
ルースターズなどを経て1963年にヤードバーズに加入するが、バンドがコマーシャルな方向に進むと脱退。1965年にジョン・メイオールのブルース・ブレイカーズに移ってブルース・ギタリストとしてのスタイルを確立、アルバム1枚を残すが、1966年にはクリームを結成し、よりハードなサウンドを追求した。
1969年にスティーブ・ウィンウッドらとブラインド・フェイスを組むが、これも1年あまりで解散。
このころからアメリカ南部のサウンドに魅せられ、ディレイニー&ボニーと共演したりする中で初のソロアルバムを発表、さらにデレク&ザ・ドミノズを結成し、アルバム2枚を残す。
その後ヘロインにのめり込んで2年ほど活動停止したこともあったが、1974年の大ヒット『461オーシャン・ブルーバード』以降は安定した活動を続け、1992年に『アンプラグド』の爆発的ヒットで人気を決定づけた。




■エルトン・ジョン Elton John
1947年イギリスのミドルセックス州生まれ。シンガーソングライター。
作詞担当のバーニー・トウピンとコンビで活躍、1970年発表の『エルトン・ジョン』から「僕の歌は君の歌」「人生の壁」などの大ヒットを飛ばしトップ・シンガーになる。
1972年の『ホンキー・シャトウ』が初の全米bPアルバムとなり、以後7作連続bPという記録を作った。
1973年に独立し自分のレーベル"ロケット"を設立。大ヒット作の『黄昏のレンガ路』や『キャプテン・ファンタスティック』(1975年)などを発表しロックとバラードの両面で名曲を残した。
ライブエイドや基金関係のコンサートには予定をやりくりしながら出演、以後も順調に活動を続けている。
コンサートでは奇抜な衣装と心地よい歌で人々を楽しませる根っからのエンターティメント性を発揮し、交友関係も幅広い。




■エルモア・ジェイムス Elmore James
戦後にロバート・ジョンソンを受け継いだ男としてあまりにも有名だが、音楽の中身はかなり異なる。
ロバート・ジョンソンの「ダスト・マイ・ブルーム」をトレードマークにしていたが、エレキを使ったボトルネック・ギター奏法は迫力満点でワン&オンリーといえる。
1918年ミシシッピ生まれ。1930年代からサニー・ボーイUらとともに活動を続けていたが、レコーディング・デビューは1951年のトランペットから。
その後、フレアー/モダン、ファイアからも"ブルーム"スタイルの名作を立て続けに発表、一方で「スカイ・イズ・クライング」のようなスロー・ブルースで新境地を開いた。
1963年、心臓発作で死亡。




■オー・ヴイ・ライト O.V.Wright
1960〜70年代を通して南部を代表するソウル・シンガー。
広範な影響力という点ではオーティス・レディングの足元にも及ばなかったが、その人生を賭けた深い歌声にはオーティス以上のすごみがあった。
1939年テネシー生まれ。本名オヴァートン・ヴァーティスト・ライト。
メンフィスで育った彼は早熟のゴスペル・シンガーとしてサンセット・トラヴェラーズのリードをつとめ、1964年に名作「ザッツ・ハウ・ストロング・マイ・ラブ・イズ」でゴールドワックスからデビュー。後にはハイ・サウンドをバックに数々のヒットを残した。
特に1971年の『ア・ニッケル・アンド・ア・ネイル・アンド・ザ・エイス・オブ・スペイズ』は究極のソウルアルバムといえる。
1980年に死亡し、ファンの涙を誘った。




■オーティス・ラッシュ Otis Rush
気分のむらが激しく出来不出来の差が大きい人として有名。(笑)それだけに繊細な感覚を持つブルースシンガー/ギタリストといえよう。
その抑えこまれた感情が一気に爆発したときのすばらしさはモダン・ブルース随一といわれるゆえんでもある。
1934年ミシシッピ生まれ。のちシカゴに移住し、ウエストサイドの新しい局面をみごとに切り取り、コブラから1956年に出した「アイ・キャント・クイット・ユー・ベイビー」で成功する。
この時代の歌、ギターの持つ味わいの深さは尋常なものではない。
その後チェス、コティリオン、キャピトルなどで驚くほどの作品を残しながらも同時に、常にファンをはらはらやきもきさせ、時に爆発もしている。

   ●房之助が語るオーティス・ラッシュ




■オーティス・レディング Otis Redding
ほぼ5年の間、魂を燃やし続けた南部の地に倒れたオーティス。それだけに彼の作品はサザン・ソウルという枠を超え、広く人々に愛され続けている。
1941年ジョージア生まれ。同郷だったリトル・リチャードに憧れて歌手を目指す。
ローカル・グループのパイントッパーズを経てメンフィスのヴェルドへ。1962年のデビュー作「ジーズ・アームズ・オブ・マイン」は地味ではあったが確実に南部に根をおろした。
その後MGズをバックにしたソウル表現は完璧さを極めたが、1965年の「リスペクト」が頂点になった。1966年にはイギリスにも人気が飛び火したが、その矢先の1967年、飛行機事故で不慮の死去をとげる。







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