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■ハウリン・ウルフ  Howlin' Wolf
シンガー/ハーピスト。1910年ミシシッピー生まれ。本名チェスター・アーサー・バーネット。
1950〜1960年代のシカゴ・ブルース・シーンでは自他共に認めるマディ・ウォーターズのライバル。
1920年代後半からギター1本を持ちミシシッピー、アーカンソー、テネシーなどを放浪して腕を磨く。当時はサニー・ボーイ・ウィリアムスンUやロバート・ジョンスンらと共演していた。
第二次世界大戦前後の1948年頃までは農業をしながらブルースを歌う暮らしをしていたが、ウエスト・メンフィスでDJの仕事を始めて人気が出る。
1951年メンフィスで初録音した「ハウ・メニー・モア・イヤーズ(How Many More Years)」が大ヒット。
アイク・ターナーの紹介でRPMでも録音し、飾らないブルースハモニカと強烈なダミ声で一躍人気を得る。
1952年にシカゴに移住し、地元のクラブ・シーンの顔役になる。
名ギタリストのヒューバート・サムリンとともに強烈なギターを中心とした「スモール・コンポ・ブルース」は、ブルースマンだけでなく白人の多くのミュージシャンたちにも大きな影響力を与えた
1970年代にはロンドンでエリック・クラプトン、スティーブ・ウィンウッドたちと共演アルバムを録音。アルバムでは「Moanin' In The Moonlight」などがある。
1976年死去。




■ハウンド・ドッグ・テイラー Hound Dog Taylor
シンガー/ボトルネック・ギタリスト。
1917年ミシシッピー生まれ。本名セオドア・ルーズヴェルト・テーラー。
ブルース・イグノアがハウンド・ドッグのレコードを出したい一心で会社を作ったほどのプレイヤーで、歪みまくる音とともに暴れまくり、ワイルドなブギをかまし続けた。
ギター2本とドラムという変則的バンド編成でミシシッピを中心に活動した後1942年にシカゴに移り、マクスウェル・ストリートで演奏を続ける。
1960年にビー・ベイビー、1962年にファーマで録音。自分のバンド、1965年にはじめて自分のバンド、ハウスロッカーズを結成する。
1974年のアリゲータ録音で一気にその名を広めた。デビュー作の「Hound Dog Taylor & The House Rockers」が代表アルバム。
1975年に死亡。




■パーシー・メイフィールド Percy Mayfield
シンガー/ソングライター。1920年ネイジアナ生まれ。
アーバン・ブルース・ソングライターの王者。渋味のある低音でゆったりと歌う独特の雰囲気を持つ。
1938年にテキサスに移住し、1940年代半ばにウエストコーストに移住。
1950年の「プリーズ・センド・ミー・サムワン・トゥ・ラブ(Please Send Me Someone To Love)」が大ヒット。しmブルースマンだけでなくジャズやポピュラーソングにもなっている。
1960年代にはレイ・チャールズにも多くの曲を提供した。
1984年ロサンゼルスで死去。




■パティ・スミス Patti Smith
1946年シカゴ生まれ。1969年にニューヨークに移住し、ミュージシャンや作家、カメラマンなどと交流を持ちながら女流詩人として名をあげる。
1974年にロック評論家レニー・ケイらとバンド活動を始め、1975年にデビュー・アルバム『牝馬』を発表、ニューヨークパンクの始まりを告げる。
パティの詩人としての才能と60年代ロックに対する深い愛情は多くの支持者を生んだ。
1979年に4作目になる『ウェイブ』を発表したあと元MC5のフレッド・スミスと結婚、引退してデトロイトに住んでいたが1988年にカムバックして『ドリーム・オブ・ライフ』を発表し、以降2年に1枚程度のペースでアルバムを出している。




■バディ・ガイ Buddy Guy
シンガー/ギタリスト。1936年ルイジアナ生まれ。本名ジョージ・ガイ。
1950年代にルイジアナで活動していたが、1957年にシカゴへ行き、いきなりマディ・ウォーターズに仕事をもらう。
B.B.キング直系のスクィーズ・ギターとヒステリックな唱法でモダン・シカゴ・ブルースのスタイルを作った。
1959年に始めての録音。1960年代のチェス、ヴァンガードでの吹き込みやジュニア・ウェルズとのコンビでも名高い。
代表曲にFirst Tome I Met The Bluesなどがある。




■ヴァン・ヘイレン Van Halen
1978年にザ・キンクスの「ユー・リアリー・ガット・ミー」のカバー曲でデビューしたロサンゼルスのハードロックバンド。
初期ボーカルのデイブ・リー・ロスのユニークなキャラクター、ギターのエディ・ヴァン・ヘイレンのセンスとテクニックで人気を得る。
全米チャートbPシングル「ジャンプ」を含む『1984』が1983年に大ヒット。1986年にはボーカルがサミー・ヘイガーに交代し、以後もアルバムを出し続けている。
脱退したデイブ・リー・ロスもソロアルバムを出している。




