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■ライトニン・ホプキンス Lightin' Hopkins |
シンガー/ギタリスト。ダウンホーム・ブルースマンの権化。この人なくしてはブルースは語れない。 1912年テキサス生まれ。本名サム・ホプキンスだが、あだ名のライトニンという名前がウェスト・コーストに一緒に行ったピアニストの"サンダー"スミスと対で付けられたのは有名。 テキサスの大物テキサス・アレクサンダーやブラインド・レモン・ジェファースンの影響を受けながらも、全く独自のテキサス・ブルースを完成させた。 1946年にウェスト・コーストに出てアラディンからデビュー。「ショート・ヘアード・ウーマン」などカントリー・ブルースとしては異例の売れ行きを見せた。 レコードは多く、1982年に亡くなるまで歌い続けた。 |
■ラベル Labelle |
かつてブルーベリーズ〜パティ・ラベル時代の1975年に放った「レディ・マーマレード」のヒットがあまりにも印象的だったため、パティは"グループ、ラベルの…"という注釈が必要だったが、現在はソロシンガーとしてのステイタスを確立した。 1944年フィラデルフィア生まれ。1962年にノーナ・ヘンドリックスらを誘ってできたブルーベリーズがその前身。 1974年にラベルとなり、1977年からパティはソロとしてスケールの大きなシンガーに成長した。 |
■リロイ・カー Leroy Carr |
シティ・ブルースの元祖といったありきたりの評価よりも、現在のブルースと呼ばれるもののほとんどの最初の型を作りだしたといえるほど影響は大きかった。 1905年ナッシュビル生まれ。当時としては珍しく都会的な空気を吸って育ったが、相方のギタリスト、スクラッパー・ブラックウェルとともに作りあげた一見スマートに思えるボーカル表現やそのピアノ・フレーズにも、南部のすべての黒人を共鳴させるような深い思いがこもっていた。 1928年の「ハウ・ロング・ハウ・ロング・ブルース」の大ベストセラー以来、1935年に亡くなるまで多数の曲を発表、ロバート・ジョンソンにも大きな影響を及ぼした。 |
■リトル・ウォーター Little Walter |
ブルース・ハープといえばこの人。その力量、影響力、革新性のどれをとってもまさに第一人者だった。 1930年ルイジアナ生まれ。本名マリオン・ウォルター・ジェイコブズ。 早くから家を飛び出した彼は1946年にはシカゴに移動、マックスウェル・ストリートで糧を得ながら、翌年に歴史的なギタリスト/シンガーのオーサム・ブラウンとレコーディング、シカゴ・ブルースの幕を開ける。 その後、マディ・ウォーターのバンドで絶妙なハープ・プレイを聞かせながら自らも録音、1952年の「ジューク」はお手本的なブルース・ハープ・インストとなった。 さらに自分のバンド"エイジス"を率いてアンプリファイド・ハープを開拓、その影響力は絶大なものとなった。 1968年に死去。 |
■リトル・ミルトン Little Milton |
白人のブルース・サークルに顔を出しながらも、南部の黒人の間で着実な人気を持つシンガー/ギタリスト。 1934年ミシシッピ生まれ。本名ミルトン・キャンベル。 ギタリストのTボーンウォーカーの影響を受け、まずピアノのウィリー・ラブのバンドで修行。さらにB.B.キングなどを吸収しつつメンフィスのサンでレコーディングを始める。 1950年代末にはセント・ルイスに移ってより飛躍し、1965年の「ウィア・ゴナ・メイク・イット」で独自のシカゴR&Bスタイルを確立する。 その後スタックス時代にも充実した作品を多く世に出し、ブルース/R&B/ソウルを股にかけて活躍している。 |
■リンゴ・スター Ringo Starr |
リバプール生まれ。本名リチャード・スターキー。 1962年にビートルズに加入し、解散時までドラマーとして活躍した。 1970年に初のソロアルバムでスタンダード集の『センチメンタル・ジャーニー』を発表。以後、豪華ゲストが参加した『リンゴ』(1973年)など多くのアルバムを出している。 1989年にはジョー・ウォルシュやニルス・ロフグレン、Dr.ジョンたちとリンゴ・スター&ヒズ・オールスター・バンド名をつけて全米ツアーを行い、ライブアルバムを発表した。 その後はメンバーをかえながらオールスター・バンド的な活動が続くが、1992年に9年ぶりのソロ・アルバム『タイム・テイクス・タイム』を発表。 ほのぼのとしたキャラクターなためかミュージシャンの間で信望が厚く、1971年のバングラディシュ難民救済コンサートを皮切りにボランティアコンサートも多数出演している。 |
■ルイス・ジョーダン Louis Jordan |
ブラック・ミュージック界における40〜50年代最高の人気者であり、後に続くR&Bへの道を開いた人として計り知れない偉業を残した。 戦後の黒人音楽、ロックでさえ、彼の「カルドニア」や「チュー・チュー・チ・ブギ」が出発点となっている。 1908年アーカンサス生まれ。ジャズを学びながらエンターテイナーとしての全てを修得してきた。 アルトサックスを持ちながら自分のバンド、ティンパニー・ファイブを率いてのデッカ時代の十数年は、黒人大衆とともにジャンプし、泣き、笑ってきた時代だった。 その後も永く活動していたが、1975年に死亡した。 |
■ルース・ブラウン Ruth Brown |
1928年バージニア生まれ。本名ルース・ウェストン。 ダイナ・ワシントンらのブルース・スタイルをさらに進化させ、新しいビートや型を提示したR&Bシンガーの先駆者となった。 ニューヨークに出て最初はラッキー・ミリンダー楽団などで歌っていたが、1949年にアトランティックと契約、1950年の「ティアドロップス・フロム・ユア・アイズ」のbPヒットで新境地を開拓した。ベストはこの時代。若い頃は"ミス・リズム"の愛称で呼ばれていた。 |
