【た行】


■ダイアー・ストレイツ Dire Straits
1977年にボーカル/ギターのマーク・ノップラーを中心にロンドンで結成された4人組。
1978年6月にデビューアルバムを発表し、1979年4月にはそのアルバムに収められた「悲しきサルタン」が大ヒット。
独特のピッキングによるギターの乾いた音色と、ボブディランっぽいノップラーのボーカルが特徴。
1985年の超大ヒット作『ブラザーズ・イン・アームズ』と「マネー・フォー・ナッシング」で人気を不動のものにした。
ノップラーはボブ・ディランのアルバムへのゲスト参加やノッティング・ヒルビリーズでの活動のほか映画音楽の仕事もしている。




■チャカ・カーン Chaka Khan
1953年イリノイ州生まれ。本名はイヴェット・マリー・スティーブンス。
1972年に全員白人のルーファスというバンドのフィーチャリング・シンガーとしてデビュー。
1974年に「テル・ミー・サムシング・グッド」のヒットを飛ばすというのがいかにもユニーク。
その後のロック/ポップスとクロスオーヴァーするソウルを先取りした。
シンガーとしての影響力は強く、1980年代以降のファンクに対応した女性シンガーの型を作ったともいえる。1978年にはバンドと並行してソロ活動もはじめ、ヒット曲も多いが、やはりルーファース年代末から1980年代初めまでが一番勢いがあった。




■チャック・ブラウン Chuck Brown
1935年ノースカロライナ生まれ。
ワシントンDCのゴーゴーの生みの親ともいわれるチャック・ブラウン。その活動は古く、1970年代前半からサセックスでソウウル・サーチャーズとしてレコードを出していた。
広く世間に認知されはじめたのは1978年の名ヒット曲「バスティン・ルース」から。
彼の音楽にはジャズ、ブルース、R&B、ラテンなどが雑多に詰まっていた。それは1980年代に入って煮つめられ、ゴーゴーの代表アーティストとして人気を集める。
1984年に発表した「ウィ・ニーゴ・サム・マニー」など名曲も多い。




■デイブ・クラーク・ファイブ Dave Clark Five
ロンドン下町のトッテナム出身のデイブ・クラークを中心に結成された5人組で1962年にデビュー。
1964年の「グラッド・オール・オーバー」が大ヒットし、マージービートに対抗してトッテナム・サウンドという言葉も生まれた。
アメリカでも人気が高く、一時はビートルズと人気を二分するとも言われた。日本でも1964年に発表されたバラード「ビコーズ」が大ヒット。アメリカでは1965年の「オーバー・アンド・オーバー」が全米チャートbPになった。
1970年に解散。




■ティーボーンウォーカー T Bone Walker
1940年代のキャピトル時代の作品集「モダン・ブルース・ギターの父」のタイトルがすべてを物語る。ロバート・ジョンソンの名前がどれだけ浸透しても、現在のブルース系ギターに及ぼす影響力はTボーンの方がはるかに大きい。
エレキギターでできうることをほとんどブルースの中で試みていたといわれ、それを単弦奏法というスタイルに収斂させた。
1910年にアーロン・T・ウォーカーとしてテキサスで生まれ、1929年に早くもデビューしたが、本格的な活動は30年代末にエレキ・ギターを使うようになってから。
彼の「ストーミー・マンディ」はブルースの代名詞といってもいいほど。1975年に死亡。




■トム・ウェイツ Tom Waits
1949年カリフォルニア州ポモーナ生まれ。
1973年にアサイラムから『クロージング・タイム』を発表、ヤニっぽい嗄れ声で吹きだまりの人生や疎外された心を歌い注目される。
以後、ジャズっぽいサウンドに傾倒、1980年の『ハート・アタック・アンド・ヴァイン』までアサイラムには7枚のアルバムを残した。
1980年代に入ってアイランドに移籍したころから映画俳優としても活躍、その影響か1983年の『ソードフィッシュトロンボーン』では独自のアヴァンギャルドな要素を含む映像的サウンドを確立する。
以後、その路線でサントラも含むアルバムを制作、1992年の『ボーン・マシーン』で過激さは頂点に達した。







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