■B.B.キング B.B.King
1925年ミシシッピ生まれ。本名ライリー・B・キング。
1949年のデビュー以来永く第一線で活躍すている。まさにブルース界の宝。ティーボーンをベースにチョーキングを多用したギター・スタイルという簡明で影響力の強いスタイルを作りだしたことがその最大の原因と思われるが、現在でもなお精進を怠らない本人の努力も見逃せない。
ブルースの最も深い伝統の地に生まれ、他の要素を加えて統合したのが万人に受けるもとともなった。
最初のヒット曲は52年にRPMから出した「スリー・オクロック・ブルース」だが、1960年前後に絶頂期を迎え、1964年には名盤『ライブ・アット・ザ・リーガル』も残した。




■ビッグ・ビル・ブルーンジー Big Bill Broonzy
1893年頃ミシシッピで生まれる。本名ウィリアム・リー・コンレイ・ブルーンジー。
今もし生きていたらあふれるばかりの才能で多方面で活躍し成功していただろう。
1926年からレコーディングをはじめ、1932年頃には磨きがかかり、主にピアノやベースをバックに、その表情豊かなギター/歌によるシティ・ブルース・スタイルを確立させた。多才さと音楽的な深み、すばらしさは抜きんでていた。
「サザン・フラッド・ブルース」などの大傑作がある。
戦後は白人間でも人気が沸騰した。1958年に喉頭癌で死亡。




■ファッツ・ドミノ Fats Domino
かつてはエルビス・プレスリーと並び称されたロック歌手。それだけの実績もたしかにあげてきたが、今はニューオリンズのR&Bシンガー/ピアニストとしての定義づけられている。
1928年ニューオリンズ生まれ。本名アントイン・ドミノ。
チャールズ・ブラウンやエイモス・ミルバーンの影響を受けながらも暖かみのあるバラード表現でブルースに新たな血を注ぎ込んだ。
1949年、デイブ・バーソロミューに見出され「ザ・ファッツ・マン」でデビュー。以後、多くのベストセラーを出している。R&Bのパイオニアといえる。




■フィル・コリンズ Phil Colins
1951年ロンドン生まれ。 1970年にオーディションによってジェネシスのドラマーに採用される。1975年にピーター・ガブリエルがジェネシスを抜けたあとはドラマー兼リード・ボーカリストとしてグループの中心的存在になる。
1976年にはセッション・ミュージシャンを集めてインストロメンタルグループのブランド・Xを結成、ジェネシスと並行して1979年まで活動し、5枚のアルバムを残した。
1981年に初のソロアルバム『夜の囁き』を発表、タイトル曲をヒットさせ、ジェネシスともどもアメリカ進出への足がかりを作る。
以後、1982年から1994年の間にソロ・アルバム5枚を発表、シングルヒットも多数。ドラマー、プロデューサーとしても多くのアーティストに関わり、俳優として映画にも出演、現在も活動を続けている。




■フィル・スペクター Phil Spector
1940年ニューヨーク生まれ。
1957年にテディ・ベアーズというバンドを作り「逢ったとたんに一目惚れ」のヒットを飛ばす。
その後プロデューサーの道を進み、1961年に自己のレーベル"フィレス"を設立。クリスタルズやロネッツなどをプロデュースしてヒットを出し続けた。
それらの作品はスペクター・サウンドとして有名だが、バックの音が壁のように分厚いのが特徴で、"ウォール・オブ・サウンド"と呼ばれた。
60年代半ばにイギリスに渡り、ビートルズの『レット・イット・ビー』、ジョンレノンやジョージハリソンのソロアルバムをプロデュースしている。
ポップスの歴史上最も有名で重要なプロデューサーの一人。




■ブライアン・アダムス Bryan Adams
1959年カナダのオンタリオ州生まれ。
1983年の3作目「カッツ・ライク・ア・ナイフ」が大ヒットした。力強くハスキーなボーカルとポップなロック・サウンドでトップスターになる。
1984年の「レックレス」からは6曲ものシングルがヒット、アルバム自体も全米チャートbPに輝いた。
以後も順調に活動を続け、1994年にはロッド・スチュワート、スティングと組んた「オール・フォー・ラブ」も大ヒットを記録した。




■ブライアン・イーノ Brian Eno
1948年イングランド東部のウッドブリッジ生まれ。美術、実験音楽を学び1970年にシンセサイザー奏者としてロキシー・ミュージックに参加するが、セカンド・アルバムのときに脱退。
その後は『テイキング・タイガー・マウンテン』『アナザー・グリーン・ワールド』などのソロ・アルバムや、ロバート・フリップ、デビット・バーンなどと組んでアルバムを発表。映像を併用しながら実験音楽を聴かせる、当時の環境音楽の代表的存在になった。
また、プロデューサーとしてU2をはじめ多くのアーティストを手がけている。




■ブラインド・レモン・ジェファーソン Blind Lemon Jefferson
デルタのチャーリー・パットンに当たるのが、テキサスではジェファーソン。
1897年テキサス生まれ。ほとんど生まれつきの盲目で、鋭い感覚を示し、ギター片手に早くからダラスを中心に流しをしていた。
1925年にパラマウントからレコードデビュー。これはこうしたカントリー・ブルース・シンガーの中では異例に早く、しかもベストセラーを重ねて新しい市場を開いた。
「マッチ・ボックス・ブルース」に代表されるリズミックで細やかなギター、ときにフィールド・ハラーを思わせる高い音域を駆使した絶妙なヴォーカル・コントロールは、テキサス・ブルースだけではなくブルース広範にわたって深い影響を与えた。
1929年に死亡。




