【ま行】


■マ・レイニー Ma Rainey
ベシー・スミスと並ぶクラシック・ブルースの大物女性シンガー。レコーディングこそ1923年とやや遅れたものの、ミンストレス・ショーで早くから鳴らし、ベシーの大先輩に当たるシンガー。
1886年ジョージア生まれ。本名ガートルード・プリジェット。
母親のように大柄な身体を利用して「マ・レイニーズ・ブラック・ボトム」などを堂々と歌い、南部を中心に広い人気を誇った。
ほとんどの場合はクラシック・ブルース特有のジャズ・バンドがバックについたが、時にはタンパ・レッドのような人たちもバックをつとめ、南部との関わりの深さを示した。
1939年に死去。




■マジック・サム Magic Sam
シンガー/ギタリスト。B.B.キング以後のモダン・ブルース界でも特に個性的なスタイルを築きあげた天才ブルースマン。1937年ミシシッピ生まれ。本名サミュエル・マゲット。
1950年にシカゴに出て比較的早い時期にコブラからデビューしたが、充実するのは1960年代に入ってから。
シカゴのウェスト・サイドを根城に、オーティス・ラッシュらとともにシカゴ・ブルースに新展開をもたらした。
「オール・ユア・ラブ」など個性的な曲が多く、1968年デルマークからの『ウェスト・サイド・ソウル』がその音楽性を明確に示している。
1969年、突然の心臓麻痺で夭折。




■マディ・ウォーターズ Muddy Waters
名実ともにシカゴ・ブルース界のボスだった。それは1983年に没後も感じられるほど。
直接影響を受けたシンガーやギタリストはそういないのにそう思わせてしまうのが彼の偉大さである。
1915年ミシシッピ生まれ。本名マッキンレー・モーガンフィールド。
文字通りデルタに生きた彼はサン・ハウスを直接見て強く影響され、ボトルネック・ギターを始める。
1941〜42年にアラン・ロマックスによってレコーディングされた作品は、そのサンと、もうひとりロバート・ジョンソンの後継者たることを明確に示している。
翌年シカゴに出たマディはエレキによるスライド奏法を発展させ、同時にシカゴ・ブルース・バンドの基礎作りをした。
1950年の「ローリン・ストーン」ほか名盤は多い。




■マービン・ゲイ Marvin Gaye
1939年ワシントンDC生まれ。説教師だった父親と同じ名のジュニアを名付けられ厳しく育てられた。その父親から逃れるようにR&Bにどっぷりと浸った彼はマーキーズ、ムーングロウズを経て1960年にデトロイトに移ってからモータウン・サウンドの力を得てヒットを連発した。
今なお評価の高いのは1970年代のニュー・ソウル期の作品で、特に1971年の『ホワッツ・ゴー・イン・オン』は、その金字塔とされている。私生活がことごとく歌に反映されるのが彼の特徴で、その私生活は必ずしも幸せとは言えなかった。
1984年、父親に射殺される。















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