■レイ・チャールズ Ray Charles |
1960年代にABCに移籍してから「わが心のジョージア」などの"ポピュラーな"ヒットを飛ばして世界的な人気を獲得したが、アメリカの黒人歌手としてはまさに先駆的存在だった。 レイのルーツがブルースやゴスペルにあることが認められ、今なお一流のR&Bシンガーとしての評価は高い。 1930年ジョージア生まれ。本名チャールズ・ロビンソン。早くから視力を失い、フロリダの盲人学校に入学。その時代からピアニストとしての天才ぶりを発揮し、さらにゴスペルも経験する。 1940年代にシアトルに移ってからはもっぱらチャールス・ブラウンとナット・キング・コールをコピーして歌っていたが、1954年に「アイ・ガット・ア・ウーマン」で独自の路線を開拓した。 |
■レニー・クラヴィッツ Lenny Kravits |
1965年ニューヨーク生まれ。子供のころロスに移住し、ハイスクールを出たころにはギター、ピアノ、ベース、ドラムスを独学でマスターしていた。 1989年に『レット・ラブ・ルール』でデビュー。ジョンレノンに似た曲作りとヒッピーっぽい歌詞などで人気があがる。 1991年の『ママ・セッド』に続く1993年の『自由への疾走』で日本でも爆発的人気を誇る。 ジミヘンドリックス、ビートルズ、カーティス・メイフィールドなどの影響を思わせる音楽性や、生ギターやハモンド・オルガンの効果的なあしらい方、また70年代に作られた録音機材の使用など、徹底したアナログ指向が90年代にはかえって新鮮に感じられた。 |
■ロイ・オービソン Roy Orbison |
1936年テキサス生まれ。 ロカビリーから出発。1956年の「ウービー・ドゥービー」をきっかけに、1960年の「オンリー・ザ・ロンリー」、1961年の「ランニング・スケアード」「クライング」、1964年の「オー・プリティ・ウーマン」などヒットを連発した。 一時引退したが復活、1987年にはブルース・スプリングティーンなどの豪華メンバーを従えてライブを行い、そのライブ盤やビデオも発売されている。 1988年にはボブ・ディラン、ジェフ・リン、トム・ペティとともに"トラベリング・ウェルベリーズ"を結成。アルバム『ボリューム・ワン』を発表する。 しかし同年12月、新作『ミステリー・ガール』が発売される直前に急性心臓麻痺でこの世を去った。 |
■ロイ・ブラウン Roy Brown |
クライ/シャウトを多用し、大げさなまでに抑揚をつけた歌いっぷりは典型的なシャウターとして記憶に残る。ジョー・ターナーのあとでは間違いなく第一人者である。 1925年ニューオリンズで生まれ、その土地のR&Bとしての役は果たしてきたが、ニューオリンズR&Bとはちょっと毛色が違う。 それは彼がウェスト・コーストやテキサスのジャンプ・ブルースの影響を受けていたからで、1950年の大ヒット曲「ハード・ラック・ブルース」はジャンプ・ブルースのエキスを凝縮したような曲だった。 ジャンプ・ナンバーでも激しくロックし、エルビス・プレスリーにも影響を与えたといわれる。 1981年に死亡。 |
■ロッド・スチュアート Rod Stewart |
1945年ロンドン生まれ。1963年に音楽界に入る。 R&Bの影響を強く受けたハスキーなボーカルをウリにスティームパケットやショットガン・エクスプレスに参加したあと、1966年結成のジェフ・ベック・グループに入り加入した。 1970年にはロン・ウッドとともにスモール・フェイシズ(後にフェイシズと改名)に参加、グループと並行してソロ活動も始め、『エブリ・ピクチャー・テルズ・ア・ストーリー』(1971年)が英米チャートでbPを記録するなど大活躍した。 「セイリング」を収録したアルバム『アトランティック・クロッシング』(1975年)では、よりアメリカ的な方向性を打ち出し、フェイシズ解散後も『ア・ナイト・オン・ザ・タウン』(1976年)など数多くのヒットを飛ばした。 のちに盗作騒ぎになった「アイム・セクシー」も1978年に大ヒットした。 |
■ロバート・ジョンソン Robert Johnson |
41曲を収録した『コンプリート・レコーディングス』が89年に発売され、ようやく実力に見合った名声と評価を獲得した不世出の大ブルースシンガー。 デルタに生まれデルタに死んだロバジョンのブルースは、とことんデルタ・ブルースでありながらも、しっかりと未来のブルースを捉えていた。 生年は異論もあるが1911年5月8日。ギターの腕は超一流で、悪魔に魂を売ってギターの神髄を極めたという、映画にもなった"クロス・ロード"の主人公その人とされている。 ギターを始めてからほとんどが放浪生活で、サン・ハウスなどに多くの影響を受けた。現在のギタリストの憧れとして、いまでも彼の名前は燦然と輝いている。 1938年に毒殺され悲惨な最期を遂げたが、毒を盛られてから亡くなるまでのむごさを思うと、悪魔に魂を売ったのは本当だったのか、などと考えてしまう。 |
■ロバート・クレイ Robert Cray |
1987年に『ストロング・パースウェイダー』が破格のセールスを記録、一躍ブルース界の寵児となり、ロック畑のアーティストからも絶賛される。 1953年ジョージア生まれ。ウェスト・コーストで育ち、ギタリストとしてはアルバート・コリンズ、さらにゴスペルやスタックス・ソウルの影響を加え、まさにソウル時代のブルースを作り出した。 ヴォーカル表現の深さで人々を魅了し、ギターの腕も確かで、常に自分の音楽観を持ち続けている。 |
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