■フランク・ザッパ Frank Zappa
1940年ボルティモア生まれ。
ハイスクールを卒業後、映画の仕事などをしながらバンド活動やメンバー集めを行い、1965年にマザーズ・オブ・インヴェンションを結成。翌年、ファーストアルバム『フリーク・アウト!』を発表する。
ロック、ブルース、R&B。ジャズ、現代音楽がミックスされた上に映画や演劇の要素も絡んだぶっ飛んだ世界は、早くもここで確立された。
旺盛な創作意欲は衰えることなく、マザーズ・オブ・インヴェンションで7枚、マザーズでも7枚のアルバムを発表。1975年の『狂熱のボンゴ』以降のザッパのものを合わせるとオリジナルアルバムだけでもゆうに40枚を超える。
また、自己のレーベルのバーキング・パンプキンから過去の作品をリミックスして出し直すなど、熱狂的なファンをますます深みに引きずり込んだ。
ザッパのアルバムはほとんど駄作がないことでも知られている。
1988年には『ジャズ・フロム・ヘル』(1986年の作品)でグラミー賞も受賞している。
デビュー以来ロックの前衛を駆け抜けたザッパは1993年12月4日、ロスの自宅で前立腺癌のため死亡。52歳だった。
生前に発表された最後の作品は1993年の『イエロー・シャーク』。




■ブルース・スプリングスティーン Bruce Springsteen
1949年ニュージャージー生まれ。
1972年に『アズベリー・パークからの挨拶』でデビューした。
当初はボブ・ディランタイプのシンガーソングライターとして評判になるが、評論家ジョン・ランドウとの出会いなどを経てロックンローラーとしての自分をアピール。1975年の『明日なき暴走』は彼をアメリカにおける最も重要なロックンローラー/シンガーソングライターとして位置づけた。
その後、1984年の『ボーン・イン・ザ・USA』の世界的大ヒットで名実ともにスーパースターの地位を築く。
1985年に初来日し、1986年には5枚組(CDは3枚組)のライブアルバムを発表した。
ずっとバックを努めてきたE・ストリート・バンドと別れ、1992年には『ヒューマン・タッチ』『ラッキー・タウン』を2枚同時にリリース、全米チャートbPに輝く。
* 反アパルトヘイトのためのアルバム『サン・シティ』(1985年)を作ったリトル・スティーブン(スティーブン・バン・ザント)はE・ストリート・バンド出身である。




■ベッシー・スミス Bessie Smith
"ブルースの皇后"と言い伝えられ、ブルース史上最高の女性シンガーと言われるベッシー。今はクラシック・ブルースの女王といったほうが適切かもしれない。
1894年テネシー生まれ。南部を興行したミンストレル・ショウで名をあげた一人。
メイミー・スミスには遅れたが1923年にレコーディングをはじめ、その堂々とした歌いっぷりでファンを魅了する。
フレッシャー・ヘンダーソン、ルイ・アームストロングらをバックに「セント・ルイス・ブルース」などをジャズ・ブルース的なアプローチで歌いこなした。
1930年代に一度仕事を離れ、カムバックしようとしていたとき、1937年に交通事故で亡くなった。




■ベンチャーズ The Ventures
1960年、ワシントン州にオリジナル・メンバーが4人が集まり「ウォーク・ドント・ラン」を録音。これが大ヒットし、エレキギターを売り物にしたインスト・ブームの火つけ役となった。
「ダイアモンド・ヘッド」「10番街の殺人」など、今でもおなじみの曲が多数ある。




■ボビー・ウォマック Bobby Womack
"ラスト・ソウルマン"の看板を掲げた彼はサム・クックの意志を継いだ王道を行くソウル・シンガーの一人だ。
彼のデビューはサム・クックの持つサーからだし、サムが亡くなるまで彼のバンド・ギタリストとしてスタジオやロードでつねに行動をともにしていた。
1944年、オハイオ生まれ。ウェストコーストに移住してヴァレンティノズとしての「ルッキン・フォー・ラブ」が出世作になった。
1965年にソロに転向してからも傑作を多数生み出したが、1981年の『ポエット』、1984年の『ポエットU』の二部作は特に秀逸。




■ボビー・ブランド Bpbby Bland
ブルースに限らず、R&B、バラードと、何を歌ってもその根底にあるブルース精神がいつのまにかにじみ出てくるのがブルースである。
1930年テネシー生まれ。本名ロバート・カルヴィン・ブランド。
メンフィスでゴスペルを歌い、後には一帯の音楽集団ビール・ストリーターズに参加する。
デビューは1950年代初期だが、実力をつけるのはデュークに入ってから。初期には1958年の「リトル・ボーイ・ブルー」のような独創的なブルース・ヒットが生まれている。











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